室町時代日本史歴史

3分で簡単北山文化!貴族と武士文化の融合?金閣を建てた足利義満から始まる派手な文化を現役講師ライターがわかりやすく解説

金閣だけではない!室町幕府が文化の担い手?

北山文化は金閣がとても強いイメージを与えているので、他の文化が見えにくに文化です。北山文化は安定した社会だったことから、次の文化に続く土台が形成された文化になります。

特に大きな影響があったのが、禅宗の発達です。室町幕府が帰依した臨済宗が文化形成の一端をになっています。その例が五山文学です。また、五山文学が栄えた相国寺などでは禅画といって、禅宗の考えを表現した絵画が盛んに描かれ、そこから水墨画が生まれることになります。

金閣は貴族と禅宗が折り重なる建物?金閣に見る建築様式

室町文化の建築といえば、日本建築の基礎にもなった書院造が有名です。しかし、書院造は東山文化の頃に完成された建築様式になります。では、北山文化を代表する金閣はどのような建築様式で建てられているのでしょうか。また、北山文化の建築物には金閣以外にどのような建物があるのか、見ていきましょう。

足利義満の別荘がそのままお寺に?本当の金閣は別荘だった

金閣はもともと鎌倉時代の公家であった西園寺公経の別荘を譲り受け、山荘北山殿としたことが始まりとなります。北山殿の整備を行う中で最も力を入れたのが、金閣となる舎利殿でした。

足利義満の死後、遺言に金閣を寺院にするとあったので、足利義満の法号である鹿苑院殿から鹿苑寺と名付けられたのです。

金閣は三層からなる建物で、それぞれ違った様式で建てられています。一階になる初層は貴族の邸宅である寝殿造です。法水院とも呼ばれ、阿弥陀堂となっていますが、金箔は貼られていません。第二層は武家造潮音洞と呼ばれ、金箔がこの第二層から貼られているのです。第三層は禅宗様究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。つまり、3つの建築様式で建てられ、貴族と武家の折衷となっているのです。

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京の三閣と呼ばれる建物を知っているか。三閣になるのは金閣と銀閣、そして西本願寺の飛雲閣のことを指すぞ。これらは京都を代表する楼閣だ。楼閣とは二階以上の見晴らしの良い建物のことだ。これら三閣に芳春院の呑湖閣を加えると四閣、そして東福寺の伝衣(でんね)閣を加えると五閣というぞ。また、大雲院の祇園閣は祇園祭の鉾を表した形をしていて、銅閣とも呼ばれているんだ。だが、三閣には入っていないぞ。

鎌倉文化の建築様式を受け継ぐ?北山文化の建築

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663highland投稿者自身による著作物, CC 表示 2.5, リンクによる

北山文化の代表である金閣は平安から鎌倉期の建築様式を受け継いだ建物でした。室町を代表する建築様式である書院造で建てられた建築物は北山文化の後から始まります。では、北山文化期に建てられた他の建築物はどうだったのでしょうか。

北山文化の時期に建てられた建築物として興福寺五重塔東金堂があります。もともと、興福寺のこれらの建物は奈良時代の聖武天皇の頃の建物だったのですが、焼失してしまいました。その再建が終わり現在の姿になっているのが、北山文化の頃なのです。

興福寺五重塔と東金堂は平安以来の日本の伝統である和様という建築様式で建てられています。室町時代の豪快な建築様式も取り入れられ、北山文化を代表する建築物にもなっているのです。

巨大な庭園!とにかく広い池泉式庭園の文化

池泉式庭園とは庭の中に大きな池を置き、その池の周りから庭を周遊することで鑑賞する庭園のことです。室町時代の禅宗寺院は禅の世界での修行に風景を眺めながら悟りを開くこともありました。そうしたことから、池泉式庭園が誕生したのです。

北山文化は金閣に代表されるように広大な敷地の中に大きな池泉式庭園を有している寺院が多くあります。では、これらの庭園はどの様な人が作ったのでしょうか、見ていきましょう。

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