現代社会

なぜ「日米安保条約」に反対運動が起きるのか?条約の内容や問題点などを行政書士試験合格ライターが分かりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回は、日米安保条約について学んでいこう。

戦争を永久に放棄した日本にとって、日米安保条約は頼みの綱だろう。だが、過去には激しい反対運動が起こったぞ。いったい日米安保条約の何が問題なのだろうか。

日米安保条約の内容や問題点などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

日米安保条約の署名

image by iStockphoto

まずは、日米安保条約が成立するまでを、簡単に振り返ってみましょう。

サンフランシスコ講和条約の締結

1945(昭和20)年、太平洋戦争で敗れた日本は、連合国軍の支配下となりますGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導により、戦争犯罪人の逮捕や公職追放の他、財閥解体や農地改革などの諸政策が進められました。GHQの権限は絶対的で、日本政府はGHQの指令に従わざるをえませんでした。

1951(昭和26)年に、日本を含む50の国との間でサンフランシスコ講和条約が締結されます。これにより、日本の戦争状態が完全に終結。朝鮮半島などの領土や権利を放棄する代わりに、日本は主権を回復しました。サンフランシスコ講和条約をきっかけとして、日本は条約締結国以外の国とも個別に国交を回復させていきます。

アメリカ軍の駐留継続

終戦後の日本に置かれたGHQの指導により、日本軍は解体されました1947(昭和22)年より日本国憲法が施行され、日本は軍を持たない国となります。代替策として警察予備隊(現在の自衛隊)が創設されますが、1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発。日本の防衛は不安定な状況でした。

1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和条約締結と同じ日に、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」が締結されました。通称「日米安保条約」と呼ばれるものです。サンフランシスコ講和条約の条文には占領軍の撤退が含まれていましたが、2国間協定での駐留は認められ、日米安保条約に則ってアメリカ軍の駐留は続きます

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

日米安保条約を正しくは「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」というように、サンフランシスコ講和条約にも正式名称がある。正しくは「日本国との平和条約」というぞ。しかし、「日本国との平和条約」という名前では、どこと結んでなんのための条約なのかわかりづらいだろう。だから、「サンフランシスコ講和条約」や「サンフランシスコ平和条約」などと呼ばれるのだ。

日米安保条約の改定

image by iStockphoto

1951年に締結された日米安保条約は、その後改定に向けての動きが強まります。いったい何があったのでしょうか。

次のページを読む
1 2 3 4
Share: