現代社会

三島由紀夫を見出した国文学者「蓮田善明」とは?その生涯や三島由紀夫との関係などを歴史好きライターがわかりやすく解説

蓮田善明に傾倒する三島由紀夫

蓮田善明の言動が、三島由紀夫の生き方にも大きな影響を与えたであろうことは否定できません蓮田が出征する前に、三島に対して「日本の後のことをお前に託した」などと言ったことが事実だとすれば、なおさら三島が蓮田を常に意識していたという考えに至るはずです。そもそも、平岡公威を三島由紀夫にしたのは蓮田だったといって良いでしょう。

三島は、蓮田の自決に対して「謎はない」「なければそのほうが不思議だ」などといった感想を持っていたそうです。そのような思想が三島の作品にも表れているといえ、一例として『憂国』では青年将校とその妻の心中を描きました。さらに『憂国』は映画化され、三島本人が主演を務めています

多方面で活躍する三島由紀夫

1949(昭和24)年に初めて発表した、初めての長編小説『仮面の告白』で、三島由紀夫の小説家としての地位が確立されます。その後、『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』などの小説を次々と発表『近代能楽集』『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』といった戯曲も手掛けました

一時はノーベル文学賞の候補にまでなった三島ですが、次第に作家以外の活動にも力を入れるようになります。ボディビルや空手で体を鍛え、自衛隊には体験入隊しました。やがて、三島は民兵組織である「楯の会」を結成して、厳しい訓練を重ねるようになります。そして、1970(昭和45)年に、三島は最後の長編小説となった『豊饒の海』を書き上げました

市ヶ谷駐屯地で最期を迎える三島由紀夫

1970(昭和45)年11月25日、三島由紀夫と「楯の会」会員4名は、あらかじめ約束を取り付けていた益田兼利総監と面会するために陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ行きます面談の最中に、三島らは突然益田総監を拘束して人質としました。その後に三島はバルコニーに出て、自衛隊に決起を促す檄文を読み始めたのです。

しかし、三島の呼びかけに応える者はいませんでした。それを見届けた三島は室内に戻り、隊員1名とともに割腹自殺45歳にして三島は亡くなったのです。『蓮田善明とその死』の作者である小高根二郎へ宛てた手紙では、三島は「蓮田氏の立派な最期を羨むほかなす術を知りません」などとしたためていました

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三島由紀夫の小説『憂国』『英霊の聲』と戯曲『十日の菊』の3つは、合わせて「二・二六事件三部作」と呼ばれているな。三島にとって二・二六事件は、11歳の時にリアルタイムで起きた事件なのだ。終戦も20歳の時に迎えており、死というものが三島にとっては身近な存在であったといえるだろう。もちろん蓮田善明の存在も、三島の思想に影響を与えていたのはいうまでもない。

蓮田善明は三島由紀夫の生き方そのものに多大な影響を与えた

蓮田善明は、昭和初期から戦時中にかけて活躍した国文学者です。蓮田が編集を務めた『文藝文化』で、三島由紀夫は世に送り出されました。日本古来の価値観を重要視する蓮田の評論は、三島にも多大な影響を与えます。しかし、三島が蓮田から影響を受けたのは生き方そのものにもあったといえ、2人はともに40代で自ら命を落としました。

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