
端的に言えば三十振袖四十島田の意味は「若く見せる」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
語学好きで歴史好き、名古屋出身で7年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「三十振袖四十島田」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/eastflower
今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な7年目のライター、eastflower。「三十振袖四十島田」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。
「三十振袖四十島田」の意味は?
まず、「三十振袖四十島田」の国語辞典の意味を見ていきましょう。
1. 《30歳になっても振袖を着たり、40歳になっても島田を結ったりする意から》年配の女性が年齢不相応な若い服装や化粧をすること。特に年増(としま)の芸者などの若づくりをあざけっていうのに用いる。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「三十振袖・四十島田」
「三十振袖四十島田」の「三十振袖」(さんじゅうふりそで)は、三十歳になっても「振袖」(ふりそで)を着ることです。「振袖」とは、未婚の女性の第一礼服のことで、現在では成人式に振袖を着ることが習慣になっていますね。「振袖」と言われるとおり袖が長く、華やかで派手なのが特徴です。過去の日本では10代や20代で結婚する女性が多く、30代の未婚の女性は珍しかったのでしょう。
「三十振袖四十島田」の「四十島田」(しじゅうしまだ)とは、四十歳で島田(しまだ)と呼ばれる髪型をすることです。江戸時代には、若い人がする髪型だったことから四十歳になってもこの髪型をしている人は周りから若く見られたいという意識が高かったのかもしれませんね。「三十振袖四十島田」は辞書で説明されている通り、実年齢からは不相応な若い格好をしていることです。
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「三十振袖四十島田」の語源は?
次に「三十振袖四十島田」の語源を確認しておきましょう。「三十振袖四十島田」の江戸時代以降にできた言葉です。「三十振袖四十島田」の「振袖」が現代のような振袖のかたちになったのが江戸時代。また、「島田」という髪型ができたのも江戸時代の芸者が起源だと言われています。江戸時代、「振袖」や「島田の髪型」は若い人たちのファッションだったのでしょう。
そんな中、年を重ねた女性が若い人のファッションをしていたのを見て世間の人々は違和感を感じた。そんなところからできた言葉なのです。
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