「叛服常無し」の使い方・例文
「叛服常無し」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1. お金は生きる上で確かに大切だ。だが、四六時中、損か得かで物事を判断していては叛服常無しの言葉どおり方向性がふらつくことも多い。職業を選ぶにあたっては、やはり自分の好きなことを選ぶというのが基本じゃないかな?
2. 叛服常無しという言葉があるが人は皆、自分の利益にならないことには賛成しずらいものだ。だからといってこのまま昔の制度を維持していても中長期的な発展にはつながっていかないのも事実。ここは視点を変えて裏切者と言われても改革する必要性も考えてみてはどうだろうか?
「叛服常無し」は、態度が定まらないことを表す否定的な意味で使われる場合が多い言葉ですね。しかし、視点を変えて見てみると方向性が定まることもあります。そんな状況を例文にしてみました。
「風見鶏(かざみどり)」:情勢や権力者の意向によって立場を変える人
「叛服常無し」は背くときもあれば、服従することもあって態度がしっかりと定まらないことでしたが、そんな態度をとる人のことを、しばしば「風見鶏」(かざみどり)といいます。
「風見鶏」とは、もともとヨーロッパの寺院などで取り付けられている鶏にかたどった風の方向を見る風向計のことですが、その動きから周囲の状況や権力を持った人の意向によって方向性や立場を変える人の例えとしても使われるようになっていきました。特に昭和の時代に総理大臣になった優秀なある総理は、新聞やマスコミで風見鶏に例えられ、「風見鶏」は流行語になったこともありました。
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