日本史歴史江戸時代

5分でわかる蘭学!オランダ書物から実用的な学問が発展?開国論にも発展した蘭学を現役講師ライターが詳しく解説!

よぉ、桜木健二だ。江戸時代の学問にある蘭学という言葉を聞いたことはあるか。鎖国の中で唯一日本が交易を行っていたオランダの書物を日本語に翻訳することで、さまざまな学問研究が発達したのが、蘭学だ。蘭学は開国論まで発展することになる重要な学問なんだ。
今回はその蘭学を中世や近世の文化史に詳しい現役塾講師ライターの明東碧吾と一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/明東碧吾

現役の文系塾講師で、社会科の授業は生徒から定評を受けている。中世から近世にかけての文化史が特に好きで、自ら史跡に足を運び、文化財研究も行っている。

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蘭学ってなんだ?オランダの書物が日本の学問を発展させる

image by iStockphoto

蘭学は江戸時代に行われたオランダの書物を日本語に翻訳する学問です。西洋で研究されていた知識を書物を通して知ることで、日本でのさまざまな学問が発達する推進力になりました。しかし、なぜオランダの書物を翻訳することになったのでしょうか。当時の外交と蘭学の始まりを見ていきます。

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なぜオランダ?ヨーロッパの中でオランダだけ交易した理由

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Isaac Titsingh – Koninklijke Bibliotheek Bijzonderheden over Japan, behelzende een verslag van de huwelijks plegtigheden, begrafenissen en feesten der Japanezen, de gedenkschriften der laatste Japansche keizers, en andere merkwaardigheden nopens dat rijk, パブリック・ドメイン, リンクによる

日本とヨーロッパが交易を始めたのは1543年に種子島に鉄砲が伝来してからになることは有名ですね。このときの貿易相手国はポルトガルとスペインでした。これが南蛮貿易です。

南蛮貿易を進めていた日本ですが、キリスト教が伝来して広がっていくことで状況が変わりました。キリスト教を通じて日本が支配されるかもしれないと考えた豊臣秀吉や江戸幕府は禁教を行ったのです。1639年には江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止して、南蛮貿易は終わりました。

オランダはポルトガルやスペインと違い、キリスト教でもプロテスタントになります。キリスト教を布教しないことで貿易を許可されたオランダは日本との貿易をヨーロッパで独占的に行うことになったのです。

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蘭学の始まりは幕府から?海外に興味を持った江戸幕府

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不明 – Waseda.ac.jp [1], パブリック・ドメイン, リンクによる

蘭学の始まりには色々ありますが、もともとスペインやポルトガルとの関わりの中でも書物研究が行われていました。当時は南蛮の書物を使用していたので、蛮学または南蛮学と呼ばれています。

南蛮貿易がなくなり、鎖国という海外と極端に交易を行わない状況になったため南蛮学は廃れていったのです。鎖国下でローマ教皇の命を受けたシドッチが日本に上陸しました。シドッチはすぐに捕縛され、幕府は尋問を行います。

この尋問を行ったのが、正徳の治を行った新井白石です。新井白石はシドッチを尋問する中で世界地理などを聞き出し、「采覧異言」「西洋紀聞」を記します。新井白石がシドッチの尋問を通して、当時の国際情勢を記したことで幕府が世界に興味を出すきっかけとなりました。

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蘭学が開国へ!蘭学を学んだ開国論者たち

蘭学は研究が進む中で日本に実用的な学問を広げました。一方で、蘭学を研究する中で西欧の進んだ研究を目の当たりにし、鎖国をしている場合ではないと考える人たちも現れます。これらが開国論者です。

開国論を唱えた蘭学者は渡辺崋山高野長英がいます。どちらも幕府の鎖国政策を批判したため、幕府に処刑されたのです。この動きが幕末の尊王攘夷運動にも関わってきます。蘭学は日本の政治にも大きな影響を与えたのです。

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蘭学を発達させたのは甘藷先生?

シドッチの事件で海外事情に興味が湧いた江戸幕府ですが、蘭学が盛んになるのはもう少し後の時期になります。また、新井白石はオランダの書物の研究をしたわけではないので、厳密には蘭学という形にはなりません。

では、いつ蘭学が盛んになったのかというと八代将軍徳川吉宗が日本に甘薯を広めた青木昆陽などにオランダ語を学ぶように指示したことから江戸幕府を中心に蘭学が広まっていきます。では、本格的な蘭学の始まりから発展について見ていきましょう。

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蘭学の始まり!長崎の商人?天文学者?が海外を語る

蘭学の先駆とされているのは新井白石だけではありません。長崎で商人の家に生まれた西川如見がもう一人の蘭学の先駆です。西川如見は長崎で見聞した海外事情を通商の見地からまとめ、「華夷通商考」を記しました。

西川如見は天文学者でもあり、ヨーロッパの天文学説を理解した上で、徳川吉宗の天文に関する質問を受けた人物でもあります。長崎の商人だからこそ得られる情報を駆使して、海外事情やヨーロッパの最新学説をまとめ上げたのです。

また、「増補華夷通商考」の中では日本で初めて南北アメリカについて紹介し、鎖国下の中で積極的に海外情報を出していきました。

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暴れん坊将軍、蘭学に興味を示す?

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狩野忠信 – The Japanese book “Exhibition of the Treasures and Papers of the Tokugawa Shogunal Household”, パブリック・ドメイン, リンクによる

江戸幕府八代目将軍徳川吉宗は享保の改革の中で、洋書の漢訳本輸入の制限を1720年に緩和しました。また、蘭学の発展のきっかけになった甘藷先生こと青木昆陽や幕府の本草学者である野呂元丈にオランダ語を学ぶ指令を出したのです。

徳川吉宗は好奇心が強い性格をしていたため、長崎から入ってくる海外事情などを含めて洋書の輸入制限を緩和することで、海外事情や海外の先進的な学問を日本に導入しようとしました。結果、オランダの書物が入ってくることで、蘭学が始まります。そして、蘭学ブームが起きたのです。

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幕府は蘭学で技術吸収を中心に行っていたんだ。その中で、暦を研究する天文方を暦の研究の天文と測量、翻訳の3つの部署に分けたんだ。測量では伊能忠敬が日本を歩いて日本地図を正確に測量して作ったことは有名だな。翻訳の部署として蛮書和解御用を1811年に設置したんだ。そして、1856年に蕃書調所に改称してヨーロッパの技術習得を進めていったんだ。天文方の部署を分けたのは高橋景保の進言で実現したことなんだ。

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医学書完成!蘭学が日本の学問を発展させる

蘭学で有名な書物が「解体新書」です。「解体新書」を皮切りにさまざまな蘭学の書物が出されたり、ヨーロッパの実用物などが日本でも再現されるようになりました。また、外国の書物を日本語にすることや実際に外国人などに話を聞く中で、幕府の政策について考えるようにもなっていきます。

では、蘭学ではどのようなものが作り出されたのかを見ていきましょう。

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「解体新書」で西洋医学が広まる!

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Babi Hijau – Photo taken by own, パブリック・ドメイン, リンクによる

「解体新書」前野良沢杉田玄白がオランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」を日本語訳したものです。実際の医学的見地も踏まえて作成され、当時の西洋医学の先進性を理解することになりました。

この「解体新書」の作成には桂川甫周中川淳庵らも参加し、苦戦を強いられながらも3年以上をかけて完成に至ったのです。このときの苦戦した状況などは杉田玄白の「蘭学事始」に記述されています。

また、前野良沢は「解体新書」を作成したメンバーの中で最もオランダ語に精通していましたが、「解体新書」の執筆メンバーに名前を加えませんでした。前野良沢は「解体新書」の日本語訳に不備があることを恥じて、名前を出さなかったとされています。しかし、「解体新書」の日本語訳は奇跡に近いぐらい精密であったと評価されているのです。

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