現代社会

1970年代に社会を震撼させた「連続企業爆破事件」とは?事件の全容や犯行グループなどを歴史好きライターが分かりやすくわかりやすく解説

連続企業爆破事件の犯人逮捕とその後への影響

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連続企業爆破事件は、最初の事件発生から半年以上も経ったのちに犯人が逮捕されます。犯人逮捕の様子と、事件が与えた影響を見ていくことにしましょう。

東アジア反日武装戦線のメンバーを一斉検挙

連続企業爆破事件では、犯行声明文が犯行グループより公開されていました。そこに書かれていた思想などから、当局は極左グループによる犯行ではないかと推測。グループのメンバーをマークするようになります。懸命な捜査を続けていくうちに、犯行につながるであろう不審な動きを感知しました。

1975(昭和50)年5月19日、東アジア反日武装戦線の主要メンバー7名とその協力者1名が一斉検挙されました。しかし、逮捕直後に1名が隠し持っていたカプセルで服毒自殺します。さらに、東アジア反日武装戦線の残るメンバー2名をすぐに検挙することができませんでした。

事件後にも多発するテロ

1970年代は、国内外で日本人によるテロ事件が多発しました。1970(昭和45)年には、共産主義者同盟赤軍派によるよど号ハイジャック事件が発生。日本で最初のハイジャック事件が起きました。1972年の連合赤軍によるあさま山荘事件は連日テレビで中継され、高視聴率を記録しています。

連続企業爆破事件が起きた後も、テロ事件は収まりませんでした。特に日本赤軍は、大使館を占拠したクアラルンプール事件や、ダッカ日航機ハイジャック事件などを起こしています。1980年代以降は潜伏したため、テログループを追跡することが困難になりました。それでも捜査は続けられ、容疑者は次々と逮捕されています。

国内外に事件の容疑者が逃亡

数々のテロ事件は、勾留中の東アジア反日武装戦線のメンバーにも影響を与えます。1975(昭和50)年のクアラルンプール事件では東アジア反日武装戦線のメンバー1名を、1977(昭和52)年のダッカ事件ではメンバー2名を、いずれも日本赤軍が釈放を要求しました。3名は釈放され、のちに日本赤軍に合流します。

海外へ逃亡した3名のうち、1名は日本に向かう旅客機内で逮捕され、裁判後に刑が確定しました。勾留されていたメンバーにも、死刑判決などが下されます。しかし、国内に逃亡した2名中1名は逮捕されましたが、残る1名は2022年現在も指名手配中です。海外に逃げた2名も、依然として国際指名手配になっています。

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1995年には、世界でも類を見ない大都市での化学兵器テロ「地下鉄サリン事件」が起こった。世界に目を向けても、2001年にアメリカで「同時多発テロ事件」が発生している。21世紀に入っても、テロ事件が無くならないことはとても悲しいことだ。特に若者には、「テロは絶対に許されてはならない」という確固たる信念を持ってほしいものだな。

テロ事件は断固阻止しなければならない

1974年から75年にかけて、日本で連続企業爆破事件が発生しました。標的となったのは大企業がほとんどでしたが、犯行グループが事件を起こした動機は、常識的には理解できないものでした。事件発生から半年以上が経過して、犯行グループは逮捕されましたが、21世紀になった今も逃亡中の容疑者がいます。今も無くならないテロ事件は決して許されるものではなく、断固として阻止しなければなりません。

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