この記事では「山高きが故に貴からず」について解説する。

端的に言えば山高きが故に貴からずの意味は「物事を見た目で判断してはいけないことのたとえ」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

教師や講師としても教えることに関わってきた「やぎしち」を呼んです。一緒に「山高きが故に貴からず」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/やぎしち

雑学からビジネス文章まで手掛ける現役ライター。国語の中学・高校教諭の資格も持ち、予備校講師の経験も。言葉を大切にした文章を心掛けている。

「山高きが故に貴からず」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「山高きが故に貴(たっと)からず」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「山高きが故に貴からず」の意味は?

「山高きが故に貴からず」には、次のような意味があります。

《「実語教」の「山高きが故に貴からず、樹あるを以もって貴しと為す」から》どんなに外観がりっぱであっても、内容が伴わなければすぐれているとはいえない。物事は見かけだけで判断するなというたとえ。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「山高きが故に貴からず」

この言葉は、「外見が立派そうであっても、それだけでは優れているとは言えない」ということをたとえたことわざです。

読んでそのまま、「山が高いからという理由で貴いわけではない」という意味で、細かい文法はわからなくてもニュアンスが感じ取れるのではないでしょうか。その意味が転じて、山以外の様々なことに対しても使われるのもわかりやすいですね。問題などで見かけた場合は、落としたくない慣用表現です。

ちなみに、この言葉には更に続きがあるのですが…それは、次の語源の項で解説します。

「山高きが故に貴からず」の語源は?

次に「山高きが故に貴からず」の語源を確認しておきましょう。この言葉は、江戸時代に寺子屋の教科書などで使われた『実語教(じつごきょう)』に見ることができます。

そこに「山高故不貴 以有樹為貴(山高きが故に貴からず、樹有る以て貴しとなす)」という記述があり、これが広く使われるようになったと言われているのです。実は後半部分があり、「山」についてだけではなく「樹があるために貴いのだ」という文章が続いていたことがわかりますね。

「樹」とは、大地に根を下ろして葉を付けるもの。このことわざが物事や人に対して使われるとしたら、「樹」とは何を指しているのか、自分なりに想像してみると理解が深まるでしょう。

\次のページで「「山高きが故に貴からず」の使い方・例文」を解説!/

「山高きが故に貴からず」の使い方・例文

「山高きが故に貴からず」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

・いつも髪型や見た目を気にしているのにモテないという彼だけれど、山高きが故に貴からずで中身を重視する人が多いからかもしれない。
・山高きが故に貴からずというように、京都の高級料理店からのれん分けしたあのお店は外見が良かっただけで、すぐにお客さんが来なくなってしまった。
・山高きが故に貴からずにならないよう内面磨きを欠かさないでいると、結果的に外見も良くなってくるのではないだろうか。

「外見が立派であっても、それで優れているとは言えない」というニュアンスが伝わりましたでしょうか。「山高き」で、一見すると立派そうにも見える、ということもポイント。「見た目が悪いけど、実は良い」という意味には使えません。

また、語源の項でも解説したように、この表現の後ろにはもともと他の「大切なこと」が記載されていました。現代でもことわざとして使われた場合、「では何が大切だと言っているのか?」まで意識して読み込むようにしてください。

たとえば例文一番目ならば、「容姿ではなく、中身が重要だ」ということですね。「外見で判断してはいけない」とのみ述べられている文章だったとしても、その背景には大切だと言いたいことがあるはず。読解のポイントのため、見逃さないようにしましょう。

「山高きが故に貴からず」の類義語は?違いは?

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「山高きが故に貴からず」の類義語は「人は見かけによらない」が挙げられます。

人は見かけによらない:人の内面は、外見とは異なっている

これは「人間の内面は見かけとは異なっている」という意味のことわざです。良い意味にも悪い意味にも使えるのがポイントで、良し悪しのどちらなのかは文脈から読み取る必要があります。

「見た目が良い→悪い人だった」「見た目が良くない→良い人だった」というように、ですね。「意外」や「思っていたよりも~」と、驚きの感情が強く表れていることも多くあるでしょう。

なお、辞書によっては「人は見かけによらぬもの」という言い方もありました。こちらも押さえておきましょう。

\次のページで「「山高きが故に貴からず」の対義語は?」を解説!/

人は見かけによらないと言うけれど、もしかするとそれには、不良が少しの良い事をしたらとてもよく見えるような、ギャップ効果も含まれているのかもしれない。

「山高きが故に貴からず」の対義語は?

「山高きが故に貴からず」の対義語として、「竜章鳳姿(りゅうしょうほうし)」を紹介します。

竜章鳳姿:内面の素晴らしさが、外面にも表れていること

これは、「内面の素晴らしさが、外面にも表れている」という意味の四字熟語です。外見と内面の不一致について言う「山高きが故に貴からず」とは反対になっていますね。

ちなみにこの言葉、もともとは「竜章=竜のような勇ましさが表れていること」、「鳳姿=鳳凰のような気高い姿」と、姿の素晴らしさについてのみ述べる言葉だったそう。

それが「内面の素晴らしさ」ありきの意味で使われれるようになったのは、本当に優れている人というのは、内面外面の両方を兼ね備えているものである、という考えが広まっていったからなのかもしれませんね。

礼儀正しく何事にも丁寧な生徒会長は、いつも学生服にひとつの乱れもなく、竜章鳳姿とはあのようなことを言うのだと思ってしまった。

「山高きが故に貴からず」の英訳は?

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「山高きが故に貴からず」の英訳は「All is not gold that glitters」で表すことができます。

「All is not gold that glitters」:外見が光っているからと言って素晴らしいものと思ってはならない

これは直訳すれば「光るものすべてが、黄金とは限らない」という意味になることわざです。「外見が光っているからと言って、黄金=素晴らしいものと思ってはならない」と、「山高きが故に貴からず」を表しています。

日本語にも、金色に塗装することを「金メッキ」と言い、「メッキが剥がれる」という慣用表現がありますね。「外面の嘘が見破られ中身がダメなことがバレてしまうこと」という意味です。

それほど金は高価であること、そのために金を偽装する者がたくさんいたことがどちらの文化圏にもいたことがわかります。金の輝きとはどこにおいても、人を惹きつけてしまうのですね。

\次のページで「「山高きが故に貴からず」を使いこなそう」を解説!/

She always wears expensive clothes, which is exactly "all is not gold that glitters."
彼女はいつも高価な服を着ているが、あれはまさに”山高きが故に貴からず”だ。

「山高きが故に貴からず」を使いこなそう

この記事では「山高きが故に貴からず」の意味・使い方・類語などを説明しました。

「外見だけ良くて中身が伴っていない(ことが良くない)」とは、日常的にも言われることですね。ただそれは「内面だけが良ければいい」わけではなく、「外見を気にしていることが悪い」のでもありませんね。

どちらかに偏り過ぎることなく、双方を大切にできるようにありたいものです。

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【ことわざ】「山高きが故に貴からず」の意味や使い方は?例文や類語を元予備校講師がわかりやすく解説!

この記事では「山高きが故に貴からず」について解説する。

端的に言えば山高きが故に貴からずの意味は「物事を見た目で判断してはいけないことのたとえ」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

教師や講師としても教えることに関わってきた「やぎしち」を呼んです。一緒に「山高きが故に貴からず」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/やぎしち

雑学からビジネス文章まで手掛ける現役ライター。国語の中学・高校教諭の資格も持ち、予備校講師の経験も。言葉を大切にした文章を心掛けている。

「山高きが故に貴からず」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「山高きが故に貴(たっと)からず」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「山高きが故に貴からず」の意味は?

「山高きが故に貴からず」には、次のような意味があります。

《「実語教」の「山高きが故に貴からず、樹あるを以もって貴しと為す」から》どんなに外観がりっぱであっても、内容が伴わなければすぐれているとはいえない。物事は見かけだけで判断するなというたとえ。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「山高きが故に貴からず」

この言葉は、「外見が立派そうであっても、それだけでは優れているとは言えない」ということをたとえたことわざです。

読んでそのまま、「山が高いからという理由で貴いわけではない」という意味で、細かい文法はわからなくてもニュアンスが感じ取れるのではないでしょうか。その意味が転じて、山以外の様々なことに対しても使われるのもわかりやすいですね。問題などで見かけた場合は、落としたくない慣用表現です。

ちなみに、この言葉には更に続きがあるのですが…それは、次の語源の項で解説します。

「山高きが故に貴からず」の語源は?

次に「山高きが故に貴からず」の語源を確認しておきましょう。この言葉は、江戸時代に寺子屋の教科書などで使われた『実語教(じつごきょう)』に見ることができます。

そこに「山高故不貴 以有樹為貴(山高きが故に貴からず、樹有る以て貴しとなす)」という記述があり、これが広く使われるようになったと言われているのです。実は後半部分があり、「山」についてだけではなく「樹があるために貴いのだ」という文章が続いていたことがわかりますね。

「樹」とは、大地に根を下ろして葉を付けるもの。このことわざが物事や人に対して使われるとしたら、「樹」とは何を指しているのか、自分なりに想像してみると理解が深まるでしょう。

\次のページで「「山高きが故に貴からず」の使い方・例文」を解説!/

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