3分で簡単「川瀬巴水」なぜ海外でも人気?生い立ちや代表作も歴史好きライターが詳しくわかりやすく解説
国内を精力的に旅して回る
川瀬巴水は、「旅する版画家」と呼ばれました。全国各地を旅して回り、精力的に取材した結果を作品に反映させたからです。特に連作である「旅みやげ」は第3集まで発表され、彼の作風を確立していくこととなります。1923(大正12)年には関東大震災に被災し、多くのスケッチ画を焼失しましたが、すぐに西日本への写生旅行に出掛けました。
そんな川瀬にも、スランプといえる時期がありました。版元が「この時代の巴水はよくない」と評したほどです。しかし、当時は日本領だった朝鮮へ旅行したのをきっかけとして、大胆な構図と繊細な描写を取り戻すようになります。川瀬の創作活動は1957(昭和32)年に亡くなるまで続きました。
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塩原三部作
川瀬巴水の初期の傑作とされるのが「塩原三部作」です。琵琶湖周辺の風景を描いた伊東深水の作品「近江八景」を見ると感銘を受け、川瀬は「塩原三部作」を手掛けるようになりました。東京生まれの川瀬でしたが、幼い頃にはよく栃木県の塩原を訪れており、彼にとって塩原は慣れ親しんだ土地でした。
「塩原三部作」は、『塩原おかね路』『塩原畑下り』『塩原しほがま』の3作品からなります。掛け軸のような縦長の作品からは、旅の風情などが感じられるでしょう。また、従来の版画にはないグラデーションなどの技法が導入されており、新版画の趣向が見られる作品となっています。
東京二十景
川瀬巴水が題材としたのは、旅で訪れた場所だけではありませんでした。生まれ育った東京の風景も、川瀬の作品に多く取り上げられています。川瀬が日本画に転向して間もない頃には、すでに「東京十二題」という版画のシリーズを手掛けていました。東京の四季折々の風景を、多色刷りの版画で情感豊かに表現しています。
川瀬は、1930(昭和5)年に「東京二十景」を完成させました。関東大震災から復興していく東京の姿を、新版画の技法でありありと描写しています。中でも人気なのが、『芝 増上寺』です。建物の赤と雪の白が鮮やかなコントラストを形成しており、ぼかしなどの技法が効果的に使われているのは新版画ならではでしょう。
増上寺之雪
1952(昭和27)年の文部省文化財保護委員会無形文化課(当時)では、伝統的な木版技術記録を作成して、それらを永久保存することが取り決められました。伝統的木版技術保持者として制作者に選ばれたのが、川瀬巴水でした。その依頼を受けて川瀬が完成させたのが、『増上寺之雪』(増上寺の雪)となります。
川瀬が戦後に残した作品は少なく、『増上寺之雪』はそのうちの貴重な1つです。さらに、題材となった増上寺の三解脱門(さんげだつもん)は、建立から400年ほど経過する今も当時の姿を残しています。作品で見られるアングルは、現在ではビルがそびえ立っているため、制作当時の風景を再現した貴重なものといえるでしょう。
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