「塵芥集」:陸奥の戦国大名伊達氏の分国法で、伊達稙宗によって作られました。
「結城氏新法度」:下総の戦国武将結城氏の分国法で、結城政勝によって作られました。
「今川仮名目録」:駿河の戦国武将今川氏の分国法で、今川氏親によって作られました。
「甲州法度之次第」:甲斐の戦国大名武田氏の分国法で、武田信玄によって作られました。
「六角氏式目」:南近江の戦国武将六角氏の分国法。
「大内氏掟書」:周防の戦国大名大内氏の分国法。
「新加制式」:阿波の戦国大名三好氏の分国法で、三好家の家臣篠原長房が作りました。
「長宗我部氏掟書」:土佐の戦国大名長宗我部氏の分国法で、長宗我部元親と盛親親子によって作られました。
「相良氏法度」:肥後戦国大名相良氏の分国法で、相良為続が作りました。
戦国大名が領地支配をするために分国法を立てたことから、内容が似ている点もあれば、違う点もあります。また、領地支配を行う中で時期によって、必要内容が変化したため追加などを行っている分国法もあるのです。
ただ、六角氏の「六角氏式目」は家臣が条文を起草し、大名の権力を規制している唯一の分国法になります。六角義賢と義治父子が承認する形で定められました。六角氏の権威が下がる中で、家臣との団結をすることになったのです。
家法ってどんな内容だった?戦国武将の領地支配の考え方
家法は戦国大名の家訓のようなものでした。では、どのような考え方で領地を支配していたのでしょうか。家法に分類される2つの法律を見ながら考えていきましょう。
【家法1】早雲寺殿廿一箇条とは

不明 – 小田原城天守閣所蔵。http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/Leisure/Castle/j_kouen.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
北条氏の家法である「早雲寺殿廿一箇条」は主君への奉仕の仕方をはじめ、神仏の崇拝や礼儀作法、文武の鍛錬などを21個の条文として取り上げています。各条文は漢文で短く表記してあり、簡潔明瞭な家法です。
中でも十七条では友人との付き合いについて言及しています。「可撰朋友事」と言って、友とする者はよく選ぶことと条文に規定し、友人を選ぶ大切さを訴えているのです。また、十二条で「讀書事」(書を読むこと)や十五条の「可学歌道事」(歌道を学び品性を養うこと)と述べ、学問の重要性を訴えた上で、二十一条で「文武弓馬道事」(文武両道を旨とすること)と文武両道を大事にするように伝えています。
【家法2】朝倉孝景条々とは

Unknown. 不明。 – Owned by Shingetsu-ji in Fukui, Fukui. 福井県福井市心月寺蔵。(http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/B16/B161.htm), パブリック・ドメイン, リンクによる
「朝倉孝景条々」は天下一の極悪人とも呼ばれる朝倉孝景が作った朝倉家の家法です。朝倉孝景は甘露寺親長の日記では天下悪事始行の張本と評されています。
朝倉孝景が極悪人と言われるのは性格が合理的だったことが原因です。その性格は家法の中でも反映されています。「朝倉家に於ては宿老を定むべからず。その身の器用忠節によりて申し付くべき事」と述べ、実力主義を採用して世襲制を廃止しているのです。戦国武将は家柄を存続することに注力していました。つまり、この内容は当時の社会からするとかなり革新的な内容になるのです。
また、「名作之刀さのみ被好間敷候,其故は万疋之太刀を持たり共百筋之鑓には勝間敷候,万疋を以て百筋之鑓を求百人為持候は一方は可防候。」と述べ、高価な武具を買うのではなく、同じお金で実用性のある武器を多く買うことで倹約を呼びかけました。
朝倉孝景の合理的な性格が反映された分国法になっています。
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