今回は「グラハム・ベルの功績」について解説していきます。

ベルは19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した発明家です。彼の発明品の中で最も有名なものは電話です。そして、電話の発明に関するエピソードの中では、2人の日本人が登場します。つまり、ベルには発明家という側面だけでなく、親日家という側面も存在する。この記事の中ではベルがどのような人生を送り、その中でどのような発明を残したのかを詳しく解説していきます。ぜひこの機会に、「グラハム・ベルの功績」についての理解を深めてくれ。

塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。

ライター/通りすがりのペンギン船長

現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。

ベルの人物像を知ろう!

image by iStockphoto

皆さんは、グラハム・ベルという人物をご存じでしょうか?世間的な知名度は決して高くありませんが、実は電話を発明した人物がベルなのです。上記の写真は、ベルの名前と電話のイラストが載った記念切手ですよ。現代を生きる私たちにとって、電話がない暮らしは考えられませんから、ベルの発見がいかに偉大なのかを理解できますよね。

この記事では、ベルがどのような経緯で電話を発明したのかその電話はどのような仕組みだったのか、といった点を深掘りしていきます。また、ベルは日本にゆかりのある人物ですので、それに関連するエピソードもご紹介しますね。最初は、ベルがどのような人生を送ったのかを知り、彼の人物像を明らかにしていきます。

ベルの生い立ち

1847年にベルはスコットランドで生まれました。ベルは幼いころから好奇心が旺盛で、植物標本作り実験を楽しんでいたようです。また、ベルの母が聴覚障がいをもっていたこともあり、彼は音響学や発音法について独学をしていましたよ。

また、ベルの発明家としての才能を持っていたことを実感できる幼少期のエピソードもあります。父が製粉所を営んでいる友人のために、ベルは脱穀機を発明したのです。この脱穀機は非常に便利だということで気に入られ、数年間使われたそうですよ。

発明家としての活躍

発明家としての活躍

image by Study-Z編集部

ベルは成年後に北アメリカ大陸へと渡り、その後ボストン大学で発声生理学と弁論術を扱う教授となります。そのころ、ベルは音を遠くに伝送させる方法の研究をはじめます。これが後に電話機の発明につながるのです。

また、ベルは電話機以外にも、フォトフォン(光電話)金属探知機に関する研究を行っており、それらの分野における実績を数多く残していますよ。このような実績が認められて、ベルにはボルタ賞やエジソンメダルが授与されているのです

\次のページで「晩年のベル」を解説!/

晩年のベル

ベルは余生の大半を、ケープ・ブレトン島のバデックという村で、妻のメイベルと過ごしました。ですが、1922年には糖尿病が原因の合併症により、ベルは75歳で亡くなってしまいます

ベルの死を受けて、当時のカナダ首相はベルの一家に、電話の発明をたたえる内容の電報を打ったそうです。このエピソードからもベルの発明が世の中に大きな影響を与えたということが納得できますよね。

電話の発明

image by iStockphoto

ここからは、ベルが発明した電話について詳しく解説していきます。最初に、ベルが発明した電話の仕組みを物理学・工学の視点で述べますね。その後、ベルとある日本人のエピソードベルの電話をめぐる裁判についてご紹介しますよ。

以上の説明だけでも、ベルは電話をめぐって紆余曲折あったことがわかりますよね。それでは、ベルの電話発明物語をお楽しみください

ベルが発明した電話の仕組み

ベルの電話の仕組みは、話し手側の声を電気信号に変換し、聞き手側でその電気信号を音声に戻すというものでした。話し手側の装置では、声を振動版にあてて、その振動を電磁誘導で電気に変換していました。聞き手側の装置では、電磁石に電気信号を流し、それを鉄板に近づけることで空気を振動させていましたよ。

本質的には、現在の電話機の仕組みと変わりありません。ですが、当時は電気信号の増幅技術が未熟で、話し手は大声で受話器に向かって話す必要があったそうですよ

日本人の目に留まったベルの電話

米国に留学中であった伊沢修二金子堅太郎は、ベルの電話を見て感銘を受けます。そして、この二人の人物が日本の官僚と繋がりがあったこともあり、1877年には工部省が世界に先駆けて電話機の輸入をはじめますよ。そして、1890年には日本国内で電話サービスが始まるのです。

このようなきっかけで、ベルは日本を何度も訪れるような親日的な人物になります。また、ベルは明治天皇からの勲章を受け取った数少ない外国人でもありますよ

\次のページで「電話の特許をめぐる裁判」を解説!/

電話の特許をめぐる裁判

ベルが発明した電話の特許はアメリカの特許庁に受理されており、ベルは世界ではじめて電話を実用化した人物として認められています。しかしながら、ベルの特許提出のわずか2時間後に電話の特許を申請した人物がいるのです。それはグレイという人物でした。

ベルはグレイと何度も裁判で戦い、自身の主張を訴えました。この裁判は、米国の最高裁判所にまで持ち込まれたようです。ベルはグレイに一度も敗訴することなく、最終的に自身の特許を守ることができました

ベルが残した数々の発明

ベルが発明したものと言えば、電話ですが、それ以外の分野においてもヘルツは大きな成果を残しています。ここでは、具体的にフォトフォン(光電話)・金属探知機について述べますね

各発明品の仕組みはどのようになっているのかそれぞれの発明がどのようなきっかけでなされたのかといった点に注目して、記事を読み進めてみてくださいね。

フォトフォン(光電話)

Photophone transmitter 4074931746 9f996df841 b.jpg
不明 - https://www.flickr.com/photos/fdctsevilla/4074931746/, パブリック・ドメイン, リンクによる

フォトフォン(光電話)は、光を用いて音声を伝達する装置のことです。この装置はベルとその助手であるテインターの手によって発明されました。話し手側の装置は、声で平面鏡を振動させ、そこで光を反射させるというものです。声の強弱で鏡の振動具合も変化し、反射光の強度も変化します。この反射光を聞き手側に届けるのです。

聞き手側の装置では反射光を集め、それを光素子として振る舞うセレンに照射しますよ。セレンは光の強度で電気抵抗が変化するので、光信号を電気信号に変換できるのです。この電気信号をスピーカーに流すと、話し手の声が聞こえるという仕組みですね。

\次のページで「金属探知機」を解説!/

金属探知機

image by iStockphoto

1881年、当時の米国大統領であったジェームズ・エイブラム・ガーフィールドに依頼され、ベルは金属探知機を発明します。ガーフィールド大統領が暗殺者によって撃たれたので、体内の弾丸を取り出すために、その位置を知る必要があったのです。しかしながら、弾丸が大統領の体の深い場所にあったため、ベルの金属探知機では弾丸の発見はできませんでした。

ただ、ベルの金属探知機の仕組みは間違っていた訳ではありませんでした後に、金属探知機の仕組みは論文でまとめられ、アメリカ科学振興協会に提出されたのです

ベルという人物について学ぶ意義

ベルは私たちの生活に欠かせない電話を発明した偉人です。ですが、ベルにはもう一つ興味深いプロフィールがあります。それは日本にゆかりのある人物であり、彼が親日家であることです。実際、ベルが電話を発明したことは知っているが、明治政府の工部省がいち早くベルの電話機を輸入したというエピソードは聞いたことがないという方も多いことでしょう。

今回は、以上のような豆知識も併せて、ベルの発明について解説しました。ぜひこの機会に、ベルという発明家について学んでみてくださいね。

" /> 3分で簡単グラハム・ベルの功績!日本にもゆかりがある?電話を発明した偉人について理系学生ライターが徹底わかりやすく解説 – ページ 2 – Study-Z
物理理科電磁気学・光学・天文学

3分で簡単グラハム・ベルの功績!日本にもゆかりがある?電話を発明した偉人について理系学生ライターが徹底わかりやすく解説

晩年のベル

ベルは余生の大半を、ケープ・ブレトン島のバデックという村で、妻のメイベルと過ごしました。ですが、1922年には糖尿病が原因の合併症により、ベルは75歳で亡くなってしまいます

ベルの死を受けて、当時のカナダ首相はベルの一家に、電話の発明をたたえる内容の電報を打ったそうです。このエピソードからもベルの発明が世の中に大きな影響を与えたということが納得できますよね。

電話の発明

image by iStockphoto

ここからは、ベルが発明した電話について詳しく解説していきます。最初に、ベルが発明した電話の仕組みを物理学・工学の視点で述べますね。その後、ベルとある日本人のエピソードベルの電話をめぐる裁判についてご紹介しますよ。

以上の説明だけでも、ベルは電話をめぐって紆余曲折あったことがわかりますよね。それでは、ベルの電話発明物語をお楽しみください

ベルが発明した電話の仕組み

ベルの電話の仕組みは、話し手側の声を電気信号に変換し、聞き手側でその電気信号を音声に戻すというものでした。話し手側の装置では、声を振動版にあてて、その振動を電磁誘導で電気に変換していました。聞き手側の装置では、電磁石に電気信号を流し、それを鉄板に近づけることで空気を振動させていましたよ。

本質的には、現在の電話機の仕組みと変わりありません。ですが、当時は電気信号の増幅技術が未熟で、話し手は大声で受話器に向かって話す必要があったそうですよ

日本人の目に留まったベルの電話

米国に留学中であった伊沢修二金子堅太郎は、ベルの電話を見て感銘を受けます。そして、この二人の人物が日本の官僚と繋がりがあったこともあり、1877年には工部省が世界に先駆けて電話機の輸入をはじめますよ。そして、1890年には日本国内で電話サービスが始まるのです。

このようなきっかけで、ベルは日本を何度も訪れるような親日的な人物になります。また、ベルは明治天皇からの勲章を受け取った数少ない外国人でもありますよ

\次のページで「電話の特許をめぐる裁判」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: