ボルツマンは、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した物理学者です。彼は、熱力学の派生である統計力学という学問分野を立ち上げ、粒子の運動についての人類の知見を大きく広げた人物です。この記事の中ではボルツマンという学者がどのような人生を送り、その中でどのような成果を残したのかを詳しく解説していきます。ぜひこの機会に、「ルートヴィッヒ・ボルツマンの功績」についての理解を深めてくれ。
塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。
ライター/通りすがりのペンギン船長
現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。
ボルツマンのプロフィールを知ろう!
By Unknown author – Universität Graz, Public Domain, Link
皆さんは、ボルツマンという学者のことをご存知でしょうか?本名は『ルートヴィッヒ・ボルツマン』ですよ。写真の真ん中に写っている人物がボルツマンです。物理学を詳しく学んでいる方なら一度は聞いたことがある名前でしょうが、一般的な知名度は決して高くはありません。
しかしながら、彼の発見は人類の文明を大きく前進させることに貢献したものばかりですよ。この記事では、ボルツマンが最も大きな成果を残した分野である熱力学のエピソードを中心に、彼がいかに偉大な学者であったかを解明していきますよ。まずは手始めに、ボルツマンのプロフィールを紹介します。これを知ると、ボルツマンの人物像が浮かんでくるでしょう。
ボルツマンの生い立ち
1844年、ボルツマンはオーストリアのウィーンで生まれました。ウィーンは音楽の都と称されることがありますが、そのような背景もあって、ボルツマンは少年時代にピアノを習得しています。
また、ボルツマンは幼いころ植物や昆虫に興味を持っており、特に蝶を集めることが好きだったようです。以上のようなエピソードから、ボルツマンが好奇心旺盛な性格であったことが伺い知れますよね。
学者として活躍したボルツマン
image by Study-Z編集部
ボルツマンは、ウィーン大学を卒業した後、シュテファンのもとで研究を行うようになりました。後に、シュテファンとボルツマンは、『シュテファン・ボルツマンの法則』を発表することになります。このとき、ボルツマンはグラーツ大学で助教授を務めていました。
その後、ボルツマンは気体分子運動論に興味を持ち、統計力学という学問分野を立ち上げます。この学問分野で、ボルツマンは『ボルツマンの関係式』という世紀の大発見をすることになるのです。このような成果もあり、ボルツマンの墓石にはボルツマンの関係式が刻み込まれていますよ。ここで紹介した法則や式の内容は後のチャプターで詳しく説明しますね。
こちらの記事もおすすめ
「気体分子運動論」はどんな理論?理系学生ライターがわかりやすく解説
\次のページで「晩年のボルツマン」を解説!/