今回は、「ハインリヒ・ヘルツの功績」について解説していきます。

ヘルツは、19世紀に活躍した物理学者の1人で、電磁波の存在を証明した人物です。ヘルツの発見は電波による無線通信時代が到来させたぞ。そして、彼の名は周波数の単位であるHz(ヘルツ)の由来にもなっている。この記事の中ではヘルツが人生の中でどのような成果を残したのかを詳しく解説していきます。ぜひこの機会に、「ハインリヒ・ヘルツの功績」についての理解を深めてくれ。

塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。

ライター/通りすがりのペンギン船長

現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。

ヘルツの人物像を知ろう!

Heinrich Hertz Deutsche-200-1Kcs.jpg
By Deutsche Bundespost - Deutsche Bundespost, Public Domain, Link

皆さんは、ハインリヒ・ヘルツという物理学者のことをご存知でしょうか?上記の画像は、ヘルツのイラストが載っている記念切手ですよ。イメージがわかない方も多いかもしれませんが、実は周波数の単位であるHz(ヘルツ)は彼の名前が由来となっています

この記事では、ヘルツが学者としてどのような実績を残し、それが世の中にどのような影響を与えたのかという点を深掘りしていきましょう。記事の前半では、手始めにヘルツの生涯を通史的に述べ、彼の人物像を明らかにしていきますね。それでは早速、解説をはじめます。

ヘルツの生い立ち

1857年、ヘルツはドイツのハンブルクで生まれました。彼の家庭は比較的裕福であり、父は弁護士、母は医者の娘でした。ヘルツは幼いころから好奇心が強く、科学における才能も早い時期からあらわれるようになります

また、彼は語学にも堪能で、アラビア語とサンスクリット語を学んでいたそうです。以上のようなエピソードから、ヘルツがいかに多才な人物であったかが伺い知れますよね

ヘルツと学問の出会い

ヘルツと学問の出会い

image by Study-Z編集部

ヘルツは進学後、ドイツのドレスデン・ミュンヘン・ベルリンで工学を学びます。そして、1880年にはヘルムホルツのもとで、気象学の研究に参加し、複数の論文を発表するようになるのです。

1885年にはカールスルーエ工科大学へと移り、教授となりますよ。そこでヘルツはマクスウェルの影響を受けて、電磁気学の研究に没頭することになります。その後、ヘルツは電磁波の存在を証明しますよ。これについては、後のチャプターで詳しく解説しますね。

晩年のヘルツ

1892年、ヘルツは感染症により激しい偏頭痛を患い、何度か手術を受けることになります。ですが、ヘルツの容態は回復せず、1894年に亡くなってしまったのです。死後、ヘルツの実績が評価され、ハンブルク市庁舎には彼の肖像画が飾られるようになりますよ

ですが、ナチスドイツの時代に、ヘルツがユダヤ人の系譜をもっていたことを理由に肖像画は撤去されてしまいます。また、ナチスからの迫害を恐れたヘルツの親族は、ドイツを離れることを余儀なくされたそうです。

ヘルツが残した最大の功績

image by iStockphoto

ここからは、ヘルツが残した最大の功績を物理学の視点で詳しく解説していきます。ヘルツの最大の功績とは、電磁波の存在を証明したことです。以下では、どのような経緯でヘルツが電磁波の存在を証明したかを詳しく述べます

また、電磁波の存在を証明したことが後世にどのような影響を与えたのかをについても考察してみましょう。実は、現代を生きる私たちが受けている恩恵の中には、ヘルツの成果があってこそのものも含まれているのです。

\次のページで「電磁波の存在の証明」を解説!/

電磁波の存在の証明

1881年、マイケルソンによって、電磁波の媒質として考えられていたエーテルの存在は否定されました。その結果を受けて、ヘルツは電磁波が伝播する仕組みを考え直すために、マクスウェル方程式の再計算に着手します。その再計算の中で、電磁波は空間中を電場と磁場が交互に発生することで伝搬することを確認するのです。

そして、ヘルツは電磁波の送受信に使用するアンテナを世界で初めて実用化します。このアンテナは現在のダイポールアンテナにあたるものですよ。以上のような経緯で、ヘルツは電磁波の存在を明らかにしていくのです。

無線通信を成功させたヘルツ

1887年、ヘルツはついに電磁波の送受信を同時に成功させ、無線通信を世界ではじめて実現します。このとき、発信装置には誘導コイルとアンテナを組み合わせたもの、受信装置にはスパークギャップ付きのコイルを使用しました。受信装置が電磁波を受け取ると、スパークギャップの間に火花が発生するのです。

ヘルツは送信装置と受信装置を同じ箱の中に入れると、受信感度が向上することを発見しました。これにより、電磁波が反射することがわかります。また、ヘルツは送信装置と受信装置の間に障害物を置くと、電磁波が減衰することも発見していますよ。

無線通信時代の幕開け

ヘルツが電磁波の送受信に成功した後、またたく間に無線通信の研究が活発になっていきます。1901年には、マルコーニらによってイギリスとカナダの間で大西洋を跨ぐ無線通信が実現されますよ。この年は、ヘルツが電磁波の実験を行ってから20年も経っていません。

さらには、1920年にアメリカでは電波を使ったラジオ放送が始まります。これほど驚異的なスピードで無線通信技術が発達したのは驚きですよね。また、現代を生きる私たちは5G通信やWi-Fi、Bluetoothなどで電波のお世話になっていますよ。このような背景を考えると、ヘルツの発見がいかに偉大なものであるかが理解できます。

\次のページで「他分野でも研究成果を残したヘルツ」を解説!/

他分野でも研究成果を残したヘルツ

ヘルツが残した実績の中で一番有名なものは上述した電磁波に関するものですが、それ以外の分野においてもヘルツは大きな研究成果を数多く残していますよ。今回は、その中から気象学における発見力学における発見についてご紹介します。

電磁波の存在を証明したという実績に比べると、いずれも少し地味な内容にはなりますが、それらが人類の科学の前進に貢献したことは明らかです。ぜひ、最後まで記事を読んでみてくださいね。

気象学における発見

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By ArthurOgawa - Own work, CC BY-SA 3.0, Link

ヘルツがミュンヘン工科大学にいたとき、気象学における論文をいくつか発表しています。論文のテーマとしては、液滴の蒸発に関するもの・新しい湿度測定法に関するもの・湿潤大気の断熱変化に関するものなどがありました。

これらはいずれも基礎研究に近いもので、大々的な成果のように感じられない方もおられるかもしれません。ですが、ヘルツはこれらの研究を通して、研究者としての素養を着実に身につけていったと考えられます

力学における発見

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ヘルツは2つの物体が接しているときに境界面に作用する力についての研究を世界に先駆けて行っていました。しかしながら、ヘルツがこの研究に取り組んでいたころは、全くと言って良いほど注目されませんでした。

その後、ブシネスクという学者がヘルツの論文を引用したことをきっかけに、2つの物体の接触に関する力学に注目が集まるようになります。これによって、接触力学という学問分野が盛り上がっていくことになるのです

無線通信時代を到来させたヘルツ

今や電波は私たちの生活の中で不可欠なものになっています。例えば、ラジオ・テレビ・携帯電話・GPSによる位置情報システムなどはいずれも電波を使用しているのです。このような無線通信時代を到来させたきっかけは間違いなく、ヘルツという人物にありますよ。

ほとんどの人が電波のお世話になっている今だからこそ、ヘルツについて知る価値があるはずです。ぜひこの機会に、ヘルツという学者について学んでみてくださいね。

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熱力学物理物理学・力学理科電磁気学・光学・天文学

3分で簡単ハインリヒ・ヘルツの功績!周波数の単位の由来になった人物について理系学生ライターが徹底わかりやすく解説

今回は、「ハインリヒ・ヘルツの功績」について解説していきます。

ヘルツは、19世紀に活躍した物理学者の1人で、電磁波の存在を証明した人物です。ヘルツの発見は電波による無線通信時代が到来させたぞ。そして、彼の名は周波数の単位であるHz(ヘルツ)の由来にもなっている。この記事の中ではヘルツが人生の中でどのような成果を残したのかを詳しく解説していきます。ぜひこの機会に、「ハインリヒ・ヘルツの功績」についての理解を深めてくれ。

塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。

ライター/通りすがりのペンギン船長

現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。

ヘルツの人物像を知ろう!

Heinrich Hertz Deutsche-200-1Kcs.jpg
By Deutsche Bundespost – Deutsche Bundespost, Public Domain, Link

皆さんは、ハインリヒ・ヘルツという物理学者のことをご存知でしょうか?上記の画像は、ヘルツのイラストが載っている記念切手ですよ。イメージがわかない方も多いかもしれませんが、実は周波数の単位であるHz(ヘルツ)は彼の名前が由来となっています

この記事では、ヘルツが学者としてどのような実績を残し、それが世の中にどのような影響を与えたのかという点を深掘りしていきましょう。記事の前半では、手始めにヘルツの生涯を通史的に述べ、彼の人物像を明らかにしていきますね。それでは早速、解説をはじめます。

ヘルツの生い立ち

1857年、ヘルツはドイツのハンブルクで生まれました。彼の家庭は比較的裕福であり、父は弁護士、母は医者の娘でした。ヘルツは幼いころから好奇心が強く、科学における才能も早い時期からあらわれるようになります

また、彼は語学にも堪能で、アラビア語とサンスクリット語を学んでいたそうです。以上のようなエピソードから、ヘルツがいかに多才な人物であったかが伺い知れますよね

ヘルツと学問の出会い

ヘルツと学問の出会い

image by Study-Z編集部

ヘルツは進学後、ドイツのドレスデン・ミュンヘン・ベルリンで工学を学びます。そして、1880年にはヘルムホルツのもとで、気象学の研究に参加し、複数の論文を発表するようになるのです。

1885年にはカールスルーエ工科大学へと移り、教授となりますよ。そこでヘルツはマクスウェルの影響を受けて、電磁気学の研究に没頭することになります。その後、ヘルツは電磁波の存在を証明しますよ。これについては、後のチャプターで詳しく解説しますね。

晩年のヘルツ

1892年、ヘルツは感染症により激しい偏頭痛を患い、何度か手術を受けることになります。ですが、ヘルツの容態は回復せず、1894年に亡くなってしまったのです。死後、ヘルツの実績が評価され、ハンブルク市庁舎には彼の肖像画が飾られるようになりますよ

ですが、ナチスドイツの時代に、ヘルツがユダヤ人の系譜をもっていたことを理由に肖像画は撤去されてしまいます。また、ナチスからの迫害を恐れたヘルツの親族は、ドイツを離れることを余儀なくされたそうです。

ヘルツが残した最大の功績

image by iStockphoto

ここからは、ヘルツが残した最大の功績を物理学の視点で詳しく解説していきます。ヘルツの最大の功績とは、電磁波の存在を証明したことです。以下では、どのような経緯でヘルツが電磁波の存在を証明したかを詳しく述べます

また、電磁波の存在を証明したことが後世にどのような影響を与えたのかをについても考察してみましょう。実は、現代を生きる私たちが受けている恩恵の中には、ヘルツの成果があってこそのものも含まれているのです。

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