3分で簡単ハインリヒ・ヘルツの功績!周波数の単位の由来になった人物について理系学生ライターが徹底わかりやすく解説
ヘルツは、19世紀に活躍した物理学者の1人で、電磁波の存在を証明した人物です。ヘルツの発見は電波による無線通信時代が到来させたぞ。そして、彼の名は周波数の単位であるHz(ヘルツ)の由来にもなっている。この記事の中ではヘルツが人生の中でどのような成果を残したのかを詳しく解説していきます。ぜひこの機会に、「ハインリヒ・ヘルツの功績」についての理解を深めてくれ。
塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。
ライター/通りすがりのペンギン船長
現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。
ヘルツの人物像を知ろう!
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皆さんは、ハインリヒ・ヘルツという物理学者のことをご存知でしょうか?上記の画像は、ヘルツのイラストが載っている記念切手ですよ。イメージがわかない方も多いかもしれませんが、実は周波数の単位であるHz(ヘルツ)は彼の名前が由来となっています。
この記事では、ヘルツが学者としてどのような実績を残し、それが世の中にどのような影響を与えたのかという点を深掘りしていきましょう。記事の前半では、手始めにヘルツの生涯を通史的に述べ、彼の人物像を明らかにしていきますね。それでは早速、解説をはじめます。
ヘルツの生い立ち
1857年、ヘルツはドイツのハンブルクで生まれました。彼の家庭は比較的裕福であり、父は弁護士、母は医者の娘でした。ヘルツは幼いころから好奇心が強く、科学における才能も早い時期からあらわれるようになります。
また、彼は語学にも堪能で、アラビア語とサンスクリット語を学んでいたそうです。以上のようなエピソードから、ヘルツがいかに多才な人物であったかが伺い知れますよね。
ヘルツと学問の出会い
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ヘルツは進学後、ドイツのドレスデン・ミュンヘン・ベルリンで工学を学びます。そして、1880年にはヘルムホルツのもとで、気象学の研究に参加し、複数の論文を発表するようになるのです。
1885年にはカールスルーエ工科大学へと移り、教授となりますよ。そこでヘルツはマクスウェルの影響を受けて、電磁気学の研究に没頭することになります。その後、ヘルツは電磁波の存在を証明しますよ。これについては、後のチャプターで詳しく解説しますね。
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晩年のヘルツ
1892年、ヘルツは感染症により激しい偏頭痛を患い、何度か手術を受けることになります。ですが、ヘルツの容態は回復せず、1894年に亡くなってしまったのです。死後、ヘルツの実績が評価され、ハンブルク市庁舎には彼の肖像画が飾られるようになりますよ。
ですが、ナチスドイツの時代に、ヘルツがユダヤ人の系譜をもっていたことを理由に肖像画は撤去されてしまいます。また、ナチスからの迫害を恐れたヘルツの親族は、ドイツを離れることを余儀なくされたそうです。
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ヘルツが残した最大の功績
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ここからは、ヘルツが残した最大の功績を物理学の視点で詳しく解説していきます。ヘルツの最大の功績とは、電磁波の存在を証明したことです。以下では、どのような経緯でヘルツが電磁波の存在を証明したかを詳しく述べます。
また、電磁波の存在を証明したことが後世にどのような影響を与えたのかをについても考察してみましょう。実は、現代を生きる私たちが受けている恩恵の中には、ヘルツの成果があってこそのものも含まれているのです。
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