現代社会

3分で簡単「虎ノ門事件」動機は何?事件に関わった人物や社会への影響などを歴史好きライターがわかりやすく解説

虎ノ門事件の被害者となった裕仁親王とは?

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虎ノ門事件の被害者となったのは、当時の裕仁親王でした。ここでは、裕仁親王の人物像について見ていくことにしましょう。

後の昭和天皇

事件の被害者となった裕仁親王は、のちの昭和天皇です。虎ノ門事件からおよそ3年後、大正天皇の崩御に伴い天皇に即位しました。それ以降、60年以上にわたって在位。信憑性の高い記録が残っている7世紀以降においては、最も長い期間在位していた天皇となりました。

昭和天皇が即位した頃は、まだ日本が大日本帝国憲法の下でした。その時代の天皇は、現人神として国民の畏怖の対象となっていました。太平洋戦争が終結すると、代わって日本国憲法が施行され、昭和天皇は象徴天皇として在位することとなります。それ以降、40年以上に渡り象徴としての役割を全うしました

大正天皇の摂政となる

1901(明治34)年に、皇太子嘉仁親王(のちに大正天皇)の第一子として、のちの昭和天皇となる裕仁親王は生まれました。1902(明治45)年に祖父の明治天皇が崩御すると、大正天皇の即位とともに裕仁親王は皇太子となります。翌年には、11歳にして陸海軍少尉に任官しました。

1921(大正10)年、裕仁親王が20歳の時に大正天皇の摂政となり、それ以降は「摂政宮」と称されるようになります。幼少の頃から大正天皇は病弱でしたが、健康状態が悪化。それにより、裕仁親王が公務を代行するようになりました。摂政宮による代行は、1926(大正15)年まで続きます。

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摂政という役職には、飛鳥時代に厩戸皇子(聖徳太子)が日本で最初に就いたとされるな。平安時代に入ると、藤原氏とその子孫が摂政の座を独占するようになり、江戸時代までその状況が続いたぞ。現行の日本国憲法や皇室典範でも摂政の制度は規定されているが、戦後に適用された例はない。つまり、現在においては裕仁親王が最後に摂政となったのだ。

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