現代社会

5分でわかる「虎ノ門事件」動機は何?事件に関わった人物や社会への影響などを歴史好きライターがわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回は、虎ノ門事件について学んでいこう。

皇族関係者が襲撃された事件は、当時の社会に大きな衝撃を与えた。しかも、事件の犯人は若者だったのだ。

犯人が虎ノ門事件を起こした動機や、事件が社会に与えた影響などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

虎ノ門事件が起きる前の日本は?

image by iStockphoto

まずは、虎ノ門事件が発生する前の日本について見ていくことにしましょう。

関東大震災の発生

虎ノ門事件の3か月ほど前、1923(大正12)年9月1日に、関東南部を震源とする地震が発生しました。最大震度7の大地震が、昼時の首都圏に発生したのです。死者・行方不明者は合計10万人以上にも及び、明治・大正時代で最大級の地震被害を受けました。多くの建物は消失し、ライフラインやインフラの寸断なども起きています。

関東大震災の影響は、人的・物的な損失にとどまりませんでした。社会は混乱し、犯罪行為が横行するようになります。東京とその周辺では戒厳令が施行され、軍や警察が大量に動員されました。しかし、軍や警察の一部は暴走し、社会主義者や無政府主義者を弾圧する事件を引き起こすこととなります。

第二次山本権兵衛内閣が成立

1918(大正7)年、初めての本格的政党内閣だった原敬内閣が成立しますが、1921(大正10)年に原は東京駅で暗殺されます。その後任として、高橋是清が首相となったのですが、所属していた立憲政友会は内部で分裂。党をまとめ切れなかった高橋は、わずか半年で内閣総辞職に追い込まれました。

その後を引き継いだのが、海軍出身の加藤友三郎でした。しかし、加藤は病気のため1年後に亡くなります。2代続いた短命内閣の後釜となったのが、第二次山本権兵衛内閣でした。急に首相を欠くという事態と関東大震災への対応のために、9年ぶりに山本が首相となったのです。

社会主義思想が広まる

日本では、日清戦争終結後に資本主義経済が発展し、それに伴い労働運動が盛んになります。その頃から、社会主義政党が結成されるようになりました。しかし、1910(明治43)年の大逆事件で幸徳秋水らが逮捕。社会主義政党は活動を禁じられ、社会主義者は身動きが取れないようになります。

社会主義運動が再開されたのは、第一次世界大戦が終結した1918(大正7)年頃からです。大戦では労働者の賃金は上昇しましたが、物価高で実感を得られないものでした。そのため、労働運動が再興し、社会主義者も活動を再開。ロシア革命によるソビエト成立も、社会主義思想の広がりを後押ししました。

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関東大震災発生後は、人権侵害と言うべきことが多発したな。亀戸事件では多くの労働運動家が惨殺され、甘粕事件では無政府主義者だった大杉栄らが殺害された。また、デマの流布も激しく、特定の人種を差別するような事例もみられたぞ。大きな災害に遭遇した時こそ、デマに惑わされることなく冷静に対処したいものだな。

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