世界遺産・八幡製鉄所の歴史を日本の産業革命とともに現役大学院生がわかりやすく解説
世界遺産に登録された八幡製鉄所
ここまで、八幡製鉄所の歴史を見ていきましたが、日本の産業革命を牽引した八幡製鉄所は成立後100年以上の時代を経て、2015年に八幡製鉄所と関連施設が世界遺産に登録されます。
幕末から明治時代にかけて日本の近代化に貢献した産業遺産群「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」という名称で世界文化遺産に登録されました。姫路城や京都の文化財のように歴史的な建造物ではありませんが、日本の近代化を牽引した産業遺産群として選定されています。
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世界遺産に選ばれた施設
選定された関連施設は4つあります。1つは修繕工場です。これは、1900年にドイツのグーテ・ホフヌングスヒュッテ社によって設計・建築されています。2つ目は、旧鍛治工場です。現在は資料室になっていますが、鍛造品製造を行う場所として設置されました。
3つ目は旧本事務所。これは、操業に先立ち1899年に建設されました。東京駅を彷彿とさせる、近代的な西洋の赤レンガで中央にドームが配置されています。この旧本事務所では製鉄所の経営戦略が練られ、長官室・技師室などが配置されており、製鉄所の司令塔的な役割を果たしました。4つ目は遠賀川水源地ポンプ室です。製鉄には工業用水を必要とするため川沿いにポンプ室が建設されました。当時のポンプは蒸気ポンプでした。
すべての施設が1910年(明治43年)までの間に建てられており、日本の近代化を感じることができます。
八幡製鉄所を構成する3つの地区
八幡製鉄所は敷地も広大で、八幡地区・戸畑地区・小倉地区の3つの地区から構成されています。このうち、観光として公開されているのは、八幡地区と戸畑地区のみです。
八幡地区には、旧本事務所があり、戸畑地区には鉄を作るための航路工場、熱延工場など製鉄の核となる施設があります。
ちなみに「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」は、8県11市にわたる23の遺産で構成されており、登録されている地域は、福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・鹿児島県・山口県・岩手県・静岡県です。(主な登録遺産:萩、集成館、韮山反射炉、板野鉄鉱山、三重津海軍所跡、小菅修船場跡、高島炭坑、端島炭坑、旧グラバー邸、三角西港、官営八幡製鉄所、三菱長崎造船所、三池炭鉱、三池港など)
八幡製鉄所をめぐる旅に出よう
九州方面へ旅行する際には、八幡製鉄所をめぐる観光をするのもおすすめです。鹿児島本線のスペースワールド駅から徒歩10分ほどで、世界遺産に登録された八幡製鉄所の4カ所の関連施設にたどり着くことができます。
見どころはなんといっても、旧本事務所として使用されているレンガ造りの建物。現在は、稼働中の八幡製鐵所の敷地内にあるため中に入ることはできませんが、眺望スペースから景観を楽しむことができます。なんと、現在はVRを利用した案内サービスも実施されているそうです。東田第一高炉も世界遺産の構成資産の1つとなっています。
また、第一高炉は史跡公園として公開されており、八幡製鉄所の歴史や銑鉄を運ぶ貨車などが展示され、よりリアルな様子を見ることができます。残念ながら、中に入ることができる施設は限られていますが、近くまでは見学することはできます。日本の近代化を導いた製鉄所を見てみてはいかがでしょうか。
八幡製鉄所成立の歴史から学べること
今回は日本の産業革命を牽引した八幡製鉄所について、誕生のきっかけと現在に至るまでの歴史を見ていきました。
なんといっても明治時代は日本が近代化を進めた時代であり、日本は、アジアを次々と植民地化する欧米列強から植民地化されないように、富国強兵を進めた時代です。その過程の中で、重工業の発展は重要な役割を果たし、まさに産業革命の時代だったといえます。八幡製鉄所の成立によって、鉄道の敷設は人やモノの動きがより活発になり、経済も発展していきました。鉄はそれだけで使うことは少ないですが、私たちの生活には欠かせない素材の1つです。
八幡製鉄所の歴史を学ぶことによって、技術の発展の礎を作った先人たちの絶え間ない努力がわかるのではないでしょうか。