世界遺産・八幡製鉄所の歴史を日本の産業革命とともに現役大学院生がわかりやすく解説
八幡製鉄所とは
当時の日本は繊維工業においては発展していたものの、重工業の技術においては世界の中で立ち遅れていました。当時の日本といえば、政府は富国強兵と殖産興業をスローガンに近代化を進めていた時代です。江戸幕府の崩壊から明治時代に入ったこの時代の日本は、とにかく西欧列強国に追いつくことが重要な争点であったといえます。
製鉄所設置計画の声は、かつてからありました。しかし、技術力・知識の不足や原材料の確保などの理由によって国会では否決されていました。富国強兵のためには鉄と石炭が重要な要素です。政府は国内の製鉄所の建設計画を考案します。
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鉄は国づくりにとって重要
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鉄は国家なり!とは19世紀に武力によってドイツを統一したビスマルクの演説ですが、鉄は国づくりにとって重要な要素です。武器のみならず、輸送のための鉄道・戦車も鉄は必要になります。これをなんとか国内で生産したい。そのために、国内の製鉄所建設計画を構想します。
直接的な八幡製鉄所設置のきっかけは、1894年~1895年の日清戦争の勝利です。建設費用は、日清戦争の賠償金によって賄われました。この時代には日本軍の重工業需要は高まっており、製鉄所の建設決定の背景には軍事的な要素が強いです。
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八幡製鉄所設置のきっかけ
先にも述べましたが、これまでの日本は、鉄鋼製品のほとんどを海外からの輸入に頼っていました。輸入に頼っているようであっては富国強兵は進まないということで、鉄鋼製品の国内生産を図るために明治政府によって製鉄所官制が発布されます。この製鉄所管制が発布されるまでに計画案や調査の期間を含めてなんと5年もかかりました。
しかし、当時の日本には製鉄所を建設するための技術や知識はありませんでした。そのため、ドイツのグーテ・ホフヌングス・ヒュッテ社とドイツ人技術士に設計と建設を依頼し、日本人の技術者は指導を受けて製鋼・高炉の技術を学び、建設計画がスタートします。
中国から原材料を輸入
鉄を国内で生産する上で、全ての原材料を国内でまかなうことはできません。そこで、1899年に日本は中国湖北省にある、大冶(だいや)鉄山の鉄鉱石の買い入れ契約を結びます。原材料の鉄鉱石は1901年から1928年までは中国からの輸入に頼っていました。
しかし、製鉄所成立によって徐々に日本国内で生産することができるようになります。その後、1901年2月5日に東田第一高炉で火入れが、同年の11月18日の作業開始式によって、操業が始まりました。
なぜ福岡県八幡村が選ばれたのか
こうして日本で製鉄所の建設が決定したわけですが、なぜ他の地域ではなく福岡県の八幡村が建設地に選ばれたのでしょうか。製鉄所建設地に八幡村が選ばれた理由は、4つあるといわれています。
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