14世紀から15世紀のフランスとイギリスの間では百年に渡って戦争が続いていた。そこに彗星の如く現れ、祖国フランスの劣勢を打開したのが「ジャンヌ・ダルク」です。ですが、彼女は貴族だったわけでも、騎士の娘だったわけでもない。どこにでもいる田舎生まれの農家の娘です。平凡な娘だったジャンヌ・ダルクがいかにして救国の英雄になったのか、そして、なぜ魔女として貶められ火刑となったのか。
今回は「ジャンヌ・ダルク」について、彼女を取り巻く国と戦争の背景を含めて歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。現在では列聖されてフランスの守護聖人となった「ジャンヌ・ダルク」。今回は短くも苛烈な彼女の人生についてまとめた。

1.敬虔な農夫の娘「ジャンヌ・ダルク」、天啓を受ける

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今回のテーマとなる「ジャンヌ・ダルク」。彼女が生まれたのは1412年のフランス王国(現在のフランス)の東部の小さな村ドンレミ。農家の娘の四番目の子どもとして誕生し、普通に暮らしていました。普通の生まれの、どこにでもいるような素朴な少女はいったいどのようにしてフランスを守る戦いの先陣へ発ったのでしょうか?

ジャンヌ・ダルク、神の声を聞く

それはジャンヌ・ダルクが12歳のころのこと。彼女がひとりで歩いていると、そこへ大天使ミカエルや聖カタリナら聖人の姿を幻視し「イングランド軍を退けて王太子シャルルを戴冠させなさい」という天啓を授かったといいます。

ジャンヌ・ダルクはこの天啓を胸にフランスの王太子シャルルに謁見しようと試みました。しかし、農家の娘がいきなり王太子に会えるはずもありません。心無いものたちに嘲笑され、追い返されることもありました。けれど、彼女は天啓を固く持ち続け、ついに王太子シャルルとの謁見が叶います。

王太子シャルルを見抜いたジャンヌ・ダルクの伝説

ジャンヌ・ダルクが王太子シャルルに謁見しようと彼を訪れた際、王太子シャルルはジャンヌ・ダルクを試そうと自分は王太子の側近の振りをして家臣たちの間に紛れ込みます。そうして、もしジャンヌ・ダルクが偽物の王太子を見抜けなければ、神の天啓などウソだと笑うつもりだったのかもしれません。

しかし、その場に現れたジャンヌ・ダルクは一目で王太子が偽物だと見抜き、すぐに側近たちに紛れる本物の王太子シャルルを探し当てた、という伝説があります。また、ジャンヌ・ダルクが王太子シャルルに会う以前には、オルレアンの近くで起こったイングランドとの戦いでフランス軍が負けるという予言をし、的中させたとも。

これは伝説であり、後世で付け加えられたものです。ジャンヌ・ダルクの謁見や予言については実際に何があったのかはわかりません。しかし、このような伝説が語られるのはジャンヌ・ダルクが後世の人々に愛されている証拠でしょう。

戦争に現れた「天啓を受けた少女」の存在

当時のフランスもイングランドもともにキリスト教を信仰する国です。その二国間の争いにフランスの正当性を示すような天啓をうけた少女が現れたらどうなるのか…。

両国ともに同じ神を信仰するもの同士、イングランドにとっては争いの正当性を否定されるようなものです。さらに、フランス国内ではジャンヌ・ダルクが異端である可能性を排除するとともに、国を挙げて彼女の天啓を本物であると認定。劣勢にあったフランス軍の士気が蘇ります。

もともとまったくキリスト教の関係なかった戦争がジャンヌ・ダルクの登場によって宗教色を帯びる形となったのでした。

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2.百年続いた戦争?フランスとイングランドの「百年戦争」

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ここで少しジャンヌ・ダルクが活躍した「百年戦争」について解説していきましょう。

この時代、ドーバー海峡を挟んだ隣国同士のフランス王国とイングランド王国(現在のイギリス)との間に戦争が続いていました。1339年から1453年までの約百年に渡って断続的に続いたこの戦争を「百年戦争」といいます。

断続的に、というのは、簡単に言うと休み休み続けていたということ。毎日ずっと戦っていたのではありません。戦争中に国内でペストが流行したり、農民による一揆が起こったりと戦争ばかりにかまけられない事態があり、しかし、それらの事態によって戦争自体が終結することもありませんでした。だから、百年もの間続いてしまったのです。

イングランド国王がフランス王国の王位継承権を主張?なぜ?

さて、この時代周辺のヨーロッパの各王国の王位継承権はとても複雑なものでした。なぜなら、国家間をまたいで貴族や王族の結婚が行われていたからです。

百年戦争のきっかけとなったのは、フランス王家として君臨していたカペー家の断絶にはじまります。カペー朝の次にヴァロワ家のフィリップ6世が王様となり、フランス王国ヴァロワ朝が興るのですが、それに異を唱えたのがイギリスの国王エドワード3世。エドワード3世は断絶したフランスのカペー家出身の母を持つため、自分にもフランスの王位継承権があると主張したのです。

フランスの中のイングランド領?奪い合われるフランスの土地

また、11世紀ごろからイングランド王はフランスの国内に領土を持っていました。この土地を足場にイングランドの王はフランス内の領土を拡大していこうとしました。でも、フランスの王様からしたら、自分の国のなかに余所の国王の土地があるのもなかなかこわい状況ですよね。なので、フランスの王は国内からイングランド領を失くそうとします。

この領土を巡る対立もまた百年戦争に響いたのです。

3.劣勢の続くフランス王国、ジャンヌ・ダルクにより打開

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百年戦争の戦場となったのはフランス本土。戦争が始まって以来、フランスはイングランドに対して敗北を重ね、次々と領土を奪われていました。またブルゴーニュを治めるブルゴーニュ公がフランス王家となったヴァロワ家と対立し、フランス国内で内乱が起こってしまったのです。

さらに悪いことに、内乱の次はブルゴーニュ公がイングランドと結託して、フランスのシャルル6世の娘とイングランドのヘンリ5世との間に生まれたヘンリ6世を、フランスとイングランド両国の王様にしてしまいます。フランスはヘンリ6世に対抗して、シャルル6世の子・シャルル7世を即位させようとするのですが…。

王様になりたくても儀式ができない?ランスの陥落

シャルル7世がフランスの王様に即位するためには、歴代のフランス王が戴冠式を行ったランスという都市で戴冠式を行わなければなりません。しかし、このときランスはブルゴーニュ公によって奪われていたため、シャルル7世は戴冠式を行えずにいたのです。

フランス王家と対立したブルゴーニュ公はパリを含めたフランスの土地を次々と陥落させ、我がものとしていきました。

\次のページで「劣勢のフランス軍にジャンヌ・ダルク登場」を解説!/

劣勢のフランス軍にジャンヌ・ダルク登場

フランスの土地は占領され、その魔の手はオルレアンへと迫ります。オルレアンは当時残されたフランスの都市のなかでもっとも北に位置し、イングランドのフランス侵攻の要所でした。もしここを落とされれば、いよいよフランスの命運も尽きていたことでしょう。

そうして、1428年、オルレアンはイギリス軍によって包囲されてしまいました。包囲は長期化、しかし、シャルル7世はオルレアンを救うことができません。そんな状況下に現れたのがジャンヌ・ダルクだったのです。

オルレアンの解放、進軍するジャンヌ・ダルク

神の声を聞いたジャンヌ・ダルクがシャルル7世に認められたことで、ぐっと士気が上がったフランス軍。ジャンヌ・ダルクはそんなフランス軍を率いて包囲されたオルレアンの救出に向かいます。そうして、翌年の1429年にオルレアンは解放。フランス軍の快進撃がはじまるのです。

ジャンヌ・ダルクの貢献により、シャルル7世戴冠

ヤン・マテイコが描いた、1429年のジャンヌのランス進駐。
ヤン・マテイコ - http://www.epch.poloniachristiana.pl/czytaj,14, パブリック・ドメイン, リンクによる

オルレアン解放以降、一転して攻勢に出たフランス軍。ジャンヌ・ダルクは次にランスを奪い返し、そこでシャルル7世の戴冠式を行いました。ジャンヌ・ダルクと正式にフランス国王となったシャルル7世はまだまだ止まりません。勢いのままにフランス国内からイングランド軍を追い出し、フランスの統一を推し進めたのでした。

4.救国の英雄ジャンヌ・ダルクの最期

Stilke Hermann Anton - Joan of Arc's Death at the Stake.jpg
ヘルマン・スティルケ - http://www.arthermitage.org/Hermann-Anton-Stilke/Joan-of-Arc-s-Death-at-the-Stake.html, パブリック・ドメイン, リンクによる

ジャンヌ・ダルクとともに快進撃を続けるフランス軍。しかし、イングランド軍もそうやすやすと破れるわけにはいきません。パリの奪還に失敗したジャンヌ・ダルクはブルゴーニュ公によって捕縛され、敵国イングランドへと売り渡されてしまうのです。

神のお告げは本物か?ジャンヌ・ダルク、魔女裁判にかけられる

ジャンヌ・ダルクは神から天啓を授かり、フランスを救ったとされます。しかし、同じキリスト教を信仰する敵国イングランドからすればたまったものではありません。ジャンヌ・ダルクの主張が正当なものであればあるほど、信じる神と敵対することになるのです。

そこでジャンヌ・ダルクの身柄を得たイングランドは彼女を異端審問にかけることに。ジャンヌ・ダルクが神を語る異端の魔女だということになれば彼女の正当性が失われると同時に、ジャンヌ・ダルクの貢献によって即位したシャルル7世の正当性にも泥を塗ることができるのです。

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どうしても有罪にしなければならなかった?不当な裁判により、火刑に処される

ジャンヌ・ダルクの裁判を担当したのはイングランドに賛同するコーシャンという司教でした。コーシャン司教は証拠不十分のまま、弁護も許さずジャンヌ・ダルクに有罪の判決を言い渡し、さらには彼女が字を読めないのをいいことに不当な書類にサインまでさせたのです。

こうして不当な裁判と判決を受けたジャンヌ・ダルクはキリスト教から破門され、魔女としてイングランドのルーアンにて火刑に処されてしまいました。ジャンヌの遺体は灰になるまで焼かれ、遺灰はセーヌ川へ流されたといいます。

ジャンヌ・ダルクの死後、百年戦争ようやくの終結

ジャンヌ・ダルクが火刑によって亡くなったあとも、しばらくフランスとイングランドの百年戦争は続きました。その間にフランスとブルゴーニュ公は講和。さらにフランス軍がパリを取り戻し、フランス北部のカレーをのぞいた領土がフランスへと戻ってきたことで百年戦争はようやく幕を下ろしたのでした。

ジャンヌ・ダルクは魔女じゃない!守護聖人への復権

ジャンヌ・ダルクの死後、そして、百年戦争の終結後のこと。異端の魔女として火刑にされたジャンヌ・ダルクの復権を求める声が上がり始めます。その声に応じて1455年に彼女の復権裁判が始まり、破門は取り消されてキリスト教徒と認められました。

さらに19世紀に入ると、今度はジャンヌ・ダルクを聖人に認めるよう運動が起こります。そうして1909年、ジャンヌはフランスの守護聖人のひとりとなったのです。

神の声を聞き、フランスのために立ち上がったひとりの少女ジャンヌ・ダルク

田舎の農家に生まれた普通の少女だったジャンヌ・ダルク。しかし、12歳で天啓を受けると、戦争で疲弊する祖国フランスのために立ち上がります。そうして、フランス軍を率いて劣勢を打ち破り、シャルル7世を戴冠させてフランスを勝利へと導いたのです。当時の女性が、しかも年若い少女が軍隊を指揮するのは異例のこと。最期は敵国に捕まって火刑に処されるも、死後に復権裁判が起こり、近代になってからはフランスの守護聖人となるほど、神の声を聞いた彼女の影響は計り知れないものだったのでしょう。

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イギリスフランスヨーロッパの歴史世界史

3分で簡単「ジャンヌ・ダルク」神から天啓をもらったフランスの英雄?それとも異端の魔女?歴史オタクがわかりやすく解説

14世紀から15世紀のフランスとイギリスの間では百年に渡って戦争が続いていた。そこに彗星の如く現れ、祖国フランスの劣勢を打開したのが「ジャンヌ・ダルク」です。ですが、彼女は貴族だったわけでも、騎士の娘だったわけでもない。どこにでもいる田舎生まれの農家の娘です。平凡な娘だったジャンヌ・ダルクがいかにして救国の英雄になったのか、そして、なぜ魔女として貶められ火刑となったのか。
今回は「ジャンヌ・ダルク」について、彼女を取り巻く国と戦争の背景を含めて歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。現在では列聖されてフランスの守護聖人となった「ジャンヌ・ダルク」。今回は短くも苛烈な彼女の人生についてまとめた。

1.敬虔な農夫の娘「ジャンヌ・ダルク」、天啓を受ける

image by PIXTA / 90254414

今回のテーマとなる「ジャンヌ・ダルク」。彼女が生まれたのは1412年のフランス王国(現在のフランス)の東部の小さな村ドンレミ。農家の娘の四番目の子どもとして誕生し、普通に暮らしていました。普通の生まれの、どこにでもいるような素朴な少女はいったいどのようにしてフランスを守る戦いの先陣へ発ったのでしょうか?

ジャンヌ・ダルク、神の声を聞く

それはジャンヌ・ダルクが12歳のころのこと。彼女がひとりで歩いていると、そこへ大天使ミカエルや聖カタリナら聖人の姿を幻視し「イングランド軍を退けて王太子シャルルを戴冠させなさい」という天啓を授かったといいます。

ジャンヌ・ダルクはこの天啓を胸にフランスの王太子シャルルに謁見しようと試みました。しかし、農家の娘がいきなり王太子に会えるはずもありません。心無いものたちに嘲笑され、追い返されることもありました。けれど、彼女は天啓を固く持ち続け、ついに王太子シャルルとの謁見が叶います。

王太子シャルルを見抜いたジャンヌ・ダルクの伝説

ジャンヌ・ダルクが王太子シャルルに謁見しようと彼を訪れた際、王太子シャルルはジャンヌ・ダルクを試そうと自分は王太子の側近の振りをして家臣たちの間に紛れ込みます。そうして、もしジャンヌ・ダルクが偽物の王太子を見抜けなければ、神の天啓などウソだと笑うつもりだったのかもしれません。

しかし、その場に現れたジャンヌ・ダルクは一目で王太子が偽物だと見抜き、すぐに側近たちに紛れる本物の王太子シャルルを探し当てた、という伝説があります。また、ジャンヌ・ダルクが王太子シャルルに会う以前には、オルレアンの近くで起こったイングランドとの戦いでフランス軍が負けるという予言をし、的中させたとも。

これは伝説であり、後世で付け加えられたものです。ジャンヌ・ダルクの謁見や予言については実際に何があったのかはわかりません。しかし、このような伝説が語られるのはジャンヌ・ダルクが後世の人々に愛されている証拠でしょう。

戦争に現れた「天啓を受けた少女」の存在

当時のフランスもイングランドもともにキリスト教を信仰する国です。その二国間の争いにフランスの正当性を示すような天啓をうけた少女が現れたらどうなるのか…。

両国ともに同じ神を信仰するもの同士、イングランドにとっては争いの正当性を否定されるようなものです。さらに、フランス国内ではジャンヌ・ダルクが異端である可能性を排除するとともに、国を挙げて彼女の天啓を本物であると認定。劣勢にあったフランス軍の士気が蘇ります。

もともとまったくキリスト教の関係なかった戦争がジャンヌ・ダルクの登場によって宗教色を帯びる形となったのでした。

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