17世紀に最も盛んだった「魔女裁判」がどんなものか知っているか?こいつは世界史のなかでもかなり後ろ暗い話です。女でも男でもかまわず多くの人間が犠牲になった。……昔のことだと思っただろ?ですが、実は現代でも行くところに行けばまだ続いてる。そう聞くと怖いな。
今回は「魔女裁判」について、時代背景や代表的なものを取り上げて歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。世界史の中でもブラックな分野「魔女裁判」についてまとめた。

1.おとぎ話の中だけの存在じゃない?誰が魔女だ?

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「魔女」と聞くと、黒いローブを着たおばあさんが大なべをかき混ぜているイメージが浮かびますね。私たちが子どものころに触れる童話、たとえば「ヘンゼルとグレーテル」に登場する魔女などが想像しやすいでしょうか。

それに、「ヘンゼルとグレーテル」の魔女のように子どもを食べたり、魔術で人を呪ったり、悪魔と契約するなど「魔女」という存在に対してネガティブイメージが付きまといます。実際、魔女裁判が盛んに行われる以前、古代から魔女は超自然的な力や、妖術を使って災いをもたらす存在だと信じられてきました。

また、魔女のほとんどが女性ですが、時には男性であっても魔女と呼ばれることがあります。性別はそこまで強く関係なく、魔女の定義を満たせば男性でも魔女とされるのでした。

かぎ鼻で子どもを食べる魔女のイメージはどこから?

魔女のイメージが現代に通じるものへと固定されたのは15世紀のこと。キリスト教の異端の者たちが行った集会が「魔女の集会」へとイメージが転換します。これがいわゆる「サバト」と呼ばれる魔女たちの集会でした。また、異端の行っていた悪魔崇拝や子どもを食べるといったイメージが魔女にも付与されていったのです。

しかし、「サバト」というのはもともとユダヤ人の安息日を指すものでした。魔女の集会をサバトと呼ぶのは、当時のヨーロッパ中に蔓延していた反ユダヤ感情と結びついたからだとされています。「反ユダヤ感情」、または「反ユダヤ主義」とは、ユダヤ人やユダヤ教を快く思わず、迫害したり、排斥しようとする思想のこと。これとても根深く、また古い時代から現代にまで続いているため、一口に言い表すのは非常に難しい問題です。

誰が魔女?どうやって魔女とわかるの?

14世紀、ヨーロッパでは魔女を取り締まる「魔女裁判」が行われるようになりました。しかし、魔女は超自然的な力を持っているとされる上に、見かけは普通の人間と変わりありません。いったい、どのように魔女と普通の人を見分けたのでしょうか?

魔女だと訴えられた人物は、魔女裁判にかけられ、魔女であるかどうかの取り調べを受けることになります。この取り調べには拷問が行われることがありました。拷問の方法は数ありますが、有名なもののひとつは「水審」でしょう。魔女の疑いがある人物の手足を縛って水に入れ、そこで沈めば人間、浮かべば魔女、というものです。けれど、手足を縛られたまま水に落とされれば人は泳げません。そのまま沈めば溺死しまいます。かといって、息をしようと水面に浮かべば魔女となり、処刑されてしまうのです。

このように、どちらにせよ魔女と疑われれば死んでしまうような理不尽なものでした。

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2.魔女裁判と魔女狩りのはじまりはいつ?

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17世紀に最盛期を迎える「魔女裁判」。昔から魔女は人々に恐れられてきましたが、そのはじまりは11世紀からとされています。

そんななか、13世紀のヨーロッパではローマ教皇の権威が高まる一方で、南フランスにカタリ派(アルビジョワ派)やワルド派といったキリスト教の「異端」の派閥が登場しました。キリスト教で言う「異端」とは、教会によって公認された正統な教義に対して、間違っていたり、害をもたらすとされて否定された教義のことを指します。特にカタリ派は過激に教会を否定したことから、時のローマ教皇インノケンティウス3世が十字軍の派遣を要請(アルビジョワ十字軍)し、20年かけて両派閥を潰したのです。

このことから、教会は異端に対する政策を強化し、人々に異端者の告発の義務を与え、さらに異端審問官を持つ教会裁判制度を作りました。これを「異端審問」ともいいます。

異端は魔女と結びつく。異端審問から魔女裁判へ

「異端審問」での裁判は公開されず、弁護も許されません。しかし、密告と拷問が許されるという一方的なものでした。しかも、アルビジョワ十字軍のあと、カトリック教会による異端の取り締まりがさらに強化されます。その過程で、異端と魔女が結びつき、キリスト教会が主導する魔女狩りが行われるようになったのでした。

異端審問で魔女が裁かれた最古の記録は1428年。スイスに潜伏していた異端のワルド派を追っていた異端審問官が魔女を扱ったとされています。

疑心暗鬼の民衆、安息を求めて隣人を密告

魔女と歌が割れれば裁判でひどい目に遭うことは前章でお話しましたね。では、どのような人が魔女として処刑されたのか。これもまた残酷な話で、魔女と密告されたのは村や町の人々から孤立している弱い人々です。

なぜ、人々は魔女を探し出して処刑したのでしょうか?

それは、魔女をあぶり出し、処刑することで人々の社会不満を逸らす意味合いがありました。ペストの流行など、悪いことが起こればすべて魔女のせいにして殺してしまうことで、人々は「魔女がいなくなったから自分たちはもう安全だ」という安息を得たのです。

政治的な魔女裁判「ジャンヌ・ダルク」の火刑

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人々の不満を逸らす一方、魔女裁判が政治的な意味合いを持つこともありました。有名な例としてはフランスの「ジャンヌ・ダルク」です。

ジャンヌ・ダルクが生まれたのはイングランド王国(現在のイギリス)とフランス王国(現在のフランス)間で行われていた百年戦争の真っ最中の1339年。フランス東部の農家の敬虔なキリスト教徒の娘でした。ところが、神の啓示を受けてフランス軍に加わると、劣勢のフランス軍の先頭に立って奪われていたオルレアンを解放したのです。しかし、1430年にブルゴーニュ公国軍に捕らえられ、イギリスへ送られてしまいます。そうして、ジャンヌ・ダルクはイギリスで異端審問にかけられ、異端との判決を受けて1431年5月30日、19歳で火刑に処せられたのでした。

\次のページで「3.宗教戦争勃発の16世紀、17世紀に魔女裁判大流行」を解説!/

3.宗教戦争勃発の16世紀、17世紀に魔女裁判大流行

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魔女裁判がもっとも盛んに行われたとされるのが1600年ごろ。なぜ、魔女裁判が最盛期を迎えたのかと言うと、16世紀前半にヨーロッパで始まった宗教改革に端を発します。

免罪符を買えば天国に行ける?宗教改革のきっかけ

当時、ローマ教会が発行した「免罪符(贖宥状)」という証明書がありました。この免罪符を購入していれば、信徒がはたすべき贖罪を教会に蓄えられたキリストと聖人たちの功徳が分け与えられて許され、死後は天国にいけるという謳い文句で教会が販売したものです。免罪符の売り上げは、聖堂の建築などローマ教皇の財源にあてられました。

しかし、免罪符を買うだけで果たして本当に天国へ行けるのでしょうか?死後のことをどうやって証明するのでしょう?

そう疑問に思ったのは、当時の有識者たちも同じでした。

免罪符と教会を大批判!ドイツの「ルター」

ドイツは特に免罪符によって搾取されていました。そこに疑問を呈したのが、同じくドイツの神学教授「マルティン・ルター」です。ルターは1517年に「九十五か条の論題」をヴィッテンベルク城内にある教会に張り出して、教会を訪れた多くの人々に発表しました。

ルターの「九十五か条の論題」の中身を簡単に言うと、

・免罪符販売に対する批判
・「人は免罪符によってではなく信仰によってのみ救われる」という主張。
・免罪符はなんの効力もなく、いっそ信仰にとって有害なものだと指摘。

となります。

ルターの「九十五か条の論題」はまたたくまにドイツ全土へと広がっていきました。これがのちに続く宗教改革の幕開けとなったのです。

宗教改革の幕開け!腐敗した教会との決別

ルターはまた、聖書には「聖職者は一般の信者と変わりない」と書かれている主張して、教会の腐敗した体制を批判します。これらの主張をすることで、ルターはローマ教皇から異端の判定を受け、破門されてしまいました。しかし、ルターは破門など気にせずにラテン語の新約聖書のドイツ語翻訳版を作成。人々が教会ではなく聖書に基づく信仰を行えるようにしたのです。

このようなルターやそれに続くものたちによる宗教改革の結果、聖書をもとに純粋な信仰を掲げるプロテスタント(新教徒)が誕生しました

\次のページで「互いに互いを告発!激化する宗教戦争」を解説!/

互いに互いを告発!激化する宗教戦争

前節の通り、当時の教会を否定するプロテスタントが生まれ、対して、元のキリスト教会は「カトリック」と呼ばれるようになりました。これは現在でも耳にする言葉ですね。

さて、なぜプロテスタントとカトリックの話をしたかと言うと、宗教改革によって新たな派閥が誕生したことで宗教戦争が激化し、互いに互いの派閥を異端、魔女とする告発が起こるようになったからです。プロテスタントとカトリック間の告発のため、魔女裁判は1600年ごろに最盛期を迎えます。

4.魔女裁判の終わりはいつ?なぜ終わったの?

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17世紀になっても「魔女狩り令」や魔女に対する法律は撤廃されません。しかし、17世紀の終わりになって人々が熱狂した魔女裁判の終焉の兆しがようやく見え始めました。「なぜ魔女裁判は終わったのか」については諸説あれど、決定的になる答えはありません。また、裁判を行う側の魔女に対するイメージが変容して、魔女と告発された者が処刑されることが減ってきました。

このようにして徐々に魔女裁判に対する人々の関心や薄れ、ゆっくりと魔女裁判は衰退していったのです。

現代に残った魔女裁判?未だ行われるおそろしい魔女狩り

冒頭で桜木先生がおっしゃった通り、実は今日でも魔女狩りとするおそろしい行為が残る地域もあるのです。

アジアやアフリカ、あるいは中東などで魔女狩り報告されています。それは魔術を行った人物が私刑に遭うといったものから、サウジアラビアに設置されている宗教警察が魔術の撲滅を掲げて実際に魔女とされる人に死刑を執行したということも。

非科学的だと思う方もいるかもしれません。しかし、実際に人々が太古から持つ普遍的な恐怖から、あるいは宗教の違いから、現在でもこのような魔女裁判が存在するのです。

狂気と熱狂の間に行われた魔女裁判

最初は人々が持つ超自然的な力への恐怖から始まった魔女裁判。しかし、時をへて宗教的な要素が加わり、魔女裁判がキリスト教会によって行われるようになると、人々は悪いことが起こるとすべて魔女の仕業とし、魔女を仕立て上げて処刑するようになりました。そこへさらに宗教改革からプロテスタントの誕生が起こったことで、プロテスタントとカトリックで互いを告発し始め、魔女裁判は人々の間に熱狂的な広がりを見せたのです。

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ヨーロッパの歴史世界史

3分で簡単「魔女裁判」魔女は本当にいた?魔女にされるとどうなるの?歴史オタクがわかりやすく解説

17世紀に最も盛んだった「魔女裁判」がどんなものか知っているか?こいつは世界史のなかでもかなり後ろ暗い話です。女でも男でもかまわず多くの人間が犠牲になった。……昔のことだと思っただろ?ですが、実は現代でも行くところに行けばまだ続いてる。そう聞くと怖いな。
今回は「魔女裁判」について、時代背景や代表的なものを取り上げて歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。世界史の中でもブラックな分野「魔女裁判」についてまとめた。

1.おとぎ話の中だけの存在じゃない?誰が魔女だ?

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「魔女」と聞くと、黒いローブを着たおばあさんが大なべをかき混ぜているイメージが浮かびますね。私たちが子どものころに触れる童話、たとえば「ヘンゼルとグレーテル」に登場する魔女などが想像しやすいでしょうか。

それに、「ヘンゼルとグレーテル」の魔女のように子どもを食べたり、魔術で人を呪ったり、悪魔と契約するなど「魔女」という存在に対してネガティブイメージが付きまといます。実際、魔女裁判が盛んに行われる以前、古代から魔女は超自然的な力や、妖術を使って災いをもたらす存在だと信じられてきました。

また、魔女のほとんどが女性ですが、時には男性であっても魔女と呼ばれることがあります。性別はそこまで強く関係なく、魔女の定義を満たせば男性でも魔女とされるのでした。

かぎ鼻で子どもを食べる魔女のイメージはどこから?

魔女のイメージが現代に通じるものへと固定されたのは15世紀のこと。キリスト教の異端の者たちが行った集会が「魔女の集会」へとイメージが転換します。これがいわゆる「サバト」と呼ばれる魔女たちの集会でした。また、異端の行っていた悪魔崇拝や子どもを食べるといったイメージが魔女にも付与されていったのです。

しかし、「サバト」というのはもともとユダヤ人の安息日を指すものでした。魔女の集会をサバトと呼ぶのは、当時のヨーロッパ中に蔓延していた反ユダヤ感情と結びついたからだとされています。「反ユダヤ感情」、または「反ユダヤ主義」とは、ユダヤ人やユダヤ教を快く思わず、迫害したり、排斥しようとする思想のこと。これとても根深く、また古い時代から現代にまで続いているため、一口に言い表すのは非常に難しい問題です。

誰が魔女?どうやって魔女とわかるの?

14世紀、ヨーロッパでは魔女を取り締まる「魔女裁判」が行われるようになりました。しかし、魔女は超自然的な力を持っているとされる上に、見かけは普通の人間と変わりありません。いったい、どのように魔女と普通の人を見分けたのでしょうか?

魔女だと訴えられた人物は、魔女裁判にかけられ、魔女であるかどうかの取り調べを受けることになります。この取り調べには拷問が行われることがありました。拷問の方法は数ありますが、有名なもののひとつは「水審」でしょう。魔女の疑いがある人物の手足を縛って水に入れ、そこで沈めば人間、浮かべば魔女、というものです。けれど、手足を縛られたまま水に落とされれば人は泳げません。そのまま沈めば溺死しまいます。かといって、息をしようと水面に浮かべば魔女となり、処刑されてしまうのです。

このように、どちらにせよ魔女と疑われれば死んでしまうような理不尽なものでした。

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