現代社会

3分で簡単「東久邇宮稔彦王」なぜ54日で総理を辞任した?皇族としての生い立ちや総理として行った政策などを歴史好きライターがわかりやすく解説

内閣退陣後の東久邇宮稔彦王

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最後に、首相を辞任した後の東久邇宮稔彦王について見ていくことにしましょう。

皇籍を離脱

政治経験のないまま終戦直後の日本の首相となった東久邇宮稔彦王でしたが、1945(昭和20)年10月5日に辞意を表明します。後任の幣原喜重郎が10月9日に就任するまでは、東久邇宮内閣が職務を執行しました。その後の幣原内閣は、戦後初の解散総選挙や旧憲法改正などに取り組んでいます。

1946(昭和21)年に入り、東久邇宮稔彦王は貴族院の皇族議員も辞職しました。さらに、その年から1952(昭和27)年まで公職追放の処分も受けています。1947年には皇室典範などが改正され、東久邇宮は皇籍を離脱することに。名前も「東久邇稔彦」に改めました

102歳まで存命

一般人となった東久邇稔彦は、フランス留学時代を思い出したかのように自由で気ままな生活を送りました。喫茶店経営や骨董品販売などを手掛けるも、どれも長続きせず。1950(昭和25)年には、知り合いの宗教家とともに新興宗教団体「ひがしくに教」を興しましたが、すぐに解散させられることとなります。

1960(昭和35)年には、石橋湛山や片山哲らとともに、安保闘争への対応をめぐり岸信介首相に退陣勧告しました。そして、東久邇稔彦が亡くなったのは、1990(平成2)年のことでした。東久邇は明治・大正・昭和・平成の4時代を生き抜いたことになります。歴代首相経験者では最長寿となる、102歳まで生きました

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東久邇宮稔彦王は皇籍を離脱して東久邇稔彦になってからすぐに、なんと戦後まもない新宿の闇市で乾物屋を始めたぞ。東久邇いわく「人生の勉強」とのこと。「貧しかったが国民と共に必死に働いたことで初めて充実した人生を送れた」などと、回想録で語っているな。自由奔放で型にとらわれない、彼らしいエピソードだといえるだろう。

東久邇宮稔彦王は終戦直後の日本で重要な政策を実施した

皇族で軍人という身でありながら、終戦直後の日本を建て直すという決意を持って、東久邇宮稔彦王は内閣総理大臣となりました。進駐軍の受け入れや降伏文書の調印など、東久邇宮内閣では重要な施策が行われています。しかし、GHQが膨大な指令を要求したため、東久邇宮内閣は対応し切れなくなりました。そのため、わずか54日で東久邇宮内閣が倒れることになったのです。

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