
今回は「クレオパトラ」について、彼女が最後の女王となったプトレマイオス朝や、愛人となったローマのカエサルとアントニウスについても交えながら歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。
- 1.クレオパトラが最後の女王となったプトレマイオス朝エジプトとは
- プトレマイオス朝エジプトはどんな国?
- ギリシャ文化とオリエント文化の融合「ヘレニズム」
- プトレマイオス朝の衰退はいつから?
- 2.揉めるエジプトの王位継承問題
- 弟と結婚!?女王として即位するも追放
- ローマからやってきたカエサルという政治家
- 絨毯からはじめまして!クレオパトラとカエサルの出会い
- カエサルとクレオパトラ大苦戦「アレクサンドリア戦争」
- クレオパトラ、女王として君臨
- クレオパトラとカエサルの息子「カエサリオン」誕生
- やりすぎたカエサル、とうとう暗殺される
- 3.カエサルの死から一転、クレオパトラがプトレマイオス朝最後の女王になったワケ
- クレオパトラ、アントニウスと結婚する
- ローマと対立!クレオパトラ破滅への一歩
- 毒ヘビに自分を噛ませて自殺!クレオパトラの最後
- 己を武器に、エジプトに君臨し続けた女王
この記事の目次

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。歴史のなかでも特に古代の国家や文明に大きな関心を持つ。今回は古代のエジプトとローマに関わる重要人物「クレオパトラ」についてまとめた。
1.クレオパトラが最後の女王となったプトレマイオス朝エジプトとは

今回解説する「クレオパトラ」が治めたプトレマイオス朝エジプト。そのはじまりは紀元前304年にまでさかのぼります。そのころ、現在のギリシャ北部にあった古代マケドニア王国の王・アレクサンドロス大王(イスカンダル)の東方遠征により小アジアからシリア、エジプト、ペルシア帝国を征服して広大な帝国を築いていました。
しかし、アレクサンドロス大王は後継者を決める前に亡くなってしまい、家臣たちの後継者争いによって帝国は分裂してしまいます。その分裂したうち、エジプトを引き継いだのがプトレマイオス1世でした。
プトレマイオス朝エジプトはどんな国?
マケドニアのアレクサンドロス大王の後継者のひとりプトレマイオス1世が治めることになったエジプト。首都はアレクサンドリア。現在のエジプトの首都カイロの北西にある地中海に面した都市で、海上貿易によって栄えました。
プトレマイオス1世はギリシャ人でしたが、エジプトの文化や制度は残し、エジプト人にはエジプトの法律を、ギリシャ人にはギリシャの法律を適応します。王様がギリシャ人だからとエジプトの人たちも今日からギリシャの法律に従え、と横柄にしなかったわけですね。
ギリシャ文化とオリエント文化の融合「ヘレニズム」
ギリシャ文化とオリエント文化が融合した文化「ヘレニズム」世界の中心となります。ヘレニズム文化の下、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケなど、一度は見たことがあるような彫刻が造られました。また、ヘレニズムは後のルネサンスや、インドのガンダーラ美術などに影響を与えます。
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プトレマイオス朝の衰退はいつから?
プトレマイオス2世が従来のエジプトと同じように王権の神格化をはかったりと、プトレマイオス朝は徐々にギリシャから離れ、エジプト化していきます。そうして、プトレマイオス朝四代目の王となったころ、複雑な王位継承権や政治の停滞、外敵との戦いなどさまざまな問題を抱え、プトレマイオス朝の衰退が表面化していきました。
そんななか、プトレマイオス1世の子孫が民衆の怒りを買って殺され、代わりに王位についたのが傍系のプトレマイオス12世。クレオパトラの父でした。
また、一方で、このような状況にあるエジプトを狙いはじめたのがローマだったのです。
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