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3分で簡単「秦の始皇帝」なぜ万里の長城を建設した?初めて中華を統一した皇帝を歴史オタクがわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ。紀元前200年ごろに中国に成立した「秦」は、はじめて中華を統一した帝国だ。その皇帝となったのが今回のテーマとした「始皇帝」。万里の長城や兵馬俑が有名どころだな。
今回は「秦の始皇帝」について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。歴史のなかでも特に古代の国家や文明に大きな関心を持つ。今回は古代中国をはじめて統一した「秦の始皇帝」についてまとめた。

1.始皇帝はじめての中国全土統一!

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不明 – Yuan, Zhongyi. China’s terracotta army and the First Emperor’s mausoleum: the art and culture of Qin Shihuang’s underground palace. Paramus, New Jersey: Homa & Sekey Books, 2010. ISBN 978-1-931907-68-2 (p.140), パブリック・ドメイン, リンクによる

「秦の始皇帝」が生まれたのは紀元前259年のこと。このころの中国は秦、韓、魏、趙、楚、斉、燕の七つの国に分かれて対立する「戦国時代」でした。中国統一までは「皇帝」でなく「秦王(嬴政・えいせい)」でありますが、ややこしくなるのでここでは始皇帝で統一しますね。

さて、七国のなかでも秦は最も西に位置します。父王が亡くなると、当時わずか13歳だった始皇帝が即位。最初こそ家臣たちに政治を任せていましたが、成人するとみるみるうちにその政治手腕を発揮していったのです。

まずは富国強兵に努めよう!灌漑農業開始に法整備

他国に勝つため、そして国を生き残らせるために始皇帝は秦の強化を行います。

国を成り立たせるための国民が必要とする食料は重要ですよね。まず、始皇帝は農業を安定させるため「灌漑農業(かんがいのうぎょう)」を推進します。灌漑農業は、農業に欠かせない水を得るために人工的なため池や用水路を用いた農業のこと。自然と降る雨に頼り切りでは不安定だった農業が、水を溜めるシステムを用いることで安定し、生産量を増やすことができたのです

また、秦は法を重視する国家でした。始皇帝は、法家(諸子百家のひとつ)の「李斯(りし)」を重用。李斯は始皇帝に厳格な法のもとで国を統治することを説くと同時に、秦の重要な政治家となります。

秦の統一戦争開始!諸国を次々と滅亡に

富国強兵に努め、強力な軍事力を持った秦の始皇帝は、紀元前236年、ついに中華統一へ向けて戦争を開始します。まずはお隣の韓と趙の二国、そして、燕でした。

始皇帝に深い恨みを持っていた燕の太子・丹は始皇帝へ暗殺者「荊軻(けいか)」を差し向けます。荊軻は巧みに始皇帝へと近づき、あわやと言うところまで始皇帝を追い込んだのです。しかし、あと一歩というところで暗殺は失敗。激怒した始皇帝はすぐさま燕を滅ぼしてしまいます。

そうして、魏、楚、斉を次々と滅ぼし、紀元前221年に統一戦争と戦国時代に終止符を打ったのでした。

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群雄割拠し、七つの国に分かれて争っていた中国の戦国時代に始皇帝が登場した。始皇帝は政治手腕を発揮して国を豊かにすることに努め、幾多の受難を乗り切って他の六国を滅ぼし、はじめて中華を統一したんだ。その面積は現在の中国に近いともいわれているぞ。

2.これから秦をどうする?始皇帝の政策

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中華統一を成し遂げたのが、始皇帝39歳のころのこと。外敵を打ち倒したあとは、今度は内政により力を入れなくてはなりません。始皇帝はそのための数々の政策を打ち出します。そして、それは後に続く国家へと受け継がれる皇帝による政治の基礎となるのでした。

\次のページで「戦国時代に何人もいた「王」よりもさらに特別な「皇帝」へ」を解説!/

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