「普通選挙法」はいつ制定された?治安維持法との関係や女性の参政権などを歴史好きライターがわかりやすく解説
普通選挙法の内容は?
護憲三派は、第二次護憲運動で政党内閣の結成や普通選挙の実施を公約としていました。加藤高明内閣が成立し、その公約を実現させます。1924(大正13)年、衆議院議員選挙法を改正するという形で普通選挙法が成立。1928(昭和3)年実施の衆議院総選挙より施行されることになります。
普通選挙法が施行されたことで、満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられました。改正により、人口の約2割に選挙権が付与されたことになります。しかし、1925(大正14)年に枢密院が欠格要件を加えたため、完全な普通選挙とはなりませんでした。そして、女性には依然として選挙権は与えられていません。
普通選挙法と同時に制定された治安維持法とは?
普通選挙法と時を同じくして制定された法律が、治安維持法です。国体変革や私有財産制の否認を目的とする結社や個人運動を禁じるという内容になっています。普通選挙が実現されると同時に、社会主義運動は厳しく取り締まられるようになりました。2つの法律の関係を、「アメとムチ」に例えても良いでしょう。
治安維持法は、いつしか拡大適用されるようになります。1928(昭和3)年の緊急勅令により、最高刑が死刑へと変更。1941(昭和16)年には全面改正され、国の方針に従わない者を弾圧する手段として濫用されました。その結果、全国で約7万人が摘発され、少なくとも400人が獄中で亡くなったとされます。
婦人参政権運動の隆盛
明治末期から大正デモクラシーの時期にかけて、女性に与えられていなかった参政権を求めていこうとする機運が高まります。1911(明治44)年には平塚らいてうが青踏社を結成し、婦人解放運動を展開するように。その後、新婦人協会や婦人参政権獲得期成同盟会などが設立され、運動の盛り上がりを見せました。
運動の成果はその後現れます。1922(大正11)年には治安警察法第5条2項が改正され、女性が自由に集会できるようになりました。1933(昭和8)年になると婦人弁護士制度が制定され、女性が弁護士になれる道が開かれています。しかし、婦人参政権が認められるのはまだ先のことでした。
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戦後に実施された普通選挙法の改正
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普通選挙法で有権者数は拡大しましたが、女性の参政権は認められませんでした。ここからは、戦後の選挙制度改革について見ていくことにしましょう。
完全普通選挙の実現
終戦して間もない1945(昭和20)年の10月に、衆議院議員選挙法改正法案が帝国議会に提出されました。その頃は、まだ日本国憲法が公布されていませんでした。それでも法案は可決し、初めて女性に参政権が与えられました。それと同時に、選挙権が20歳以上、被選挙権が25歳以上に引き下げられています。
日本国憲法は1946(昭和21)年に公布され、翌年の1947(昭和22)年に施行されました。その中の第15条は、公務員の地位について規定するものです。それと同時に、普通選挙や秘密選挙を保障するものと解釈されています。投票に関して法律上いかなる不利益を受けないとも規定されました。
公職選挙法の制定
1950年、衆議院議員選挙法や地方自治法などの選挙規定を統合する形で、公職選挙法が制定されました。各法でばらつきがあったものを、日本国憲法の理念に基づいて1つにしたものです。衆参両院の選挙権が18歳以上という規定も、公職選挙法で定められています。
公職選挙法の改正は、制定されて以降繰り返し行われました。1982(昭和57)に参議院選挙で拘束名簿式比例代表制、1994(平成6)より衆議院選挙で小選挙区比例代表並立制を導入。衆参両院で定数削減や区割り改定なども行われました。2015(平成27)年以降は、毎年のように一部改正されています。
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