今回は、普通選挙法について学んでいこう。

日本に帝国議会が設立されてからしばらくは、有権者の数は限られていた。それが、普通選挙法の成立により、有権者の数は一気に増えることとなったぞ。

普通選挙法の概要や同時に制定された治安維持法との関係、それに女性参政権などについて、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

自由民権運動と選挙制度の誕生

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まずは、明治維新を迎えた日本がいかにして議会と選挙制度を獲得したか、振り返っていくことにしましょう。

民撰議院設立建白書の提出

1873(明治6)年、板垣退助や西郷隆盛は征韓論を主張していましたが、内治優先を主張する大久保利通や木戸孝允などのグループと対立。板垣は、西郷らとともに明治政府から離れます。下野した板垣は、1874(明治7)年に愛国公党を結成平民に参政権を与え、議会を設立すべきと主張するようになります。

愛国公党結成からまもなくして、板垣は後藤象二郎らとともに民撰議院設立建白書を政府に提出しました。議会制政治の実現を迫ったものです。しかし、政府は時期尚早としてこれを却下。これを受けた板垣は、高知に立志社や大阪に愛国社を設立し、議会設立に向けた運動のため奔走するようになります。

国会開設の詔

1880(明治13)年の愛国社が主催する大会で、国会期成同盟の発足が発表されました。愛国社とは別に組織され、国会開設が実現するまでは存続することがその場で発表されています。しかし、国会開設の請願が何度も行われたものの、いずれも却下されるか回答を得られませんでした。

1881(明治14)年になると、明治天皇の名で国会開設の詔が出されました1890(明治24)年より議員を招集し、国会を開設することを表明したものです。同時に、憲法を制定する意向も示されました。それを機に、板垣は日本初の政党である自由党を結党し、板垣が党首となったのです。

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初めて認められた選挙権とは?

1890(明治24)年に初めて行われる帝国議会の総選挙に備え、1889(明治23)年に衆議院議員選挙法が制定されました。その中で、選挙資格を「直接国税15円以上を納付した25歳以上の男子」としたのです。これは全人口の1パーセントほどに過ぎず、女性に至っては選挙権が与えられませんでした。

その後、衆議院議員選挙法は何度も改正されます。1900(明治34)年には、納税資格が10円以上にまで引き下げられました。1919(大正8)年にはさらに緩和され、納税額3円以上の男子に選挙権が与えられています。それでも女性に選挙権が与えられることはありませんでした

大正デモクラシーで生まれる普通選挙への機運

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初めて日本が導入した選挙制度は、ほとんどの人が対象とはなりませんでした。ここでは、普通選挙法が制定されるまでの動きについて見ていくことにしましょう。

天皇機関説と民本主義の提唱

1912(明治45)年、美濃部達吉は『憲法講話』を著し、天皇機関説を唱えました。天皇は国家の機関の一つにすぎず、天皇は最高機関ではあるが、内閣などからの進言を得ながら統治権を行使すると位置付けています。その説は、議院内閣制や政党政治を支持するものとして受け止められるようになりました。

1916(大正5)年には、吉野作造が『中央公論』誌上で論文を発表します。政治の目的は民衆の利福にあり、政策決定は民衆の意向に従うべきと主張しました。当時の日本は大日本帝国憲法の下にあったため、民本主義においては主権の所在は問いませんでした。民本主義は、その後の社会運動に大きな影響を与えることとなります。

第二次護憲運動

第一次護憲運動で桂太郎内閣が倒れた後、原敬内閣で日本初の本格的政党が実現します。しかし、原が任期半ばで倒れた後、政党の意向が反映されない首相人事が続くことに。虎ノ門事件で引責辞任した山本権兵衛に代わって総理となったのが、枢密院議長の清浦奎吾です。清浦は、貴族院中心の人事で組閣を進めました

これに反発したのが、護憲三派と呼ばれる立憲政友会・憲政会・革新倶楽部の3党です。護憲三派は、清浦内閣の退陣を迫りました。清浦内閣成立から5か月後に総選挙が行われると、護憲三派は圧勝。加藤高明内閣が成立し、2年ぶりに政党内閣が復活したのです。

普通選挙法と治安維持法の制定

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第二次護憲運動後に成立した加藤高明内閣により、普通選挙法が制定されます。それがどのような法律だったのか、また、同時に制定された治安維持法についても見ていくことにしましょう。

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普通選挙法の内容は?

護憲三派は、第二次護憲運動で政党内閣の結成や普通選挙の実施を公約としていました。加藤高明内閣が成立し、その公約を実現させます。1924(大正13)年、衆議院議員選挙法を改正するという形で普通選挙法が成立。1928(昭和3)年実施の衆議院総選挙より施行されることになります。

普通選挙法が施行されたことで、満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられました。改正により、人口の約2割に選挙権が付与されたことになります。しかし、1925(大正14)年に枢密院が欠格要件を加えたため、完全な普通選挙とはなりませんでした。そして、女性には依然として選挙権は与えられていません

普通選挙法と同時に制定された治安維持法とは?

普通選挙法と時を同じくして制定された法律が、治安維持法です。国体変革や私有財産制の否認を目的とする結社や個人運動を禁じるという内容になっています。普通選挙が実現されると同時に、社会主義運動は厳しく取り締まられるようになりました。2つの法律の関係を、「アメとムチ」に例えても良いでしょう。

治安維持法は、いつしか拡大適用されるようになります。1928(昭和3)年の緊急勅令により、最高刑が死刑へと変更。1941(昭和16)年には全面改正され、国の方針に従わない者を弾圧する手段として濫用されました。その結果、全国で約7万人が摘発され、少なくとも400人が獄中で亡くなったとされます。

婦人参政権運動の隆盛

明治末期から大正デモクラシーの時期にかけて、女性に与えられていなかった参政権を求めていこうとする機運が高まります。1911(明治44)年には平塚らいてうが青踏社を結成し、婦人解放運動を展開するように。その後、新婦人協会や婦人参政権獲得期成同盟会などが設立され、運動の盛り上がりを見せました

運動の成果はその後現れます。1922(大正11)年には治安警察法第5条2項が改正され、女性が自由に集会できるようになりました1933(昭和8)年になると婦人弁護士制度が制定され、女性が弁護士になれる道が開かれています。しかし、婦人参政権が認められるのはまだ先のことでした。

戦後に実施された普通選挙法の改正

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普通選挙法で有権者数は拡大しましたが、女性の参政権は認められませんでした。ここからは、戦後の選挙制度改革について見ていくことにしましょう。

完全普通選挙の実現

終戦して間もない1945(昭和20)年の10月に、衆議院議員選挙法改正法案が帝国議会に提出されました。その頃は、まだ日本国憲法が公布されていませんでした。それでも法案は可決し、初めて女性に参政権が与えられました。それと同時に、選挙権が20歳以上、被選挙権が25歳以上に引き下げられています

日本国憲法は1946(昭和21)年に公布され、翌年の1947(昭和22)年に施行されました。その中の第15条は、公務員の地位について規定するものです。それと同時に、普通選挙や秘密選挙を保障するものと解釈されています。投票に関して法律上いかなる不利益を受けないとも規定されました。

公職選挙法の制定

1950年、衆議院議員選挙法や地方自治法などの選挙規定を統合する形で、公職選挙法が制定されました。各法でばらつきがあったものを、日本国憲法の理念に基づいて1つにしたものです。衆参両院の選挙権が18歳以上という規定も、公職選挙法で定められています

公職選挙法の改正は、制定されて以降繰り返し行われました。1982(昭和57)に参議院選挙で拘束名簿式比例代表制、1994(平成6)より衆議院選挙で小選挙区比例代表並立制を導入。衆参両院で定数削減や区割り改定なども行われました。2015(平成27)年以降は、毎年のように一部改正されています。

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現在の日本の選挙に問題はあるか?

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現在の日本では完全普通選挙が実現していますが、依然として選挙制度などに問題があると考えられます。どんな問題が存在しているのか、改めて見ていくことにしましょう。

一票の格差

一票の格差とは、一票の重みに不平等が生じる現象のことです。都道府県や市町村の区割りに準拠する選挙区を設定する場合、選挙区ごとに有権者の数が異なる状況が発生します。特に都道府県を単位とする参議院選挙区は格差が生じやすく、人口比で6倍以上の格差が生まれたこともありました。

いわゆる一票の格差是正の訴訟は、1960年代から起きています。違憲判決が出ることもありますが、事情判決の法理により選挙自体が無効になったことはありません。区割りを変更するなどで対応していますが、人口の多い都市部の意見が優先されて人口減に悩む地方の意見が軽視されやすくなるという事態も起こりつつあります。

低い投票率

2003(平成15)年より期日前投票制度が導入され、従来の不在者投票よりも要件や投票方法が簡素化されました。それにより、投票日に仕事や病気などで投票所に行けない人も投票する機会が増えることになります。2021(令和3)年の総選挙では、有権者の約15%が不在者投票を利用しました。

しかし、若い世代の投票率が低いことに懸念すべきでしょう。過去30年で行われた総選挙では、20代の投票率がすべて半数を割っています2016(平成28)年から選挙権が18歳以上に引き下げられましたが、2回行われた総選挙ではいずれも10代の投票率は40%台です。若い世代への啓発活動が求められるのは言うまでもありません。

日本は完全な普通選挙の実現までに多くの時間を要した

日本に帝国議会が設立されてから、しばらくは一部の者にしか選挙権が与えられませんでした。1924(大正13)年の普通選挙法成立により、25歳以上の男子すべてに選挙権が与えられるようになります。しかし、普通選挙法でも女性に参政権は与えられず、同時に制定された治安維持法は濫用されました。女性にも参政権が付与されたのは、戦後になってからのことでした。

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現代社会

「普通選挙法」はいつ制定された?治安維持法との関係や女性の参政権などを歴史好きライターがわかりやすく解説

普通選挙法の内容は?

護憲三派は、第二次護憲運動で政党内閣の結成や普通選挙の実施を公約としていました。加藤高明内閣が成立し、その公約を実現させます。1924(大正13)年、衆議院議員選挙法を改正するという形で普通選挙法が成立。1928(昭和3)年実施の衆議院総選挙より施行されることになります。

普通選挙法が施行されたことで、満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられました。改正により、人口の約2割に選挙権が付与されたことになります。しかし、1925(大正14)年に枢密院が欠格要件を加えたため、完全な普通選挙とはなりませんでした。そして、女性には依然として選挙権は与えられていません

普通選挙法と同時に制定された治安維持法とは?

普通選挙法と時を同じくして制定された法律が、治安維持法です。国体変革や私有財産制の否認を目的とする結社や個人運動を禁じるという内容になっています。普通選挙が実現されると同時に、社会主義運動は厳しく取り締まられるようになりました。2つの法律の関係を、「アメとムチ」に例えても良いでしょう。

治安維持法は、いつしか拡大適用されるようになります。1928(昭和3)年の緊急勅令により、最高刑が死刑へと変更。1941(昭和16)年には全面改正され、国の方針に従わない者を弾圧する手段として濫用されました。その結果、全国で約7万人が摘発され、少なくとも400人が獄中で亡くなったとされます。

婦人参政権運動の隆盛

明治末期から大正デモクラシーの時期にかけて、女性に与えられていなかった参政権を求めていこうとする機運が高まります。1911(明治44)年には平塚らいてうが青踏社を結成し、婦人解放運動を展開するように。その後、新婦人協会や婦人参政権獲得期成同盟会などが設立され、運動の盛り上がりを見せました

運動の成果はその後現れます。1922(大正11)年には治安警察法第5条2項が改正され、女性が自由に集会できるようになりました1933(昭和8)年になると婦人弁護士制度が制定され、女性が弁護士になれる道が開かれています。しかし、婦人参政権が認められるのはまだ先のことでした。

戦後に実施された普通選挙法の改正

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普通選挙法で有権者数は拡大しましたが、女性の参政権は認められませんでした。ここからは、戦後の選挙制度改革について見ていくことにしましょう。

完全普通選挙の実現

終戦して間もない1945(昭和20)年の10月に、衆議院議員選挙法改正法案が帝国議会に提出されました。その頃は、まだ日本国憲法が公布されていませんでした。それでも法案は可決し、初めて女性に参政権が与えられました。それと同時に、選挙権が20歳以上、被選挙権が25歳以上に引き下げられています

日本国憲法は1946(昭和21)年に公布され、翌年の1947(昭和22)年に施行されました。その中の第15条は、公務員の地位について規定するものです。それと同時に、普通選挙や秘密選挙を保障するものと解釈されています。投票に関して法律上いかなる不利益を受けないとも規定されました。

公職選挙法の制定

1950年、衆議院議員選挙法や地方自治法などの選挙規定を統合する形で、公職選挙法が制定されました。各法でばらつきがあったものを、日本国憲法の理念に基づいて1つにしたものです。衆参両院の選挙権が18歳以上という規定も、公職選挙法で定められています

公職選挙法の改正は、制定されて以降繰り返し行われました。1982(昭和57)に参議院選挙で拘束名簿式比例代表制、1994(平成6)より衆議院選挙で小選挙区比例代表並立制を導入。衆参両院で定数削減や区割り改定なども行われました。2015(平成27)年以降は、毎年のように一部改正されています。

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