
弘法にも筆の誤り!三筆の登場
「弘法にも筆の誤り」ということわざを聞いたことがあると思います。弘法は空海のことです。空海は書の達人でもあり、最澄に宛てた手紙である「風信帖」は当時の書道の様式である唐様の名筆といわれています。また、嵯峨天皇と橘逸勢も空海と並ぶ能筆家で3人を三筆と称されるようになりました。
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エリートを育てる教育機関?大学別曹!
文章経国の思想は国の教育施設である大学での学問を盛んにしました。儒教を学ぶ明経道や歴史や文学を学ぶ紀伝道が重んじられ、有力な貴族は一族の子弟の教育のために大学別曹を設けます。
設立された主な大学別曹と創設した貴族
・弘文院 和気広世が創立
・勧学院 藤原冬嗣が創立
・学館院 檀林皇后と橘氏が創立
・奨学院 在原行平が皇族や在原氏のために創立
大学別曹が作られると同時に学問が家学化していきます。文章道では菅原氏や大江氏が、明経道では清原氏や中原氏といったその学問の専門家の家柄ができたのです。
学問は貴族に必要なものということで、教育が発展していきました。庶民に対する教育は行われていません。そこで、空海が教育の門戸を開くために綜芸種智院を創設しました。
漢詩作成隆盛期?貴族の教養は漢詩にあり!
朝廷では古代貴族の教養で漢詩文を作ることが重要視されていました。文章経国の思想で宮中で漢詩文を読む宴がしばしば行われます。特に嵯峨天皇と淳和天皇の頃には「凌雲集」「文華秀麗集」「経国集」という3つの勅撰漢詩集が編纂されました。
嵯峨天皇や空海、小野篁などの漢詩の達人が生まれ、弘仁・貞観文化の終わりには菅原道真が登場します。この時期は国風暗黒時代とも呼ばれるくらい漢詩の編纂を行っていたのです。
漢詩でも空海は類い稀なる才能を発揮し、漢詩作成の評論である「文鏡秘府論」や漢詩集の「性霊集」などが編まれました。やはり、弘仁・貞観文化は密教が大きな影響を与えているのです。
弘仁・貞観文化は現在の日本文化の原点!
弘仁・貞観文化は日本に密教が伝来したことで始まった文化です。日本固有の文化と密教が混じり合う文化となりました。神仏習合で日本の神と仏が結びつくことで、独自の文化へと発展しています。これは日本のオリジナリティや他の技術を昇華する日本の文化に結びつくものです。弘仁・貞観文化は現代日本が忘れている技術力を高めるアイデアの原点でもあるといえます。