化学理科生活と物質

屋井先蔵って誰?乾電池王と呼ばれた屋井先蔵の生涯を理系ライターが解説!

よぉ、桜木建二だ。

今回のテーマは「屋井先蔵(やい さきぞう)」という人物だ。
教科書に出てくることはほとんどないが、現代日本を作った人物といっても過言ではない。屋井先蔵は、普段の生活に欠かせない「乾電池」を発明した人物だぞ。
乾電池発明の裏には屋井先蔵の人生が大きく関わっている。屋井先蔵がどのような人生を歩んだのか、ぜひチェックしてほしい。

今回は「屋井先蔵はどのような生涯を送ったのか」「乾電池が世間に広まったきっかけ」を化学に詳しいライターリックと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ID: ↑パーツ内本文:76文字

ライター/リック

高校生で化学にハマり、大学院までずっと化学を勉強してきた化学オタク。今は化学メーカーで働きながら化学の楽しさを発信する。

ID: ↑パーツ内本文:60文字

乾電池王と呼ばれた「屋井先蔵」とはどんな人物なのか

Yai Sakizo.jpg
不明 – http://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20141111post-552.html, パブリック・ドメイン, リンクによる

「乾電池」普段の生活で当たり前のように使っていますよね。デジタル化の進む現代の日本を支えている乾電池は、実は日本生まれなんです。日本で初めて乾電池を発明したのが「屋井先蔵」という人物。教科書で紹介されることはほとんどないですが、今の日本を作ったといっても過言ではないほど、重要な人物です。

今回は乾電池王と呼ばれる「屋井先蔵」がどのような人生を歩んだのか、紹介していきます。

ID: ↑パーツ内本文:188文字
no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

教科書で紹介されることはほとんどないが、現代日本の基礎を作った人物といっても過言ではないぞ。

ID: ↑パーツ内本文:46文字

新潟で生まれた屋井先蔵、夢は永久機関の発明

ここからは、「屋井先蔵」の生涯を紹介していきます。

屋井先蔵は、1863年、新潟県の長岡で生まれました。元々手先が器用だった屋井先蔵は、幼いころから天体や水車など回り続ける物に興味を寄せていました。13歳で時計店で働くようになり、「永久に運動し続ける『永久機関』を作りたい」と大きな夢を抱くようになりました。

その後、機械についてさらに詳しく学ぶために上京し、東京職工学校(現在の東京工業大学)への入学を目指し勉強します。しかし、受験には2度失敗し、2度目の試験当日、人生を変える出来事が起こりました。

ID: ↑パーツ内本文:253文字

きっかけは遅刻から!?正確な時計を作りたい

image by iStockphoto

2度目の試験当日、屋井先蔵は、なんと寝坊してしまったのです。急いで試験会場に向かいましたが、5分遅刻してしまい試験すら受けることができませんでした。しかし、街中にある時計は試験開始時刻の1分前でした。

当時の時計は手動のゼンマイ式が主流で、街中の時計が示す時刻もバラバラだったんです。この出来事が引き金になり、屋井先蔵は電気で常に正確な時刻を示す、「連続電気時計」の発明に情熱を注ぐようになりました。当時、電池というものは存在していたが、世間に浸透はしていなかったんです。

ID: ↑パーツ内本文:237文字

電気時計の発明から乾電池の開発に着手

電気時計の発明から乾電池の開発に着手

image by Study-Z編集部

屋井先蔵が完成させた連続電気時計ですが、売れ行きはよくありませんでした。そもそも電池が世間に浸透していなかったこともありますが、連続電気時計には大きな欠点がありました。当時使っていた「ルクランシェ電池」は液体電池とも呼ばれ、電解質に液体を使っていたことです。

液体を使っているため、「すぐに液漏れする」「冬になると電解液が凍る」ことが原因で、すぐに壊れてしまうということが最大の欠点だったのですね。

そこで屋井先蔵は、液体を使わない新たな電池の開発に着手します。地道な作業の末、液体だった電解液は、石膏を混ぜて糊状に固めて、持ち運んでも液漏れしないような工夫がされました。

しかし、それでも正極から薬品が染み出してくるという問題が最後まで残りました。そこで、正極に使う炭素棒にロウを染み込ませて液漏れを防ぎ、ついに屋井先蔵が追い求めた電池が完成します。この電池を乾電池と名付けました。

ID: ↑パーツ内本文:395文字
次のページを読む
1 2 3
Share: