白鳳文化という日本文化の用語を知っているか。中学校までの教科書では飛鳥文化とまとめて紹介されていることが多いが、日本史の教科書で初めて出てくる文化です。飛鳥文化よりも後の文化で違いがわかりにくいところがあるな。
今回は文化史が好きな現役塾講師ライターの明東碧吾と白鳳文化について深く掘り下げながら解説していきます。

ライター/明東碧吾

現役塾講師で専門科目の社会の授業はわかりやすいという定評がある。古代・中世の文化史が大好きで、文化財鑑賞の旅へも出かける。

白鳳文化とは?時代や特徴は?

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白鳳文化という文化名を指す言葉をみなさんは知っていますか。小中学校の教科書では出てこない文化期になります。では、どのような文化なのでしょうか。キーワードは飛鳥時代と薬師寺です。キーワードに沿って、白鳳文化を見ていきましょう。

飛鳥時代に栄えた文化?

まずはキーワードの1つ目、飛鳥時代です。

飛鳥時代の文化といえば、日本初の仏教文化である飛鳥文化が有名ですね。飛鳥文化は聖徳太子(厩戸皇子)が建立した法隆寺を中心とした文化になります。しかし、飛鳥時代は592年から平城京ができる710年までの100年以上の長い時代です。

100年以上も時が経てば文化も変容していきます。そこで、聖徳太子の頃の文化を飛鳥文化として、後期の藤原京に都が置かれ、天武天皇持統天皇が政治を行なっていた時期の文化を区別したのです。これが白鳳文化になります。

飛鳥文化との違いは?

飛鳥文化は聖徳太子の法隆寺を中心とする文化です。また、日本で仏教が広まってきた頃の文化のため、中国や朝鮮だけでなく、インドなど国際色が豊かな文化となりました。しかし、白鳳文化は広まった仏教を国でも厚く信仰する国家仏教にするために朝廷の統制が行われた文化になるのです。

国家仏教にするための動きに官寺というものがあります。官寺は朝廷が建てたり、建てるように支援した寺院のことです。同時に皇族や貴族の中では寺院を立てることが1つのステータスとなり、各地に大変多くの寺院が建立されました。

また、中国の唐の初期(初唐)の文化を吸収して、仏像が作られます。飛鳥文化に比べて、白鳳文化は初唐の影響を受けながらも日本色が少しずつ出された文化なのです。

白鳳文化の特徴は薬師寺にあり!

続いて、キーワードの2つ目の薬師寺についてです。

白鳳文化の時期に建立された寺院として有名なのが薬師寺になります。薬師寺は天武天皇が持統天皇の病気の平癒を願って建立されました。その後、藤原京に遷都したことから朝廷の中心となる官寺となります。

国家仏教を目指す朝廷は薬師寺のほかにも大官大寺といった官寺を建立しました。そこでは金光明経などの護国経典を説く法会が行われ、国家仏教を完成する動きがとられたのです。

また、薬師寺には白鳳文化の時期に作られた仏像も多く安置されています。白鳳文化の中心的な寺院であり、朝廷の考えを広める重要な寺院だったのです。

国家仏教の中心地?薬師寺建立とは?

薬師寺 東塔
663highland - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, リンクによる

薬師寺は680年に創建され、奈良時代には国家仏教の中心地となる南都七大寺に数えられる寺院です。現在では古都奈良の文化財の1つとして世界遺産に登録されています。

薬師寺は白鳳文化の時期に建立された国家仏教を広める官寺として、朝廷が主催する法会などが多く開かれました。では、白鳳文化の薬師寺はどのような寺院なのかを見ていきます。

白鳳文化の全てを結集?白鳳文化の代表薬師寺!

薬師寺は藤原京に遷都した朝廷が推し進める国家仏教の中心地として建立され、機能していました。朝廷が行う金光明経などの護国経典の法会を行い、国家的に仏教を広める中心地でした。

また、薬師寺は金堂を中心に西塔東塔が対象に置かれる伽藍配置をしており、白鳳文化の代表的な伽藍配置になっています。そのことから白鳳伽藍とも呼ばれているのです。平城京に移転して、火災や兵火でほとんどの伽藍を焼失しましたが、東塔のみは奈良時代から現存する建築物になっています。その後、白鳳伽藍を復興することが現代になって始まり、今の薬師寺となっているのです。

中国初唐の文化を伝える仏像たち!

Buddha Head Yamadadera.JPG
匿名 - 東洋美術  第25号  飛鳥園、奈良, パブリック・ドメイン, リンクによる

白鳳文化の仏像は飛鳥文化の仏像に比べると表情が柔らかく、ふくよかな顔つきをしているのが特徴になります。これは中国の初唐様式からきているものです。特に初唐の文化の仏像で中国の龍門にある奉先寺大仏(龍門石窟)は豊かな体つきを見事に表現しています。白鳳文化の仏像は奉先寺大仏のような初唐文化の影響を受けているのです。

白鳳文化の代表的な仏像には薬師寺金堂薬師三尊像薬師寺東院堂聖観音像法隆寺夢違観音像などがあります。また、白鳳文化期の柔らかな表情を表しているものとして有名なものが興福寺仏頭です。この仏頭は伸びやかで若々しい表情をしています。

白鳳文化の仏像は初唐の文化の影響を受けながら、飛鳥文化よりも柔らかな表情を出せるようになってきたのです。

\次のページで「薬師寺以外の白鳳文化を支える寺院!」を解説!/

薬師寺以外の白鳳文化を支える寺院!

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さぱしあ - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

白鳳文化の中心は薬師寺ですが、白鳳文化では薬師寺以外の官寺や貴族などの寺院である氏寺が多く建立されました。特に官寺で大きなものは大官大寺飛鳥寺です。現在は薬師寺と同じく、平城京遷都とともに奈良に移され、大官大寺は大安寺となり、飛鳥寺は元興寺となっています。

また、興福寺仏頭をもともと安置していた蘇我氏の氏寺である山田寺は白鳳文化の時代に大きく発展しました。興福寺の僧が攻めてくる平安時代まで白鳳文化を代表する仏像や伽藍配置を有していました。特に山田寺の回廊は倒壊していましたが当時のまま発見され、日本最古の建築物になるのではないかと言われています。また、奈良にある當麻寺の弥勒仏坐像持国天立像法輪寺の伝虚空蔵菩薩立像などは白鳳文化の特徴ある仏像を作り出したのです。

飛鳥文化の中心地である法隆寺でも新しい仏像が作られ、法隆寺夢違観音像は白鳳文化の代表的な仏像になっています。

古墳壁画が当時を伝える?

飛鳥時代の様子を伝える文献は奈良時代にまとめられた日本書紀などが現あります。聖徳太子(厩戸皇子)が制定した憲法十七条も日本書紀に記されていたことで、現在に伝わっているのです。また、さまざまな史跡がありますが、当時の生活の様子を知るには難しい状況になります。しかし、高松塚古墳壁画は当時の人物像などが色鮮やかに残っており、当時の様子を知ることができる貴重な資料となったのです。

今でも色鮮やかに残る高松塚古墳壁画!

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Mehdan - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

高松塚古墳は石室内の天井に星宿(天球上の恒星の位置)が描かれ、壁面には四神や男女群像が極彩色で描かれている古墳です。特に高松塚古墳に描かれている女子群像は今でも色鮮やかに残っていて、「飛鳥美人」とも呼ばれています。当時の様子を知る手がかりとしても注目されているのです。

また、キトラ古墳は高松塚古墳と同じく、極彩色の壁画が書かれた古墳になります。石室の壁面に四神と十二支の獣頭をした人が描かれた古墳です。白鳳文化の絵画として貴重な資料となっています。

これら2つの古墳壁画は中国や朝鮮半島の文化に影響を受けたものです。特に世界遺産の高句麗古墳群の一部では同じような壁画が見つかり、研究の対象になっています。ただ、一部描き方が違うことから、影響を受けながらも日本独自の描き方がされているのではないかとも考えられ、日本の独自性が少し見られる白鳳文化の特徴を表しているのかもしれません。

アジア古代仏教の代表壁画!法隆寺金堂壁画

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BENRIDO - BENRIDO, Wall Paintings of the Horyuji Monastery,1951, KYOTO, パブリック・ドメイン, リンクによる

法隆寺金堂壁画はインドのアジャンタ石窟壁画などと並んでアジア古代仏教を代表する壁画です。また、様式としては中国の敦煌石窟壁画に似ていることから、初唐の影響を受けた壁画ではないかと考えられ、白鳳文化の代表的絵画にもなっています。

1949年に法隆寺金堂壁画は火災が原因で一部を焼損してしまいました。焼損した一部の壁画はそのまま法隆寺に収納されています。その後、金堂に模写したパネルをはめ込むことが行われ、火災前の金堂の姿に戻すことができました。

次の文化の原型?白鳳文化が天平文化を作る!

663年の白村江の戦いののち、百済の貴族や文人が日本に亡命してきました。亡命してきた人たちの影響で朝廷で漢詩文が作られるようになり、漢詩文の作成が天平文化の日本書紀や古事記の編纂につながってきます。また、天平期には懐風藻と呼ばれる漢詩集も作られていることから、白鳳文化での漢詩文作成が大きな影響を与えているのです。

また、漢詩文の作成から日本語の語調にあう五音、七音から作られる長歌短歌の形式が整えられて、和歌が誕生しました。では、和歌草創期の白鳳文化にはどのような歌人や歌が残っているのか、見ていきましょう。

万葉集にも残る!和歌草創期の白鳳歌人たち

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Suomi3 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

和歌草創期の歌人といえば、白鳳文化を形成した藤原京の天皇たちが有名です。特に「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」で有名な持統天皇をはじめ、大海人皇子こと天武天皇額田王(ぬかたのおおきみ)など万葉集にも歌が残っていることから、天平文化の歌へ影響を与えたことが伺えます。

和歌の特徴としては集団性や呪術性、自然との融和が中心です。平安時代のような技巧的な和歌ではありませんが、素朴で雄大さがある歌になっています。

歌聖誕生?柿本人麻呂

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不明 - in the site of http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/ ;Website「やまとうた」 , パブリック・ドメイン, リンクによる

和歌は歌聖ともいわれる柿本人麻呂が発展させたと言われています。みなさんは古典の枕詞という単語を知っていますか。この枕詞を使った白鳳歌人の代表が柿本人麻呂になります。

柿本人麻呂は百人一首にある「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」の作者です。この歌には「あしびきの」という枕詞や「ながながし」を引き出す序詞が使用されています。

これらの技法は柿本人麻呂が和歌の表記法を確立したことが大きな要因です。表記法を確立したことで、柿本人麻呂は対句や枕詞を駆使することが可能になりました。

柿本人麻呂は和歌の基本的な表現法を確立して、天平文化でまとめられる万葉集のもとを築いたことから歌聖と呼ばれるのです。

白鳳文化を知れば天平文化も見えてくる!

白鳳文化は単に飛鳥時代の文化というわけではないです。次の天平文化を生み出すための重要な文化がこの時期に生まれました。特に漢詩文作成から歴史書編纂への動きや和歌が成立することで平安期の貴族文化の基礎が白鳳文化には詰まっています。

今までは飛鳥文化の一部と見られてきました。しかし、長い飛鳥時代を締めくくり、次の天平文化やそれ以後の文化に大きな影響を与えた重要な文化が白鳳文化なのです。

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日本史歴史飛鳥時代

白鳳文化って何?飛鳥文化との違いは?時代や仏像の特徴など天平文化に繋がる重要な文化を現役講師ライターがわかりやすく解説!

白鳳文化という日本文化の用語を知っているか。中学校までの教科書では飛鳥文化とまとめて紹介されていることが多いが、日本史の教科書で初めて出てくる文化です。飛鳥文化よりも後の文化で違いがわかりにくいところがあるな。
今回は文化史が好きな現役塾講師ライターの明東碧吾と白鳳文化について深く掘り下げながら解説していきます。

ライター/明東碧吾

現役塾講師で専門科目の社会の授業はわかりやすいという定評がある。古代・中世の文化史が大好きで、文化財鑑賞の旅へも出かける。

白鳳文化とは?時代や特徴は?

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白鳳文化という文化名を指す言葉をみなさんは知っていますか。小中学校の教科書では出てこない文化期になります。では、どのような文化なのでしょうか。キーワードは飛鳥時代と薬師寺です。キーワードに沿って、白鳳文化を見ていきましょう。

飛鳥時代に栄えた文化?

まずはキーワードの1つ目、飛鳥時代です。

飛鳥時代の文化といえば、日本初の仏教文化である飛鳥文化が有名ですね。飛鳥文化は聖徳太子(厩戸皇子)が建立した法隆寺を中心とした文化になります。しかし、飛鳥時代は592年から平城京ができる710年までの100年以上の長い時代です。

100年以上も時が経てば文化も変容していきます。そこで、聖徳太子の頃の文化を飛鳥文化として、後期の藤原京に都が置かれ、天武天皇持統天皇が政治を行なっていた時期の文化を区別したのです。これが白鳳文化になります。

飛鳥文化との違いは?

飛鳥文化は聖徳太子の法隆寺を中心とする文化です。また、日本で仏教が広まってきた頃の文化のため、中国や朝鮮だけでなく、インドなど国際色が豊かな文化となりました。しかし、白鳳文化は広まった仏教を国でも厚く信仰する国家仏教にするために朝廷の統制が行われた文化になるのです。

国家仏教にするための動きに官寺というものがあります。官寺は朝廷が建てたり、建てるように支援した寺院のことです。同時に皇族や貴族の中では寺院を立てることが1つのステータスとなり、各地に大変多くの寺院が建立されました。

また、中国の唐の初期(初唐)の文化を吸収して、仏像が作られます。飛鳥文化に比べて、白鳳文化は初唐の影響を受けながらも日本色が少しずつ出された文化なのです。

白鳳文化の特徴は薬師寺にあり!

続いて、キーワードの2つ目の薬師寺についてです。

白鳳文化の時期に建立された寺院として有名なのが薬師寺になります。薬師寺は天武天皇が持統天皇の病気の平癒を願って建立されました。その後、藤原京に遷都したことから朝廷の中心となる官寺となります。

国家仏教を目指す朝廷は薬師寺のほかにも大官大寺といった官寺を建立しました。そこでは金光明経などの護国経典を説く法会が行われ、国家仏教を完成する動きがとられたのです。

また、薬師寺には白鳳文化の時期に作られた仏像も多く安置されています。白鳳文化の中心的な寺院であり、朝廷の考えを広める重要な寺院だったのです。

国家仏教の中心地?薬師寺建立とは?

薬師寺 東塔
663highland投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, リンクによる

薬師寺は680年に創建され、奈良時代には国家仏教の中心地となる南都七大寺に数えられる寺院です。現在では古都奈良の文化財の1つとして世界遺産に登録されています。

薬師寺は白鳳文化の時期に建立された国家仏教を広める官寺として、朝廷が主催する法会などが多く開かれました。では、白鳳文化の薬師寺はどのような寺院なのかを見ていきます。

白鳳文化の全てを結集?白鳳文化の代表薬師寺!

薬師寺は藤原京に遷都した朝廷が推し進める国家仏教の中心地として建立され、機能していました。朝廷が行う金光明経などの護国経典の法会を行い、国家的に仏教を広める中心地でした。

また、薬師寺は金堂を中心に西塔東塔が対象に置かれる伽藍配置をしており、白鳳文化の代表的な伽藍配置になっています。そのことから白鳳伽藍とも呼ばれているのです。平城京に移転して、火災や兵火でほとんどの伽藍を焼失しましたが、東塔のみは奈良時代から現存する建築物になっています。その後、白鳳伽藍を復興することが現代になって始まり、今の薬師寺となっているのです。

中国初唐の文化を伝える仏像たち!

Buddha Head Yamadadera.JPG
匿名 – 東洋美術  第25号  飛鳥園、奈良, パブリック・ドメイン, リンクによる

白鳳文化の仏像は飛鳥文化の仏像に比べると表情が柔らかく、ふくよかな顔つきをしているのが特徴になります。これは中国の初唐様式からきているものです。特に初唐の文化の仏像で中国の龍門にある奉先寺大仏(龍門石窟)は豊かな体つきを見事に表現しています。白鳳文化の仏像は奉先寺大仏のような初唐文化の影響を受けているのです。

白鳳文化の代表的な仏像には薬師寺金堂薬師三尊像薬師寺東院堂聖観音像法隆寺夢違観音像などがあります。また、白鳳文化期の柔らかな表情を表しているものとして有名なものが興福寺仏頭です。この仏頭は伸びやかで若々しい表情をしています。

白鳳文化の仏像は初唐の文化の影響を受けながら、飛鳥文化よりも柔らかな表情を出せるようになってきたのです。

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