日本史歴史飛鳥時代

白鳳文化って何?飛鳥文化との違いは?時代や仏像の特徴など天平文化に繋がる重要な文化を現役講師ライターがわかりやすく解説!

よぉ、桜木健二だ。白鳳文化という日本文化の用語を知っているか。中学校までの教科書では飛鳥文化とまとめて紹介されていることが多いが、日本史の教科書で初めて出てくる文化だ。飛鳥文化よりも後の文化で違いがわかりにくいところがあるな。
今回は文化史が好きな現役塾講師ライターの明東碧吾と白鳳文化について深く掘り下げながら解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/明東碧吾

現役塾講師で専門科目の社会の授業はわかりやすいという定評がある。古代・中世の文化史が大好きで、文化財鑑賞の旅へも出かける。

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白鳳文化とは?時代や特徴は?

image by iStockphoto

白鳳文化という文化名を指す言葉をみなさんは知っていますか。小中学校の教科書では出てこない文化期になります。では、どのような文化なのでしょうか。キーワードは飛鳥時代と薬師寺です。キーワードに沿って、白鳳文化を見ていきましょう。

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飛鳥時代に栄えた文化?

まずはキーワードの1つ目、飛鳥時代です。

飛鳥時代の文化といえば、日本初の仏教文化である飛鳥文化が有名ですね。飛鳥文化は聖徳太子(厩戸皇子)が建立した法隆寺を中心とした文化になります。しかし、飛鳥時代は592年から平城京ができる710年までの100年以上の長い時代です。

100年以上も時が経てば文化も変容していきます。そこで、聖徳太子の頃の文化を飛鳥文化として、後期の藤原京に都が置かれ、天武天皇持統天皇が政治を行なっていた時期の文化を区別したのです。これが白鳳文化になります。

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飛鳥文化との違いは?

飛鳥文化は聖徳太子の法隆寺を中心とする文化です。また、日本で仏教が広まってきた頃の文化のため、中国や朝鮮だけでなく、インドなど国際色が豊かな文化となりました。しかし、白鳳文化は広まった仏教を国でも厚く信仰する国家仏教にするために朝廷の統制が行われた文化になるのです。

国家仏教にするための動きに官寺というものがあります。官寺は朝廷が建てたり、建てるように支援した寺院のことです。同時に皇族や貴族の中では寺院を立てることが1つのステータスとなり、各地に大変多くの寺院が建立されました。

また、中国の唐の初期(初唐)の文化を吸収して、仏像が作られます。飛鳥文化に比べて、白鳳文化は初唐の影響を受けながらも日本色が少しずつ出された文化なのです。

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白鳳文化の特徴は薬師寺にあり!

続いて、キーワードの2つ目の薬師寺についてです。

白鳳文化の時期に建立された寺院として有名なのが薬師寺になります。薬師寺は天武天皇が持統天皇の病気の平癒を願って建立されました。その後、藤原京に遷都したことから朝廷の中心となる官寺となります。

国家仏教を目指す朝廷は薬師寺のほかにも大官大寺といった官寺を建立しました。そこでは金光明経などの護国経典を説く法会が行われ、国家仏教を完成する動きがとられたのです。

また、薬師寺には白鳳文化の時期に作られた仏像も多く安置されています。白鳳文化の中心的な寺院であり、朝廷の考えを広める重要な寺院だったのです。

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国家仏教の中心地?薬師寺建立とは?

薬師寺 東塔
663highland投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, リンクによる

薬師寺は680年に創建され、奈良時代には国家仏教の中心地となる南都七大寺に数えられる寺院です。現在では古都奈良の文化財の1つとして世界遺産に登録されています。

薬師寺は白鳳文化の時期に建立された国家仏教を広める官寺として、朝廷が主催する法会などが多く開かれました。では、白鳳文化の薬師寺はどのような寺院なのかを見ていきます。

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現在の薬師寺は710年に平城京が遷都されたときに現在の位置に移転したんだ。それまでは藤原京があった奈良県橿原市にあったんだ。橿原市の薬師寺は奈良市の薬師寺と区別するために本薬師寺と呼ばれていたんだ。本薬師寺自体は無くなってしまったが、遺構の発掘作業が行われているぞ。また、白鳳文化の時期に建立された大官大寺も平城京遷都で移転して、現在の大安寺になっているんだ。

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白鳳文化の全てを結集?白鳳文化の代表薬師寺!

薬師寺は藤原京に遷都した朝廷が推し進める国家仏教の中心地として建立され、機能していました。朝廷が行う金光明経などの護国経典の法会を行い、国家的に仏教を広める中心地でした。

また、薬師寺は金堂を中心に西塔東塔が対象に置かれる伽藍配置をしており、白鳳文化の代表的な伽藍配置になっています。そのことから白鳳伽藍とも呼ばれているのです。平城京に移転して、火災や兵火でほとんどの伽藍を焼失しましたが、東塔のみは奈良時代から現存する建築物になっています。その後、白鳳伽藍を復興することが現代になって始まり、今の薬師寺となっているのです。

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中国初唐の文化を伝える仏像たち!

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匿名 – 東洋美術  第25号  飛鳥園、奈良, パブリック・ドメイン, リンクによる

白鳳文化の仏像は飛鳥文化の仏像に比べると表情が柔らかく、ふくよかな顔つきをしているのが特徴になります。これは中国の初唐様式からきているものです。特に初唐の文化の仏像で中国の龍門にある奉先寺大仏(龍門石窟)は豊かな体つきを見事に表現しています。白鳳文化の仏像は奉先寺大仏のような初唐文化の影響を受けているのです。

白鳳文化の代表的な仏像には薬師寺金堂薬師三尊像薬師寺東院堂聖観音像法隆寺夢違観音像などがあります。また、白鳳文化期の柔らかな表情を表しているものとして有名なものが興福寺仏頭です。この仏頭は伸びやかで若々しい表情をしています。

白鳳文化の仏像は初唐の文化の影響を受けながら、飛鳥文化よりも柔らかな表情を出せるようになってきたのです。

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興福寺仏頭は白鳳文化の代表的な仏像だ。しかし、なぜ仏の顔の部分だけなのか疑問が残るな。それは興福寺仏頭はもともと興福寺のものでないからだ。もとは山田寺という大化の改新にも関わった蘇我石川麻呂が創建した寺院の本尊の薬師如来だったんだ。これを1187年に興福寺の僧が強奪して、仏像の顔のみが興福寺に残ったんだ。この時の強奪で山田寺の塔などは焼失し、その後荒廃したため、廃寺となってしまったんだ。現在は山田寺の発掘調査が行われているぞ。研究で法隆寺が再建されたものであるという論が出てきたため、山田寺の回廊が現存する最古の建築物でないかと考えられているぞ。

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