ガリレオ・ガリレイは誰もが知る有名な物理学者ですが、なぜそこまで有名なのでしょうか?なぜなら、ガリレオ・ガリレイは「地動説」という常識を覆すような発見をしているからです。今回の記事では、近代科学の父とも呼ばれるガリレオの壮絶な人生と彼による数々の天才的な発見について詳しく解説します。ぜひこの機会に、「ガリレオ・ガリレイの功績」についての理解を深めてくれ。
塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。
ライター/通りすがりのペンギン船長
現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。
ガリレオ・ガリレイについて学ぼう!
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ガリレオという名前は、サイエンスにあまり興味がない方でも、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?ガリレオは16世紀から17世紀に活躍した科学者であり、その偉大さから現在でもガリレオの名前を冠したものを見つけることができます。
例えば、EU全域をカバーする位置情報システムを支える人工衛星の名前は『ガリレオ』です。また、日本でも天才物理学者が主人公のテレビドラマのタイトルに、彼の名前が使われたことがありますよね。それほど、ガリレオの世間的な知名度が高いのです。
この記事では、ガリレオのプロフィールや実績について詳しく述べ、なぜ彼が多くの人から偉大であると称えられているのかという点を解説していきます。また、ガリレオが主導したとされる科学革命についてもご紹介しますね。それでは早速、ガリレオについて学んでいきましょう。
ガリレオの子供時代
ガリレオは1564年にトスカーナ大公国(現イタリア)に生まれました。ガリレオの本名はガリレオ・ガリレイであり、4人の弟と2人の妹がいる長男でした。ガリレオの父は貴族出身で、呉服屋を営む傍ら、音楽家で音響に関する研究を行っていましたよ。
ガリレオの父は音響の研究を行う際に、当時としては珍しく数学的な分析手法を用いていました。これに影響を受けて、ガリレオが数学や物理学に興味をもったという説もあるようです。
成人後のガリレオ
ガリレオは1581年にピサ大学に入学し、在学中はユークリッドやアルキメデスの理論を学びました。ですが、1585年にはピサ大学を退学し、自らの力で研究を進めていくことになります。そして、1586年に『小天秤』という自身初の論文を発表したのです。
このような実績が評価され、1589年にはガリレオはピサ大学に教授として戻っていますよ。そのころ、ガリレオはマリナ・ガンバと出会い交際を始めます。その後、二人の間に娘2人と息子1人が生まれました。
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晩年のガリレオ
科学者として活躍したガリレオですが、当時のイタリアにおける政治的および宗教的な権力争いに巻き込まれる形で、敵対する勢力を作ってしまうようになります。その影響で、ガリレオは職を失うことになり、最終的には軟禁状態で生活することになってしまうのです。
このような背景から、晩年のガリレオは病弱気味になってしまいます。ですが、そのような中でも口述筆記によって自身の成果をまとめていました。その後、1642年にガリレオは息を引き取ったのです。
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