今回は、「マクスウェルの功績」について解説していきます。

マクスウェルは19世紀に活躍した物理学者で、電磁気学を統一する『マクスウェル方程式』を発表した人物です。この業績から、マクスウェルは電磁気学に関わる学者の中で最も偉大であると考えられているぞ。今回は、マクスウェルがどのような人物であり、古典電磁気学の完成という偉業をいかにして達成したかのかということについて深掘りしていきます。ぜひこの機会に、「マクスウェルの功績」についての理解を深めてくれ。

塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。

ライター/通りすがりのペンギン船長

現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。

物理学者のマクスウェルについて知ろう!

Maxwell IEEE Plaque KCL.jpg
Lourakis - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

マクスウェルという学者の知名度は世間的には高くはありません。ですが彼が残したものは、アインシュタインやガリレオのような誰もが知る科学者の功績に匹敵するほど大きなものなのです。理系の道に進んだ人の中で、マクスウェルの名を知らない人はほとんどいないでしょう。マクスウェルが天才物理学者であることは言うまでもありません。

この記事では、マクスウェルがどのような人物であり、彼が生きている間にどのような発見をしたのかという点を深堀していきます。以上のようなことを知れば、マクスウェルがいかに偉大な物理学者であるかが理解できるでしょう。それでは早速、マクスウェルについて解説をはじめますね。最初はマクスウェルの生涯について説明します。

マクスウェルの幼少期・青年期

マクスウェルの本名はジェームズ・クラーク・マクスウェルといいます。1831年、マクスウェルはイギリスで生まれました。マクスウェルの父は弁護士で、広大な土地を所有しており、比較的裕福な家庭だったようです。幼少期のころ、マクスウェルは学校には行かず、母親のもとで勉強をしていました。

その後、10歳になるときに中等学校に入学しました。中等学校では、卵型の図形を複数のピンと糸で描画する方法を論文にまとめ、数理的思考における才能を見事に発揮したようですよ。その後、マクスウェルはエディンバラ大学やケンブリッジ大学で物理学を極めていくことになります。

物理学者として活躍したマクスウェル

物理学者として活躍したマクスウェル

image by Study-Z編集部

大学入学後、マクスウェルがはじめに取り組んだ研究は光弾性に関するものでした。光の研究に携わっていたこともあり、マクスウェルは後に史上初のカラー写真の撮影に成功した人物になりますよ

卒業後もマクスウェルは大学に残り、磁気に関する論文土星の環に関する論文気体分子の速度分布に関する論文などを次々と発表していきます。そして、1864年にはマクスウェルの最大の功績と言える『マクスウェル方程式』を発表したのです。マクスウェル方程式については、次のチャプチャーで詳しく説明しますね。

晩年のマクスウェル

マクスウェルは1879年に患っていた癌の影響で亡くなることになりますが、その直前まで物理学者として研究を続けていました。晩年、マクスウェルはクラウジウスが発表した熱力学第二法則に疑問を持ち、熱力学の研究に携わっていましたよ。

また、年を重ねたマクスウェルは、次世代の研究者の育成にも積極的にかかわりました。具体的には、キャヴェンディッシュ研究所の設立に尽力したり、アダムズ賞の審査員をつとめたりするなどしたようです。

マクスウェルが残した功績

image by iStockphoto

ここまでは、彼の生涯を通史として紹介することで、マクスウェルがどのような人物であったかを解説してきました。以下では、マクスウェルが残した功績の中でも世の中に大きなインパクトを与えたものをピックアップして詳しく説明していきます

具体的には、『マクスウェル方程式』と『史上初のカラー写真』について述べますよ。マクスウェルがこれらの発見や発明にどのようにして至ったのか、それが科学をどのように前進させたのか、といった点に注目して記事を読み進めてみてくださいね。

\次のページで「マクスウェル方程式」を解説!/

マクスウェル方程式

マクスウェル方程式

image by Study-Z編集部

マクスウェル方程式は電場および磁場の状態を記述する方程式です。この方程式は電磁気学の諸理論を統一したものですよ。マクスウェルがこの方程式を導出したことにより、古典電磁気学が完成したと考えられていますよ

マクスウェル方程式は、上に示した4つの式によって表されます。1つ目の式は磁気保存を表す式です。この式は磁気のモノポールが存在しないことを示唆しています。モノポールが存在しないというのは、N極もしくはS極だけがついた棒磁石は存在しないことと同義ですよ。2つ目の式はファラデーの法則を表す式です。この式は電磁誘導について記述されているということになりますよ。

また、3つ目の式はガウスの法則を表す式であり、電荷によって発生する電場の分布を定式化しています。そして、4つ目の式はアンペールの法則に相当する式です。したがって、この式は電流によって生じる磁場の分布を定式化したものになります。

史上初のカラー写真

史上初のカラー写真

image by Study-Z編集部

今や当たり前の存在になっているカラー写真ですが、人類史上初めてカラー写真の撮影に成功したのはマクスウェルです。ここでは、マクスウェルがどのような手法でカラー写真を撮影したのかを解説していきます。

カラー写真撮影にあたり、マクスウェルは光の三原色である赤・緑・青のみを透過するセロファンフィルムを用意しました。続いて、レンズにこのフィルムを張り付け、赤い光のみを透過させた写真緑の光のみを透過させた写真青い光のみを透過させた写真の3枚を撮影したのです。最終的に、この3枚の写真を重ね合わせることでカラー写真が完成します。カラー写真の撮影実験において、マクスウェルはタータンリボンを被写体に選びましたよ。

マクスウェルが後世に残した未解決問題

マクスウェルは数々の実績を残し、世の中に大きな貢献をした人物ですが、ある一つの未解決問題を残して亡くなりました。この未解決問題に多くの科学者が挑みましたが、解決したのはマクスウェルの死後から100年以上たった1980年代でした

このチャプターでは、マクスウェルが後世に残した未解決問題である『マクスウェルの悪魔』という概念についてご紹介します。この問題を解決することがなぜ難しかったのかという点に注目して記事を読み進めてみてくださいね。

\次のページで「マクスウェルの悪魔」を解説!/

マクスウェルの悪魔

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マクスウェルの悪魔』は次のような理論です。完全に密閉された同じ容積をもつ2つの容器に、同じ温度の気体を封入します。このとき、同じ温度の気体であっても、気体分子の速度には幅がありますよね。

そこで気体分子の速度が見える悪魔が、遅い気体分子ばかりを片方の容器に、速い気体分子ばかりをもう一方の容器に移せば、仕事量ゼロで気体に温度差を生じされられるという理論ですよ。この理論は熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に矛盾するのです。

古典電磁気学を完成させたマクスウェル

この記事で述べたように、マクスウェルは『マクスウェル方程式』という電磁気学を統一する理論を発表しました。これにより、電磁気学における様々な法則をつなぎ合わせることができるようになったのです。したがって、マクスウェルが古典電磁気学を完成されたと言っても過言ではないわけですね。

相対性理論を考えた天才物理学者であるアインシュタインも自分の業績はマクスウェルに支えられていると発言しているほどです。ぜひ、この機会に電磁気学における偉人であるマクスウェルについて学んでみてくださいね。

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熱力学物理理科電磁気学・光学・天文学

3分で簡単マクスウェルの功績!マクスウェル方程式を導いた天才物理学者について理系学生ライターが徹底わかりやすく解説

今回は、「マクスウェルの功績」について解説していきます。

マクスウェルは19世紀に活躍した物理学者で、電磁気学を統一する『マクスウェル方程式』を発表した人物です。この業績から、マクスウェルは電磁気学に関わる学者の中で最も偉大であると考えられているぞ。今回は、マクスウェルがどのような人物であり、古典電磁気学の完成という偉業をいかにして達成したかのかということについて深掘りしていきます。ぜひこの機会に、「マクスウェルの功績」についての理解を深めてくれ。

塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。

ライター/通りすがりのペンギン船長

現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。

物理学者のマクスウェルについて知ろう!

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Lourakis投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

マクスウェルという学者の知名度は世間的には高くはありません。ですが彼が残したものは、アインシュタインやガリレオのような誰もが知る科学者の功績に匹敵するほど大きなものなのです。理系の道に進んだ人の中で、マクスウェルの名を知らない人はほとんどいないでしょう。マクスウェルが天才物理学者であることは言うまでもありません。

この記事では、マクスウェルがどのような人物であり、彼が生きている間にどのような発見をしたのかという点を深堀していきます。以上のようなことを知れば、マクスウェルがいかに偉大な物理学者であるかが理解できるでしょう。それでは早速、マクスウェルについて解説をはじめますね。最初はマクスウェルの生涯について説明します。

マクスウェルの幼少期・青年期

マクスウェルの本名はジェームズ・クラーク・マクスウェルといいます。1831年、マクスウェルはイギリスで生まれました。マクスウェルの父は弁護士で、広大な土地を所有しており、比較的裕福な家庭だったようです。幼少期のころ、マクスウェルは学校には行かず、母親のもとで勉強をしていました。

その後、10歳になるときに中等学校に入学しました。中等学校では、卵型の図形を複数のピンと糸で描画する方法を論文にまとめ、数理的思考における才能を見事に発揮したようですよ。その後、マクスウェルはエディンバラ大学やケンブリッジ大学で物理学を極めていくことになります。

物理学者として活躍したマクスウェル

物理学者として活躍したマクスウェル

image by Study-Z編集部

大学入学後、マクスウェルがはじめに取り組んだ研究は光弾性に関するものでした。光の研究に携わっていたこともあり、マクスウェルは後に史上初のカラー写真の撮影に成功した人物になりますよ

卒業後もマクスウェルは大学に残り、磁気に関する論文土星の環に関する論文気体分子の速度分布に関する論文などを次々と発表していきます。そして、1864年にはマクスウェルの最大の功績と言える『マクスウェル方程式』を発表したのです。マクスウェル方程式については、次のチャプチャーで詳しく説明しますね。

晩年のマクスウェル

マクスウェルは1879年に患っていた癌の影響で亡くなることになりますが、その直前まで物理学者として研究を続けていました。晩年、マクスウェルはクラウジウスが発表した熱力学第二法則に疑問を持ち、熱力学の研究に携わっていましたよ。

また、年を重ねたマクスウェルは、次世代の研究者の育成にも積極的にかかわりました。具体的には、キャヴェンディッシュ研究所の設立に尽力したり、アダムズ賞の審査員をつとめたりするなどしたようです。

マクスウェルが残した功績

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ここまでは、彼の生涯を通史として紹介することで、マクスウェルがどのような人物であったかを解説してきました。以下では、マクスウェルが残した功績の中でも世の中に大きなインパクトを与えたものをピックアップして詳しく説明していきます

具体的には、『マクスウェル方程式』と『史上初のカラー写真』について述べますよ。マクスウェルがこれらの発見や発明にどのようにして至ったのか、それが科学をどのように前進させたのか、といった点に注目して記事を読み進めてみてくださいね。

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