3分で簡単マクスウェルの功績!マクスウェル方程式を導いた天才物理学者について理系学生ライターが徹底わかりやすく解説
マクスウェルは19世紀に活躍した物理学者で、電磁気学を統一する『マクスウェル方程式』を発表した人物です。この業績から、マクスウェルは電磁気学に関わる学者の中で最も偉大であると考えられているぞ。今回は、マクスウェルがどのような人物であり、古典電磁気学の完成という偉業をいかにして達成したかのかということについて深掘りしていきます。ぜひこの機会に、「マクスウェルの功績」についての理解を深めてくれ。
塾講師として物理を高校生に教えていた経験もある通りすがりのぺんぎん船長と一緒に解説していきます。
ライター/通りすがりのペンギン船長
現役理系大学生。環境工学、エネルギー工学を専攻しており、物理学も幅広く勉強している。塾講師として物理を高校生に教えていた経験から、物理の学習において、つまずきやすい点や勘違いしやすい点も熟知している。
物理学者のマクスウェルについて知ろう!
Lourakis – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
マクスウェルという学者の知名度は世間的には高くはありません。ですが彼が残したものは、アインシュタインやガリレオのような誰もが知る科学者の功績に匹敵するほど大きなものなのです。理系の道に進んだ人の中で、マクスウェルの名を知らない人はほとんどいないでしょう。マクスウェルが天才物理学者であることは言うまでもありません。
この記事では、マクスウェルがどのような人物であり、彼が生きている間にどのような発見をしたのかという点を深堀していきます。以上のようなことを知れば、マクスウェルがいかに偉大な物理学者であるかが理解できるでしょう。それでは早速、マクスウェルについて解説をはじめますね。最初はマクスウェルの生涯について説明します。
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マクスウェルの幼少期・青年期
マクスウェルの本名はジェームズ・クラーク・マクスウェルといいます。1831年、マクスウェルはイギリスで生まれました。マクスウェルの父は弁護士で、広大な土地を所有しており、比較的裕福な家庭だったようです。幼少期のころ、マクスウェルは学校には行かず、母親のもとで勉強をしていました。
その後、10歳になるときに中等学校に入学しました。中等学校では、卵型の図形を複数のピンと糸で描画する方法を論文にまとめ、数理的思考における才能を見事に発揮したようですよ。その後、マクスウェルはエディンバラ大学やケンブリッジ大学で物理学を極めていくことになります。
物理学者として活躍したマクスウェル
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大学入学後、マクスウェルがはじめに取り組んだ研究は光弾性に関するものでした。光の研究に携わっていたこともあり、マクスウェルは後に史上初のカラー写真の撮影に成功した人物になりますよ。
卒業後もマクスウェルは大学に残り、磁気に関する論文・土星の環に関する論文・気体分子の速度分布に関する論文などを次々と発表していきます。そして、1864年にはマクスウェルの最大の功績と言える『マクスウェル方程式』を発表したのです。マクスウェル方程式については、次のチャプチャーで詳しく説明しますね。
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晩年のマクスウェル
マクスウェルは1879年に患っていた癌の影響で亡くなることになりますが、その直前まで物理学者として研究を続けていました。晩年、マクスウェルはクラウジウスが発表した熱力学第二法則に疑問を持ち、熱力学の研究に携わっていましたよ。
また、年を重ねたマクスウェルは、次世代の研究者の育成にも積極的にかかわりました。具体的には、キャヴェンディッシュ研究所の設立に尽力したり、アダムズ賞の審査員をつとめたりするなどしたようです。
マクスウェルが残した功績
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ここまでは、彼の生涯を通史として紹介することで、マクスウェルがどのような人物であったかを解説してきました。以下では、マクスウェルが残した功績の中でも世の中に大きなインパクトを与えたものをピックアップして詳しく説明していきます。
具体的には、『マクスウェル方程式』と『史上初のカラー写真』について述べますよ。マクスウェルがこれらの発見や発明にどのようにして至ったのか、それが科学をどのように前進させたのか、といった点に注目して記事を読み進めてみてくださいね。
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