いざなぎ景気はいつ始まった?由来やきっかけを高度経済成長と共に現役大学院生がわかりやすく解説
新三種の神器とは、カラーテレビ・クーラー・自動車のこと。カラーテレビは1964年開催の東京オリンピックによって普及しました。クーラーはまだこの時代には一般家庭には普及しておらず、デパートや商業施設などにしかありませんでした。
国民の所得増加とモータリゼーション
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国民の所得増加によって自動車産業も拡大します。特に、1000ccクラスの大衆乗用車が拡大し、マイカーブームが起こりました。
所得が上昇することによって、自動車の販売台数は増加し、1970年代には乗用車需要が273万台となります。モータリゼーションによって、道路の整備も行われ、高速道路も開通し、1965年には名神高速道路、1969年には東名高速道路が開通しました。
いざなぎ景気とベトナム戦争
1968年には、西ドイツを抜き、欧米資本主義国を抜いて世界第2位の経済規模に達しました。日本の国際社会の中での存在感も高まるようになった時代です。
今回は、いざなぎ景気の背景について、日本社会に焦点を当てて解説しましたが、経済成長の背景にはベトナム戦争の深刻化や輸出拡大もありました。東南アジア諸国へ輸出をおこなったことによる戦争特需となったからです。戦争特需が経済成長に寄与するとは、なんとも皮肉なことですが…。
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いざなぎ景気の終焉
戦後、長期間にわたる好景気が達成されたいざなぎ景気ですが、成長率も徐々に伸び悩み、5年間にも及んだ経済成長も1970年に入ると後退に向かいました。その原因は、景気加熱による賃金・物価の上昇を抑制するために政府が行った金融引締め政策と過度な設備投資にあると言われています。
また、戦後直後は、道路や新幹線などのインフラが整っていませんでした。こうした中で、公共投資や設備投資を通じて景気を刺激することは可能です。しかし、現代のようにインフラが整い、一定程度の国民の物質的な豊かさが達成された時代には、設備投資も耐久消費財の需要もかつてのように拡大させることには無理があると言われています。
高度経済成長がもたらしたひずみ
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ここまでで、高度経済成長と好景気による国民の所得増加、消費を前提とした経済基盤が成立したことを確認しました。耐久消費財などの家電製品が一般家庭に普及し、国民のライフスタイルは大きく変化しました。
大量生産・大量消費が進むと、公害問題が表面化します。具体的には四大公害病と言われる、熊本県水俣市の水俣病、新潟県阿賀野川流域で発生した新潟水俣病、富山県神通川流域で発生したイタイイタイ病、三重県四日市で発生した四日市ぜんそくです。
経済発展を優先した結果、公害問題、土地開発による住環境の変化、ごみの増加など現在の環境問題にも及ぶ問題が生じてきました。ここから、経済発展が国民の恩恵につながるという理念に、人々は疑義を持つようになります。
そこで、1966年には公害対策基本法が、1967年には公害対策本部が内閣府に設置され、1971年には環境庁が発足しました。環境庁は2001年に環境省に昇格しています。
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高度経済成長から学べること
57年間という長期間の好景気であったいざなぎ景気は、戦後の日本社会の発展の基盤となりました。1960年代後半から高速道路や新幹線などのインフラ基盤も次々と整備され、自動車産業や電気工業品は高度な技術力が輸出主導の経済を牽引し、欧米先進諸国と肩を並べるまでに日本は発展します。
しかし、生産や開発を優先した結果、公害問題や環境汚染なども生じ、”経済発展が国民の恩恵につながる”という理念が揺らぎ始めた時代でもありました。
景気の拡大と景気の後退の流れを見ることによって、産業構造や人口動態、私たちが生活する生活環境について真剣に考え直すきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。