
「寝殿造」は平安貴族のテーマパーク?特徴や構造も元大学教員が5分でわかりやすく解説
寝殿造の内部の工夫

寝殿造の内部には壁も天井もありません。なかで寝ていると屋根の裏が剥き出し。床から屋根裏まではそうとう高いため、火桶を使っても暖かい空気はどんどん上に上がり、冬はかなり寒かったと言われています。
とにかく仕切るのが寝殿造のスタイル
だだっ広い空間を、上手に区切って使うのみ。母屋は基本的に主人の部屋ですが、東西二つに区切って使いました。仕切りには障子を使用。今の障子ではなく、ふすまのことを指します。西側を仏間、西の庇を客間、剥がしの部屋を姫君が使っていました。仕切った部屋のなかは、さらに小さく仕切って使われました。
仕切る道具類には、いかに繊細かつ優雅にできるのか、センスが求められました。外側の廊下には、高欄(こうらん)と呼ばれる優雅な手すりを設置。廊下を歩くときに、美的な楽しみを味わえるように工夫されていました。
壁の代わりには壁城(かべしろ)というカーテンを取り付け、御簾(みす)という豪華な簾をつけたり、可動式の几帳や屏風を置いたりしました。それら調度品には美しい画を描き、季節によって違う織り方の布を使いました。
室内を美しくアレンジする室礼(しつらえ)
道具類で室内を美しくアレンジすることを室礼(しつらえ)と呼びました。室礼は、北の方に求められる大切な仕事。屏風や几帳の画は、大和絵と呼ばれる日本の草花や風景を扱ったもの、唐絵と呼ばれる中国の風景を描いたものがあり、客人の趣味に合わせて使い分けられました。和歌を書くことも多く、それらを見極めるセンスは、日ごろの勉強の賜物でした。
寝殿の内部は板の間。必要な時に必要な所に移動できる畳を置きました。畳の厚さや長さは一定ではなく、重ねて使うこともありました。畳を使えるのは貴人だけ。庶民は畳を使うことはできませんでした。客と対面するときは藁で作った円座(えんざ)という丸い敷物を用意。住民は、必要に応じて畳やゴザを使いました。
貴族の家では、帳台(ちょうだい)と呼ばれるベッドがありました。板敷きの上に厚い畳を2枚置いて、四方に細い柱を立てます。そのうえに、薄い紙の襖のようなものを乗せました。周囲には布を垂らして装飾。防寒の機能もあったのではないでしょうか。寝殿造の冬は寒くて風邪をひくことも。風邪はあっというまに広がりました。平安時代は疫病が大流行していましたが、建物の作りが影響しているとも言われています。
寝殿造から見えるのは平安貴族の暮らし
寝殿造は、簡略な書院造りへとかたちを変え、さらに質素な数寄屋造りへと変化していきました。平安時代以降も、社会の変化とともに人々の暮らしは変化。それとともに、住居のかたちも変わっていったのです。どの建物にも、その時代に生きた人々の暮らし方や、暮らしの知恵を見ることができます。それは今の建築であっても同じ。そんな目で、現代の密集住宅、団地、高層マンションなどがある街並みを、眺めてみると、思いがけない発見があると思います。ぜひ、週末にのんびり、周りを見渡してみてはいかがでしょうか。