3分で簡単「野田佳彦」なぜ野田内閣は総選挙で大敗した?政治家としての評価・実績も行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
希望の党合流を断られる
2017(平成29)年の東京都議会議員選挙に敗れてから2ヶ月後に衆議院が解散すると、蓮舫の公認で民進党代表となった前原誠司は奇策に打って出ます。それは、民進党と小池百合子東京都知事率いる希望の党との合流。2つの党が一体となることで、自民・公明両党による連立与党に対抗しようと試みたのです。
しかし、民進党の所属議員がすべて希望の党と合流できるわけではありませんでした。結果的に、希望の党が望む人材としか民進党の議員は合流できないこととなります。野田はその中には含まれておらず、合流を断念。無所属として野田は出馬し、独力で当選しました。
立憲民主党に合流
希望の党との合流協議を経たのちに、民進党は4つに分かれることとなります。1つは、枝野幸男を中心として、立憲民主党となりました。1つは希望の党と合流し、のちに国民民主党へと発展。あとの2つは、民進党に残った者と、野田のように無所属として活動する者です。
立憲民主党と国民民主党の大半は、2020(令和2)年に合併して、新たな立憲民主党として始動。野田もそこに加わり、立憲民主党の所属議員となりました。その時に、党の最高顧問に就任しています。2021(令和3)年の総選挙に野田は立憲民主党の議員として初めて出馬し、9度目の当選を果たしました。
野田佳彦は民主党をまとめ切れずに総選挙で敗れた
2009年に民主党政権が誕生したものの、鳩山・菅内閣は短命に終わり、その後を野田佳彦が継ぎました。しかし、離党者が相次ぐ状況を野田政権は止められませんでした。さらには、野田が独断で衆議院解散を決めたことが民主党内で支持されず、野田は党をまとめ切れなくなります。その結果、総選挙で野田佳彦率いる民主党は敗れ、わずか3年で民主党政権は終わりました。


