現代社会

5分でわかる「野田佳彦」なぜ野田内閣は総選挙で大敗した?政治家としての評価・実績も行政書士試験合格ライターが解説

なぜ野田佳彦率いる民主党は総選挙で大敗したのか?

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では、なぜ野田佳彦率いる民主党は総選挙で大敗したのでしょうか。ここでは、大きな理由として考えられる3つの要因について見ていきましょう。

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小沢グループの離反

自由民主党には派閥というものが幅を利かせていますが、かつての民主党もいくつかのグループに分かれていました。そのうちの1つが、小沢一郎率いる小沢グループです。自民党時代には幹事長を勤め、民主党代表にもなったことがある小沢の影響力は、民主党内外に大きく及ぶものでした。

小沢グループは、菅直人政権時に「菅おろし」へと動き、結果的に菅を総理辞任へと追い込みました。菅の後継である野田政権でも、小沢グループは党の主流派と反発。その結果、小沢グループは民主党を離党し、「国民の生活が第一」という新政党を結成しました。衆参合わせて50人ほどの離党は、野田政権にとって致命的でした。

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野田の独断で民主党の足並みが乱れる

野田佳彦が国会の党首討論で宣言した衆議院解散の意向は、民主党内でも限られた人にしか伝えられていなかったそうです。野田が不意を突く形で宣言したこともあり、野党からは驚きをもって迎えられました。しかし、それは与党側も同じで、党内に困惑する声が次々と挙がる有様でした。

8月の時点で「近いうちに国民の信を問う」と言った以上、年内に解散をしなかった場合は嘘をついたとして非難が集中していたでしょう。しかし、与党内で意思疎通ができていなければ、反発する者も出るのは当然です。突然の解散宣言は与党内をも揺り動かし、選挙前に10人以上が民主党を離党する事態を招きました。

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民主党政権の実績不足

野田政権下で実施された総選挙で問われたのは、野田内閣が行った政策だけではありませんでした。その前に行われた総選挙で民主党への政権交代があったので、実質的に民主党政権全体への信任投票になったといえます。しかし、3年余りの間で、民主党が実績と呼べるものを生み出せませんでした。

目玉ともいえた事業仕分けでは、思ったような予算のスリム化を実現するに至っていません。鳩山由紀夫内閣では普天間基地の沖縄県外移転に頓挫。菅直人内閣では東日本大震災での原発事故対応などに批判が集まりました。それらを支持しなかった人が多かったため、野田政権下での総選挙で民主党に票が集まることはなかったのです。

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「近いうち解散」のように、衆議院の解散には名前が付いていることが多いぞ。発言から名前を取ったものもあり、2000年の「神の国解散」は、当時の首相である森喜朗の言葉から名付けられたものだ。しかし、なんといっても有名なのは、1953年の「バカヤロー解散」をおいて他にないな。吉田茂がつい発した言葉をマイクが拾い、それが衆議院解散にまで発展したのだ。

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総理大臣退任後の野田佳彦

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2012年の総選挙で敗れ、野田佳彦は総理の座から追われます。果たして、その後はどうなったのでしょうか。

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民進党の幹事長に

野田佳彦が所属していた民主党は、総選挙で大敗後、所属議員の離党が相次ぎます。2013(平成25)年の参議院選挙でも敗れ、2014(平成26)年の総選挙では党代表の海江田万里が落選。存亡の危機に立たされた民主党は維新の党と合併し、2016(平成28)年より民進党として再出発しました。

結党から半年、民進党の代表選挙が行われ、蓮舫が代表に選出されます。蓮舫による党人事で、幹事長となったのが野田でした。しかし、民主党が総選挙で敗れた時の党代表が重要ポストに就くことへ反発する声が上がりました。結局、2017(平成29)年の東京都議会議員選挙で敗れた責任を取り、野田は幹事長を辞任することになります。

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