3分で簡単「野田佳彦」なぜ野田内閣は総選挙で大敗した?政治家としての評価・実績も行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
菅直人内閣の財務大臣に
2009(平成21)年に、初の民主党政権である鳩山由紀夫内閣が成立します。野田佳彦も鳩山内閣に入閣するとの噂もありましたが、大臣にはなりませんでした。野田は予算担当の財務副大臣となりました。その後、大臣が辞任するたびに後任候補として野田の名前は挙がりましたが、鳩山内閣では大臣になっていません。
鳩山内閣の次に成立したのが、同じく民主党政権である菅直人内閣でした。そこで、野田は初入閣にして財務大臣という重要ポストに就任することとなります。野田の財務大臣就任時は、金融市場が1ドル80円台前半にまで上昇。野田は円高となった市場の為替介入などに注力しました。
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民主党政権3人目の総理大臣に
東日本大震災への対応に批判が集まるなどで菅直人内閣の支持率は下がり、任期半ばで退陣に追い込まれます。菅の後任を決める民主党代表選挙には、野田佳彦を含む5人が立候補しました。当初、野田は代表選挙の有力候補と目されていませんでしたが、投票当日になり情勢は一変。決選投票を経て、野田が民主党代表に選出されました。
衆参両院での首班指名を経て、野田は第95代の内閣総理大臣となります。松下政経塾出身者としては初めて、自由民主党に在籍経験がない者としては2代続けての総理となりました。2012(平成24)年の1月・6月・10月の3度に渡り、野田は内閣改造を実施しています。
「近いうち解散」で大敗
2012(平成24)年8月、野田首相は谷垣禎一自民党総裁・山口那津男公明党代表と会談。その席で、審議中の法案が成立すれば「近いうちに国民の信を問う」という趣旨の発言をしました。その事実が広まると、衆議院解散が近いという憶測が流れ始めます。しかし、「近いうち」がなかなか訪れませんでした。
11月、谷垣の後任として自民党総裁になった安倍晋三を相手に、野田は国会で党首討論へ。その場で野田は民主党案の選挙制度改革に言及し、それに応じるなら解散してもいいと発言します。野党側がそれに同意し、12月に総選挙が行われることになりました。結果は民主党が大敗し、自公連立政権の安倍晋三内閣が誕生したのです。
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