現代社会

5分でわかる「野田佳彦」なぜ野田内閣は総選挙で大敗した?政治家としての評価・実績も行政書士試験合格ライターが解説

よぉ、桜木建二だ。今回は、野田佳彦について学んでいこう。

民主党から3人目の首相として就任した彼を期待する向きもあったが、力を発揮することなく下野した印象がある人もいるだろう。

野田政権時代に民主党が総選挙で大敗した理由をはじめ、野田の生い立ちや政治家としての実績などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

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国政入りするまでの野田佳彦

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まずは国政入りする前の、若き頃の野田佳彦について見ていきましょう。

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松下政経塾で政治を学ぶ

野田佳彦は、1957(昭和32)年に千葉県で生まれました。野田の近親者に政治家はおらず、野田の両親はともに農家の末っ子という珍しい組み合わせの夫婦でした。野田は県内屈指の進学校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学。在学中には、参議院選挙でビラ配りをしていたとも伝えられます。

大学卒業後の野田は、すぐには就職しませんでした。その代わりに、設立されたばかりの松下政経塾に1期生として入塾「経営の神様」松下幸之助の薫陶を受けて5年間を過ごし、政治や経済を学びました。野田の同期には逢沢一郎、1期下には松原仁などがいます。

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千葉県議会議員を務める

松下政経塾を卒業した野田は、家庭教師やガスの点検員などをしながら政界を目指す準備をしていました。松下政経塾卒業から2年たち、野田は千葉県議会議員選挙に地元の船橋市から出馬します。選挙資金はカンパでまかない、選挙員は20代を中心としたボランティアでした。

野田佳彦といえば、毎朝駅前で行う辻立ちが有名ではないでしょうか。野田による朝の演説は、1986(昭和61)年、つまり県議会議員選挙に出馬する前から行われていました。苦戦も予想された選挙でしたが、野田は戦前の下馬評を覆して見事当選。4年後も当選し、野田は千葉県議会議員を2期務めました

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1979年に松下幸之助が設立した政治塾が松下政経塾だな。野田佳彦をはじめ、これまで30人以上の卒業生が国会議員となり、そのうち10人以上が大臣経験者だぞ。しかし、入塾する人数は限られ、倍率は数十倍にも及ぶそうだ。国会議員以外にも、実業家や教育者などに松下政経塾は人材を送り込んでいるぞ。

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初当選後の野田佳彦

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千葉県議会議員となった野田佳彦は、さらに国政を目指します。ここでは、彼が国政に関わっていく様子を見ていくことにしましょう。

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最初の国政選挙は日本新党から出馬

1992年(平成4)年、野田佳彦は日本新党の結党に参加します。党の代表は細川護熙で、松下政経塾では評議員を務めていました。野田は1993(平成5)年の衆議院総選挙に出馬。初めての国政選挙だったのにもかかわらず、見事トップ当選を果たしました

日本新党は選挙で躍進し、野党8党による連立政権に名を連ねましたが、連立政権である細川内閣と羽田内閣はともに長続きせず。政界再編が起こり、野田は1994(平成6)年の新進党結党に参加しました。しかし、1996(平成8)年の総選挙で落選。さらに野田は民主党に移籍すると、2000(平成12)年の総選挙で当選し、国政に返り咲きました。

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