禅宗という仏教の宗派は知っているな。よく、マンガなどで座禅を組んで、動くと肩を叩く修行がイメージに湧くと思う・ですが、禅宗と聞いて日本にいつ伝わったか、宗派がいくつあるかは詳しく知らない人も多いでしょう。
今回は禅宗について、日本史の中でも仏教史や古代中世の文化史が大好きな現役講師ライター明東碧吾と詳しく解説していきます。

ライター/明東碧吾

現役塾講師で専門科目の社会の授業はわかりやすいという定評がある。古代・中世の文化史が大好きで、文化財鑑賞の旅へも出かける。

禅宗とは何か?教えや伝来時期をチェックしよう!

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禅宗は皆さんの中では座禅を組んで、棒で叩かれながら修行をしているというイメージが強いでしょう。確かに禅宗では座禅を修行の一環で行っています。しかし、それだけではないのが禅宗です。では、どのような考え方で日本にはいつ伝わってきたのかを見ていきましょう。

禅宗の基本的な教えは何だろう?

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Jiulongtang - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

禅宗は南インド出身の達磨大師が座禅をすることで確立した宗派です。サンスクリット語の音でディアーナを「禅那」と音写し、略して禅となりました。仏教の禅那とは心が動揺することがなくなった状態のことを指します。

達磨大師は禅那に至るための方法として座禅をすることで確立しました。達磨大師は禅那に到達した状態を四聖句という言葉でまとめています。それが「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」です。これらは言語や論理での伝達の不可能性を強調した上で、座禅を通じて無分別の智慧に到達するという達磨大師の考えを表しています。

日本に伝わったのはいつ?

禅宗の伝来は日本では栄西が臨済宗を伝えたことが起源となっています。しかし、禅宗は平安時代に一度伝来していたのです。嵯峨天皇の皇后の橘嘉智子に招かれて来日した義空が京都で禅の講義を行ったとされています。

しかし、禅の考え方は当時の日本には支持者が少なく、広がることがありませんでした。また、中国でもまだ禅の教えが広がる最中だったため、拡大する勢いがなかったのです。

中国の宋朝(南宋)の時期に禅宗は中国で隆盛を極めます。その中で、栄西臨済宗黄龍派を日本に伝え、修行が武士の考えに合っていたことから、日本で禅宗が広まるようになったのです。

日本に伝来した禅宗は4つ?

禅宗といえば、栄西が伝えた臨済宗道元が伝えた曹洞宗の二宗派が鎌倉の新興仏教として広がりました。しかし、日本にある禅宗は実を言うと4つあります。あと2つ足りませんね。

まず1つが、1254年に伝来した普化宗です。普化宗は江戸時代に幕府に保護され、広がりましたが、明治時代に入ると政府により解体されました。今は明暗寺で教えが再興されて、現存しています。

もう一つは黄檗宗です。黄檗宗は江戸時代に来日した隠元隆琦によって確立した宗派で、京都の萬福寺を総本山として唐人屋敷が多かった長崎と京都で広がりました。

日本に伝来した禅宗1:臨済宗とは?

日本に伝来した禅宗のうち、一番初めに伝来したのが栄西が伝えた臨済宗です。臨済宗は中国の禅宗でも大きな宗派で臨済義玄が開祖とされ、流派も多岐にわたります。栄西はその中で臨済禅を日本に伝え、臨済宗の開祖となりました。

では、その臨済宗とはどのような宗派なのかを見ていきましょう。

\次のページで「臨済宗の開祖は「栄西」:禅宗を再度日本に伝えた?」を解説!/

臨済宗の開祖は「栄西」:禅宗を再度日本に伝えた?

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禅宗自体は平安時代に一度義空によって伝来しましたが、日本では広がりませんでした。その後、比叡山で天台宗を学んだ栄西が中国に渡り学んだのが臨済宗です。栄西はもとは臨済宗を学ぶためではなく、天台宗を学ぶために中国に渡りました。

しかし、そこで臨済禅を学び、日本にも修行の一環として臨済禅を広げたことから臨済宗が日本に広まります。臨済宗の教えは公案禅と言って、師匠から出された論理では思考することができない課題を座禅などを通して考え、そこから悟りを開くというものです。

栄西は一度日本では広がらなかった禅を中国から持ち帰り、再度日本に伝来させました。そして、建仁寺を中心に臨済宗を広げたのです

栄西は実は喫茶の風習も広げた!

日本にお茶が伝来したのは平安時代初期ごろと言われています。最澄が中国からお茶の種子を持ち帰ったことから始まったとされているのです。しかし、そのときには寺院の儀式で使用されるもので、一般には広まりませんでした。

栄西は中国から帰国する際にお茶の種子を再度日本に持ち込みました。当時のお茶は薬や修行の一環として取り入れていたことから「喫茶養生記」をまとめました。

喫茶養生記は鎌倉幕府三代将軍源実朝にも献上され、深酒の酔いを和らげる効果があったと吾妻鏡に書かれています。将軍も喫茶を推奨したことから武家の間でお茶を飲む習慣が広がりました。また、栄西はお茶を広めたことから茶祖とも呼ばれています。

武士に受け入れられた臨済宗!

禅の修行や考え方が武士の考えに合っていたことと初めに伝来したことで、臨済宗は武士に受け入れられました。

中国の禅宗に倣って、五山制を導入するときも京都五山鎌倉五山には全て臨済宗の大寺院が列挙されました。室町幕府の足利将軍家は天龍寺相国寺といった臨済宗の寺院を建立して、幕府が臨済宗に帰依するようになったのです。

幕府とのつながりが強かった臨済宗は幕府の顧問役になる僧を多く輩出します。室町時代には幕府の外交顧問として活躍する層が多く、その力から五山文学を生み出しました。また、江戸幕府でも力を発揮し、黒衣の宰相とも呼ばれた金地院崇伝も臨済宗の僧なのです。

日本に伝来した禅宗2:曹洞宗とは?

曹洞宗は中国の禅宗である五家七宗の五家に挙げられる宗派です。中国で洞山良价が始めたとされ、日本には道元がその教えを伝えました。では、曹洞宗とはどのような宗派なのか、臨済宗との違いを踏まえながら見ていきましょう。

\次のページで「曹洞宗の開祖は「道元」:厳しい教えを貫く!」を解説!/

曹洞宗の開祖は「道元」:厳しい教えを貫く!

道元禅師
不明 - http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress015/宗教/禅宗/道元/ , https://web.archive.org/web/20200125164535/http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress015/宗教/禅宗/道元/, パブリック・ドメイン, リンクによる

臨済宗は公案禅という師匠の問答に対して座禅などを通じて考えていく教えでした。しかし、曹洞宗は「只管打坐」と言って、非思考の座禅をする中で悟りを開くという考え方です。道元は著書である「正法眼蔵」でも心身脱落(=悟りを開く)にはひたすらに座禅をするべきだと述べています。

つまり、ひたすらに座禅をすることで悟りが開けるとした厳しい教えだったのです。また、道元は自らの教えを正伝の仏法と述べ、宗派を否定していました。後に弟子たちが中国の曹洞宗の教えであることと中国禅宗の第六祖の曹渓慧能と中国の曹洞宗を開いた洞山良价から一文字ずつとり、曹洞宗と呼称するようになったのです。

曹洞宗の両祖って何だ?

瑩山紹瑾
Unknown painter - SotoZen-Net, パブリック・ドメイン, リンクによる

曹洞宗の開祖は道元です。しかし、教えが厳しかったことや臨済宗のように幕府の帰依を受けるわけではなかったため、なかなか教えが広がりませんでした。その中で、永平寺で修行を積んだ瑩山紹瑾が曹洞宗の布教をするために諸国行脚を行いました。

全国を行脚する中で、曹洞宗の考えを各地に広げていきます。そうした功績を讃え、1321年に後醍醐天皇より紫衣(=朝廷が認めた僧に渡す高僧の証のような衣服。紫は朝廷でも高官を表す色。)を賜り、翌年には瑩山がいた總持寺が曹洞賜紫出世第一の道場の綸旨が下り、大本山となりました。

つまり、曹洞宗を日本に伝えた道元とその考えを全国に広げた瑩山は曹洞宗の中では両祖と呼ばれているのです。

曹洞宗の両大本山って何だ?

曹洞宗の総本山は道元が教えを広めるために建立した永平寺です。永平寺は後漢の元号である永平と永久の平和という意味から名付けられました。

曹洞宗の中心は永平寺でしたが、瑩山が曹洞宗を広めたことで後醍醐天皇から總持寺曹洞賜紫出世第一の道場という綸旨を受けて、大本山となりました。

曹洞宗では道元と瑩山が両祖と呼ばれるのに対して、永平寺と總持寺どちらも大本山であるということで両大本山となっています。宗派や流派が分かれていないにも関わらず大本山が二つあるのです。また、總持寺はもともとは能登国の石川県輪島市にありました。しかし、火災で焼失してしまったため、1911年に現在の神奈川県横浜市に移転して、現在に至るのです。

日本に伝来した禅宗3:黄檗宗とは?

江戸初期の長崎に明から渡ってきた僧が開山した長崎三福寺(=興福寺、福済寺、崇福寺)がありました。その中の崇福寺の住職が空席となったため、明から隠元隆琦が招かれたのです。隠元は妙心寺の龍渓性潜に懇願されるなどして、京都で新寺である黄檗山萬福寺を建立しました。ここから黄檗宗が始まったのです。

黄檗宗の開祖は「隠元」:本当は臨済宗を広げに来た?

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喜多元規 Kita Genki - 宮次男『ブック・オブ・ブックス 日本の美術33 肖像画』 小学館 1975, パブリック・ドメイン, リンクによる

隠元は日本に正しい臨済宗を伝えるために布教活動を行いました。そのため、隠元自体は自分の教えを臨済正宗と名乗り、布教を行なっていました。

しかし、鎌倉時代に伝わった日本の臨済宗とは異なった宗風を持っていました。隠元自体は臨済正宗と言いましたが、隠元が修行した黄檗山やその黄檗山の名前にもなった臨済宗の開祖である臨済義玄の師である黄檗希運から黄檗宗と名乗るようになったのです。

\次のページで「黄檗宗はやはり臨済宗の一派?」を解説!/

黄檗宗はやはり臨済宗の一派?

隠元が来訪したときは中国の明の時代の禅宗だったため、日本の禅宗とは離れていました。特に総本山である萬福寺の建築様式に代表されるように様式が全て中国明風でもあったのです。しかし、隠元が来日が近世日本の禅宗に変動を与えます。まず、曹洞宗の卍山道白が曹洞宗の改革を行ったときに隠元の記した黄檗清規を参考にして、自身が住職を務める大乗寺で厳しい規矩(=生活の手本)を定めました。

また、臨済宗中興の祖と呼ばれ、臨済宗を再編した白隠にも大きな大きな影響を与えています。日本の禅宗が隠元の考え方に寄り、隠元自体が臨済宗の教えを伝えていたことから今では臨済宗と黄檗宗は共同で財団法人(=臨済宗黄檗宗連合各派合議所)を運営しているのです。

日本に伝来した禅宗4:幻の禅宗普化宗って何だ?

普化宗は南宋で修行した心地覚心が帰国するとともに一緒に来日した4人の普化宗の居士(こじ=在家で仏法を求めるもののこと)が日本で伝えた宗派です。普化宗は別名虚無宗とも呼ばれ、他の禅宗とは少し違う宗風を持っています。では、どのような宗派なのかを見ていきましょう。

本当に禅宗?奇抜な宗派の普化宗

普化宗は別名虚無宗と呼ばれるように僧が虚無僧として活動します。尺八が法器で、尺八を使って禅の修行を行ったり、托鉢を行うなど他の禅宗とは違った宗風を持っているのです。

普化宗は江戸時代に虚無僧の集団が作られ始めました。そこで、江戸幕府は慶長の掟書で入宗の資格や服装も決めたのです。普化宗は慶長の掟書で組織化されていきました。

明治に解体された普化宗!臨済宗の一派として復活?

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普化宗は江戸幕府との繋がりが強かったことから明治政府によって解体されました。しかし、尺八を使っていたことから尺八楽の重要な存在となっているのです。そうした背景から1950年に普化正宗として明暗寺で再興されました。

日本の禅宗は現代日本の基礎!

禅宗を日本に再度持ち込み広げた栄西は日本に喫茶の習慣を広げました。現代でも日本ではお茶を飲む習慣があります。禅宗がなければお茶を飲むことだけでなく、茶道も生まれなかったことでしょう。禅宗から派生した文化は今でも日本に息づいているのです。

また、現代の忙しい社会の中で禅の生き方は見直されつつあります。禅宗の考えを通して、現代社会をよりよく生きるヒントがあるかもしれません。

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室町時代日本史江戸時代鎌倉時代

3分で簡単禅宗!宗派は日本では4つ?いつ伝わった?どんな教え?座禅を組むだけが禅宗ではないことを現役講師ライターが詳しくわかりやすく解説!

禅宗という仏教の宗派は知っているな。よく、マンガなどで座禅を組んで、動くと肩を叩く修行がイメージに湧くと思う・ですが、禅宗と聞いて日本にいつ伝わったか、宗派がいくつあるかは詳しく知らない人も多いでしょう。
今回は禅宗について、日本史の中でも仏教史や古代中世の文化史が大好きな現役講師ライター明東碧吾と詳しく解説していきます。

ライター/明東碧吾

現役塾講師で専門科目の社会の授業はわかりやすいという定評がある。古代・中世の文化史が大好きで、文化財鑑賞の旅へも出かける。

禅宗とは何か?教えや伝来時期をチェックしよう!

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禅宗は皆さんの中では座禅を組んで、棒で叩かれながら修行をしているというイメージが強いでしょう。確かに禅宗では座禅を修行の一環で行っています。しかし、それだけではないのが禅宗です。では、どのような考え方で日本にはいつ伝わってきたのかを見ていきましょう。

禅宗の基本的な教えは何だろう?

Bodhidharma Shaolinsi.JPG
Jiulongtang投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

禅宗は南インド出身の達磨大師が座禅をすることで確立した宗派です。サンスクリット語の音でディアーナを「禅那」と音写し、略して禅となりました。仏教の禅那とは心が動揺することがなくなった状態のことを指します。

達磨大師は禅那に至るための方法として座禅をすることで確立しました。達磨大師は禅那に到達した状態を四聖句という言葉でまとめています。それが「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」です。これらは言語や論理での伝達の不可能性を強調した上で、座禅を通じて無分別の智慧に到達するという達磨大師の考えを表しています。

日本に伝わったのはいつ?

禅宗の伝来は日本では栄西が臨済宗を伝えたことが起源となっています。しかし、禅宗は平安時代に一度伝来していたのです。嵯峨天皇の皇后の橘嘉智子に招かれて来日した義空が京都で禅の講義を行ったとされています。

しかし、禅の考え方は当時の日本には支持者が少なく、広がることがありませんでした。また、中国でもまだ禅の教えが広がる最中だったため、拡大する勢いがなかったのです。

中国の宋朝(南宋)の時期に禅宗は中国で隆盛を極めます。その中で、栄西臨済宗黄龍派を日本に伝え、修行が武士の考えに合っていたことから、日本で禅宗が広まるようになったのです。

日本に伝来した禅宗は4つ?

禅宗といえば、栄西が伝えた臨済宗道元が伝えた曹洞宗の二宗派が鎌倉の新興仏教として広がりました。しかし、日本にある禅宗は実を言うと4つあります。あと2つ足りませんね。

まず1つが、1254年に伝来した普化宗です。普化宗は江戸時代に幕府に保護され、広がりましたが、明治時代に入ると政府により解体されました。今は明暗寺で教えが再興されて、現存しています。

もう一つは黄檗宗です。黄檗宗は江戸時代に来日した隠元隆琦によって確立した宗派で、京都の萬福寺を総本山として唐人屋敷が多かった長崎と京都で広がりました。

日本に伝来した禅宗1:臨済宗とは?

日本に伝来した禅宗のうち、一番初めに伝来したのが栄西が伝えた臨済宗です。臨済宗は中国の禅宗でも大きな宗派で臨済義玄が開祖とされ、流派も多岐にわたります。栄西はその中で臨済禅を日本に伝え、臨済宗の開祖となりました。

では、その臨済宗とはどのような宗派なのかを見ていきましょう。

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