現代社会

日本最大級の海難事故「洞爺丸事故」とは?事故の原因やその後の影響などを歴史好きライターがわかりやすく解説

洞爺丸事故の原因は?

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では、なぜ洞爺丸事故で多くの犠牲者がでたのでしょうか。ここでは、人為的なミスに焦点を絞って見ていきましょう。

出港判断ミス

事故当時、青函連絡船を出港するかしないかの判断は、船長の裁量に委ねられていました。船長の長年の勘や経験を重視したためです。事故を起こした洞爺丸の船長も、津軽海峡の天候予想に定評があったとされます。「天気図」というあだ名が付いていたほどでした。

当時の交通状況も、無謀にも思える出港をした遠因となっています。事故当時、青森と函館を結ぶ交通手段は、青函航路にほぼ限られていました。1954(昭和29)年当時には、航空路線はそれほど整備されておらず、ましてや鉄道で行きようがありませんでした。青函航路をなんとしても運行させたいという責任感が、誤った判断をさせたのです。

当時の気象予報では限界があった

今でこそ、気象予報には民間企業も関わり、多くの地点で3時間ごとの予報を発表しているほどです。しかし、洞爺丸事故当時の1954(昭和29)年では、気象予報がそれほど発達していませんでした。日本での気象衛星の運用は、1978(昭和53)年から観測を開始した「ひまわり」まで待つこととなります。

気象レーダーですら一部で使われ始めたという段階では、船長の長年の経験に頼らざるをえませんでした。洞爺丸台風は、そんな船長が経験したことのない台風だったのです。船長は台風が通過したと判断しましたが、実は一時的に停滞していただけ洞爺丸事故が発生した頃は、台風が発達しながら北海道に接近していました

対応がことごとく裏目に出た

函館港を出港してすぐに台風の影響を受けた洞爺丸。アンカーを打って船首を風上に向け、わずかに前進しながら大波や強風に耐えるという、投錨仮泊法を取っていました。しかし、船を固定してしまったがために強風の影響をまともに受けることに。洞爺丸は大きく揺れ、船内は大量に浸水しました。

また、事故を受けての乗客誘導も、結果的には犠牲者が多くなる原因になったようです。生存者などの証言によりますと、乗組員が乗客を船室から出ないように誘導したとの情報もあります船室から出て波にさらわれないようにしたとされますが、結果的に逃げ場を失うことに。船もろとも多くの人が海に沈んだのです。

\次のページで「洞爺丸事故で得られた教訓とは?」を解説!/

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