今回は「建国記念の日」について学んでいこう。

なぜ「建国記念日」ではなく「建国記念の日」という名前なのか、疑問に思ったことがある人は多いでしょう。ならば、「の」が入っている理由について重点的に見ていことにしよう。

建国記念の日が2月11日になった理由や、建国記念の日が制定されるまでの過程を、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

なぜ建国記念「の」日なのか?

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まず、気になるのが「建国記念の日」という名前です。なぜ「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なのでしょうか。

「建国記念の日」は「建国を祝う日」

「国民の祝日に関する法律」には、日本の祝日とその定義について規定されています。たとえば「元日」。日付は「1月1日」、その意味は「年の始めを祝う」です。「成人の日」も同様に、「一月の第二月曜日」「大人になったことを自覚し自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」とあります。

元日・成人の日の次が「建国記念の日」です。法律で「建国記念の日」という名称が定められている以上、「建国記念日」は正しくありません。その意味として記されているのは、「建国を偲び国を愛する心を養う」という内容です。つまり、2月11日は日本という国ができたことに感謝しつつ愛国心を育む日であるということになります。

世界の建国記念日は?

では、日本以外で「建国記念の日」あるいは「建国記念日」を祝うことがあるのでしょうか。最も有名な建国記念日は、中国の国慶節でしょう。1949年10月1日、毛沢東は中華人民共和国の建国宣言を北京の天安門で行いました。それ以来、中国ではその日を国慶節として祝うようになり、国慶節からは1週間程度の連休となります。

実は、建国記念日を制定する国は多くありません。永世中立国を宣言した10月26日としたオーストリアや、1291年に結ばれた永久盟約の発効日とされる8月1日に定めたスイスなど、建国記念日がある国は数えるほどです。国家が成立した日を限定するのは難しいからだと考えられます。

世界では独立記念日を祝う国が多い

建国記念日よりも圧倒的に多いのが「独立記念日」です。アメリカがイギリスから独立した日を祝う7月4日の独立記念日は、最もよく知られているでしょう。アジアやアフリカ、北中米・南米など、世界の約半分の国が独立記念日を制定しています。

国家の成立を祝う日で、独立記念日の次に多いのが「革命記念日」です。日本ではパリ祭とも呼ばれるフランスの祝日は7月14日ですが、1789年のこの日からフランス革命が始まりました。その他にも、タイやエジプトなども革命記念日を制定。ドイツの場合は、東西ドイツが統一された10月3日を「ドイツ統一の日」という祝日にしています。

「建国記念の日」の元となった「紀元節」とは?

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「建国記念の日」は、戦前まで祝われていた「紀元節」が元となっています。その紀元節とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

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根拠とされる日本神話の伝承

奈良時代に成立した歴史書である『古事記』や『日本書紀』では、神武天皇を初代の天皇と伝えています。『日本書紀』では、神武天皇の即位について記述。それによると、神武天皇が即位した日は「辛酉年春正月庚辰朔」です。「かのととりどしはるしょうがつかのえたつついたち」と読みます。

『日本書紀』は日本神話を元としている記述が多く、史実としての信ぴょう性に疑問があるのは言うまでもありません。しかし、明治時代になり「辛酉年春正月庚辰朔」を西洋暦に換算。紀元前660年2月11日を神武天皇即位の日と推定しました。それ以降、2月11日を日本建国の日として祝おうとする動きが生まれます。

紀元節が制定されるまで

1872(明治5)年、太政官布告により、1月29日が祝日となりました。1月29日は旧暦でいう1月1日、つまり元日です。翌年発令された太政官布告では、さらに祝日が新たに生まれます。そのうちの1つが神武天皇即位日で、2月11日ではなく1月29日に、諸々の式典が執り行われました。

その後、神武天皇即位日は紀元節と改称。日付も「辛酉年春正月庚辰朔」から推定された2月11日に変更されます。その法令は1874(明治7)年より適用され、初めて紀元節が祝われました。皇室では紀元節祭が新たに宮中祭祀として加えられ、天皇親祭の祭儀が行われるようになります。

紀元節の廃止

2月11日が紀元節と定められてからは、毎年2月11日にさまざまな行事が全国で行われるようになります。建国祭の式典が各地で開催されました。大日本帝国憲法の発布が2月11日となり、その日がさらに特別な意味を帯びるように。神社でも、皇室と同様に紀元節祭が行われました。

特に1940(昭和15)年は、神武天皇の即位から2600年とされ祝賀ムードに。紀元二千六百年を記念する行事が盛大に挙行されました。しかし、終戦後にGHQの指導で紀元節を祝日とする法律が削除されます。1948(昭和23)年に、紀元節は廃止となりました。

建国記念の日が制定されるまで

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では、なぜ建国記念の日は制定されたのでしょうか。成立までの道のりを見ていきましょう。

\次のページで「紀元節の復活運動」を解説!/

紀元節の復活運動

1948(昭和23)年に廃止された紀元節でしたが、多くの人が紀元節の復活を望んでいました。そこで、国会では「建国記念日」を制定しようとする動きが生まれます。1950年代から、議員立法などで「建国記念日」法案の提出が何度も行われていました。

しかし、当時の野党第一党であった日本社会党が、建国記念日制定を強く反対。自由民主党による法案提出を、保守反動であると非難していました。1963(昭和38)年の衆議院内閣委員会では、強行採決に反対する社会党議員が体当たりで阻止を試みるといった事態にもなっています。

法令の成立

「建国記念日」制定を巡る論議が重ねられた結果、1966(昭和41)年に祝日法改正法案は成立しました。しかし、この法案は、妥協を重ねた末に生まれたものです。まず、祝日の名称は「建国記念の日」とし、日本が建国されたという事象を記念する日とも解釈できるようにしました。

そして、祝日法案には日付を明記せず、日を定める際には建国記念日審議会に諮問するものと規定。先に祝日を作ることだけを決めてから、後で日付を話し合うこととしたのです。法案成立から約半年後、審議会からは建国記念の日を2月11日にすべきという答申が提出され、その日のうちに「建国記念の日となる日を定める政令」が公布されました。

建国記念の日に問題はあるのか?

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国民の祝日として制定されてから50年以上が経過した建国記念の日ですが、未だに異議を唱える人がいます。果たして、建国記念の日に何か問題はあるのでしょうか。

一部で反対論

建国記念の日には、毎年反対派による集会が開かれています。反対派に共通するのは、天皇制にも反対していることです。そもそも建国記念の日を神武天皇の即位日であるとされる2月11日と定めたため、天皇制反対派が建国記念の日に反対するのも無理はありません。

特に建国記念の日を反対する声が大きいのは、日本共産党です。神武天皇の存在は科学的にも歴史的にも根拠がないとして、神武天皇の即位日が元となっている建国記念の日を反対し続けています。建国記念の日の他にも、天皇誕生日や昭和の日にも日本共産党は反対。国民の祝日に対して独特のスタンスを取っています。

建国記念の日を詳しく知らない人が多い

2020年1月に実施された、建国記念の日に関するアンケートがあります。まず、2月11日が建国記念の日であることを前提した上で「日本の『建国』とは何のことを指しているか知っていますか?」と質問。「知っている」と答えたのは、全体の4割程度でした。

さらに、「知っている」と答えた人に「『建国記念の日』とは、何を記念する日ですか?」と重ねて質問。「神武天皇の即位」などと答えたのは、3分の1程度でした。このように、建国記念の日の意味がよく知られていないという結果が出ています。建国記念の日を意義あるものとするためには、まずは政府などが周知する努力は必要でしょう。

\次のページで「建国記念の日にある行事とは?」を解説!/

建国記念の日にある行事とは?

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最後に、建国記念の日に行われる行事について詳しく見てみましょう。

奉祝パレード

建国記念の日奉祝パレードが、「日本の建国を祝う会」主催で毎年行われています。例年ですと、東京の神宮外苑いちょう並木通りから原宿表参道を通り、明治神宮前五輪橋までがパレードのコースです。小学校から社会人まで、幅広い年代のブラスバンドが参加。カラーガードやチアリーディングに、神輿までもが加わる盛大なパレードです。

パレードの他にも、明治神宮会館で奉祝中央式典が行われます。令和四年(2022年)の式典では、第1部の式典の後、第2部に能や朗読といった記念公演が行われました。明治神宮でも当日は紀元祭が催され、神事が厳粛な雰囲気の中で執り行われます。

全国各地の神社による例祭

建国記念の日には、政府などが主催する公式行事がありません。毎年内閣総理大臣から、建国記念の日を迎えるにあたってのメッセージが公表される程度です。それでも、全国各地で建国記念の日にちなんだイベントが開催されています。中でも、神社で毎年2月11日に行われている例祭が有名でしょう。

特に、神武天皇を主祭神とする奈良県の橿原神宮は、毎年2月11日に例祭として紀元祭を行うことでも知られています。例年であれば勅使参向のもとに行われ、数千人が参列する盛大な例祭です。神武天皇が崩御して2600年とされる2016(平成28)年には、「神武天皇二千六百年大祭」を斎行しました。

日本の建国に思いを馳せる日が「建国記念の日」

「建国記念の日」とは「建国をしのび国を愛する心を養う」日であると、法律に定められています。しかし、法律が成立するまでには紆余曲折がありました。さまざまな議論を重ねた結果、「建国記念の日」という名称となったのです。名称はどうであれ、日本という国を作り育てた先人に、感謝する気持ちを忘れてはならないのではないでしょうか。

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なぜ建国記念日ではなく建国記念の日?2月11日になった理由や制定されるまでの過程などを歴史好きライターが分かりやすくわかりやすく解説!

今回は「建国記念の日」について学んでいこう。

なぜ「建国記念日」ではなく「建国記念の日」という名前なのか、疑問に思ったことがある人は多いでしょう。ならば、「の」が入っている理由について重点的に見ていことにしよう。

建国記念の日が2月11日になった理由や、建国記念の日が制定されるまでの過程を、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

なぜ建国記念「の」日なのか?

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まず、気になるのが「建国記念の日」という名前です。なぜ「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なのでしょうか。

「建国記念の日」は「建国を祝う日」

「国民の祝日に関する法律」には、日本の祝日とその定義について規定されています。たとえば「元日」。日付は「1月1日」、その意味は「年の始めを祝う」です。「成人の日」も同様に、「一月の第二月曜日」「大人になったことを自覚し自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」とあります。

元日・成人の日の次が「建国記念の日」です。法律で「建国記念の日」という名称が定められている以上、「建国記念日」は正しくありません。その意味として記されているのは、「建国を偲び国を愛する心を養う」という内容です。つまり、2月11日は日本という国ができたことに感謝しつつ愛国心を育む日であるということになります。

世界の建国記念日は?

では、日本以外で「建国記念の日」あるいは「建国記念日」を祝うことがあるのでしょうか。最も有名な建国記念日は、中国の国慶節でしょう。1949年10月1日、毛沢東は中華人民共和国の建国宣言を北京の天安門で行いました。それ以来、中国ではその日を国慶節として祝うようになり、国慶節からは1週間程度の連休となります。

実は、建国記念日を制定する国は多くありません。永世中立国を宣言した10月26日としたオーストリアや、1291年に結ばれた永久盟約の発効日とされる8月1日に定めたスイスなど、建国記念日がある国は数えるほどです。国家が成立した日を限定するのは難しいからだと考えられます。

世界では独立記念日を祝う国が多い

建国記念日よりも圧倒的に多いのが「独立記念日」です。アメリカがイギリスから独立した日を祝う7月4日の独立記念日は、最もよく知られているでしょう。アジアやアフリカ、北中米・南米など、世界の約半分の国が独立記念日を制定しています。

国家の成立を祝う日で、独立記念日の次に多いのが「革命記念日」です。日本ではパリ祭とも呼ばれるフランスの祝日は7月14日ですが、1789年のこの日からフランス革命が始まりました。その他にも、タイやエジプトなども革命記念日を制定。ドイツの場合は、東西ドイツが統一された10月3日を「ドイツ統一の日」という祝日にしています。

「建国記念の日」の元となった「紀元節」とは?

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「建国記念の日」は、戦前まで祝われていた「紀元節」が元となっています。その紀元節とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

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