
今回は護憲三派の結成とその後に成立した護憲三派内閣について詳しい内容を現役塾講師ライターの明東碧吾と一緒に詳しく見ていきます。
- 護憲三派とは?まずは基本情報を確認
- 結成はいつ?なぜ結成された?
- キーパーソン・代表は誰?
- 護憲三派内閣とは?護憲三派と何が違う?
- 護憲三派の各政党の主張・特徴はどんなだった?
- 高橋是清率いる立憲政友会:普通選挙で内部対立?
- 加藤高明率いる憲政会:立憲政友会の対抗馬?
- 犬養毅率いる革新倶楽部:第一次護憲運動で活躍した立憲国民党?
- 【結成~その後1】対立勢力?清浦奎吾内閣と政友本党!
- 清浦奎吾内閣誕生で第二次護憲運動が始まる!
- 清浦奎吾内閣を政友本党が支持?護憲三派との対立!
- 【結成~その後2】護憲三派が活躍!第二次護憲運動
- 普通選挙が目標?第二次護憲運動始まる!
- 清浦奎吾内閣倒閣!護憲三派が勝利する!
- 【護憲三派内閣成立まで】第二次護憲運動で政党内閣誕生!
- 目標達成!加藤高明内閣の普通選挙法
- 護憲三派の変革?憲政の常道が成立する!
- 護憲三派は現在の連立内閣の成功例!
この記事の目次

ライター/明東碧吾
現役で塾講師を務めているライターです。専門科目の社会科の指導には定評があり、いつも楽しく覚えられる授業を展開しています。
護憲三派とは?まずは基本情報を確認

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護憲三派とは三つの政党から構成された派閥であったことから護憲三派と言われます。また、護憲という言葉で大正時代に起きた護憲運動に関連することはわかりますね。
では、結成時期やどういった派閥であるのかを詳しく見ていきましょう。
結成はいつ?なぜ結成された?
護憲三派は1924年に成立した清浦奎吾内閣に反対するために起きた第二次護憲運動を主導した三つの政党になります。1924年に成立した清浦奎吾内閣は超然内閣といって、議会や政党の意見に関わりなく政治を行う内閣でした。
また、この時期に普通選挙を求める声も上がっていました。普通選挙を求める運動が超然内閣に対抗するようになり、「普選断行・憲政擁護・貴族院改革」をスローガンに第二次護憲運動を起こしました。この運動の中心になったのが護憲三派なのです。
キーパーソン・代表は誰?
Mochizuki, Kotaro – Japan to-day; a souvenir of the Anglo-Japanese exhibition held in London 1910 https://archive.org/details/japantodaysouven00mochrich/, パブリック・ドメイン, リンクによる
では、護憲三派を構成した政党は何だったのでしょうか。まず主力になったのが加藤高明を中心とする憲政会でした。憲政会は原敬内閣の国民人気の高さが影響して、議席数などを伸ばせずにいました。しかし、普通選挙実現を主張して、第二次護憲運動前には都市部で強い政党になっていきました。
続いて、普通選挙実現を主張していた犬養毅の革新倶楽部も清浦奎吾内閣に反対します。そして、この二つの政党に呼応したのが、高橋是清率いる立憲政友会でした。これら三つの政党が清浦内閣反対を要求し、手を組んだのが護憲三派です。
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護憲三派内閣とは?護憲三派と何が違う?
護憲三派内閣とは第二次護憲運動後に成立した加藤高明内閣のことを指します。護憲三派が1924年の衆議院議員選挙で大勝しました。中でも憲政会の議席数が多かったので、総裁である加藤高明が内閣総理大臣になりました。
また、その内閣には農商務大臣に立憲政友会の総裁である高橋是清が就任しました。同時に革新倶楽部の総裁の犬養毅も逓信大臣に就任し、護憲三派の政党の議員が加藤高明内閣で大臣に就任しました。
つまり、護憲三派の政党で政党内閣を形成したのです。だから、護憲三派内閣と呼ばれるようになりました。
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