2022年のロシアのウクライナ進攻で注目が集まっているのが北大西洋条約機構 NATO。ヨーロッパと北米の30カ国から構成される軍事同盟です。北大西洋条約機構 NATOは、第二次世界大戦後にイギリスとアメリカが中心となって発足しました。

北大西洋条約機構 NATOは、どのような背景から設立に至ったのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。ウクライナ進攻をきっかけに、北大西洋条約機構 NATOに対する注目度が高まっている。知っているようで知らないNATOについて、気になる点をまとめてみた。

北大西洋条約機構 NATOの設立

NATO Summit in Poiana Brasov 2004.jpg
パブリック・ドメイン, リンク

北大西洋条約機構 NATOの英語名はNorth Atlantic Treaty Organization。ヨーロッパと北米の30カ国から構成される軍事同盟のことで、外部からの攻撃に対抗するための「集団防衛システム」としても機能しています。

NATOの設立は1949年

NATOが設立されたのは第二次世界大戦後。ソビエト連邦により、ヨーロッパが共産化の波にのまれるのを防ごうとする意図があります。そのため設立されたときは、東ヨーロッパの共産圏に対抗する、西ヨーロッパおよび北アメリカにより構成されていました。

しかしながら、東ヨーロッパや旧ソ連国の資本主義化が進み、今ではさらに構成国は多様になっています。一方、ソ連など東側8か国は、NATOに対抗するためにワルシャワ条約機構を発足。ヨーロッパな長らく東西で分裂していました。なお、ワルシャワ条約機構は現在、廃止されています。

NATOは現在、30か国から構成されています。具体的には、アルバニア、ベルギー、ブルガリア、カナダ、クロアチア、チェコ、デンマーク、エストニア、フランス、ドイツ、ギリシア、ハンガリー、アイスランド、イタリア、ラトビア、リトアニア、ルクセンブルク、モンテネグロ、オランダ、北マケドニア、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロバキア、スペイン、トルコ、イギリス、アメリカ合衆国。フランスは復帰を宣言しているものの、離脱中です。

ドイツの加入により揺れたNATO

NATOが発足したころ、第二次世界大戦でナチスが与えた影響が問題視されていたドイツは加盟せず。ドイツは、米ソの対立の影響もあり、東西に分断していましたが、西ドイツについては早々にNATO加盟の準備を進められます。

しかし、フランスがドイツの再軍備化に反対するなど、スムーズに加盟できませんでした。西ドイツがNATOに加盟したのは1955年11月12日。ロシアの影響かにあった東ドイツは、ドイツ統合までワルシャワ条約機構に加盟していました。

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東方に影響力を拡大させる北大西洋条約機構 NATO

Pieces of a destroyed tank, notably the gun turret, lie on a sandy landscape.
By Bernd.Brincken - Own work, CC BY-SA 3.0, Link

当初は、ドイツ問題の解決のために発足したNATOですが、国際情勢の変化により、存在意義が変化していきます。そこで新たに戦略の概念を策定して周辺地域の紛争の解決にシフトさせていきました。

NATOの転換期となったいくつかの要素

NATOの転換期のきっかけはいくつかあります。ひとつが1989年のマルタ会談の実現。これにより米ソの冷戦に幕がおろされます。ふたつめが、1991年にワルシャワ条約機構が解体されたこと。3つ目がソビエト連邦の崩壊です。これらにより、NATOの存在意義をとらえなおす必要性が出てきました。

ソ連による共産化の波が脅威でなくなりましたが、ヨーロッパ周辺の地域では紛争や内戦が勃発するように。これらに対する危機管理が問われるようになりました。そこで「新戦略概念」を策定するに至ります。

「新戦略概念」の適応による影響

初めてNATOの新戦略概念が適応されたのは、1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ内戦。1995年からNATOによる軍事的な介入が行われました。アメリカ主導により空爆が行われ、停戦監視にも関与するに至ります。

また、ソ連が崩壊したことをうけて、東ヨーロッパ諸国が続々とNATO加盟を望むようになりました。ソ連崩壊により一時は停滞していたロシアが力を回復。NATOに対する敵対心を強めていきます。

対テロ対策としての北大西洋条約機構 NATOの意義

Nato awacs.jpg
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ドイツ問題、共産化の波、地域紛争に加え、新たな脅威として浮かび上がったのが、スラム武装勢力などの過激派によるテロ攻撃。すべてが適用されませんでしたが、条件つきでNATOが関わることになりました。

アメリカ同時多発テロ事件がきかっけ

ヨーロッパの防衛が中心であったNATOですが、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件により風向きが変わります。構成国のあいだで意見が分かれ、全面的に適応されませんでしたが、北大西洋条約第5条が発動されました。

NATO全体として行動することはなし。とはいえ、アフガニスタン攻撃、イスラム武装勢力タリバンの追放、その他の支援を行いました。ただ、テロ対策は賛同するものの、参加するかどうかは各国の自主性に任せることになりました。

2003年のイラク戦争で分裂の危機に陥ったNATO

2003年のイラク戦争では、アメリカとフランスおよびドイツが対立し、NATOの足並みが乱れていきます。アメリカを支持する東ヨーロッパ諸国など新加盟国、ドイツやフランスなど昔からの加盟国というように、内部で分裂してしまいました。

最終的に、アメリカ軍からNATOに、軍事行動に関する権限が部分的に移されます。その結果、NATO軍としてはじめて地上軍による作戦が実行されました。最終的に、アフガンに対する権限がすべて譲られました。

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北大西洋条約機構 NATOの組織の特徴

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ここまでNATOの活動の概要を見てきましたが、そもそもNATOとはどのような組織なのでしょうか。そこで、NATOがどのような組織により構成されているのか、おおまかに紹介していきます。

NATOに中心となる国家は存在しない

NATOは、もともとアメリカとイギリスの主導により設立されました。しかしながら組織としては、特定の力を持つ国は存在しません。NATOの盟主は各加盟国の政府。国力や加盟時期に関わらず、それぞれの国の政府の権利は平等とされています。

NATOの中央機関となるのが北大西洋理事会。あらゆる議案が話し合われます。ここで何かを決定したり承認したりするときは、全会一致が原則。多数決の制度はNATOにおいて採用されていません。そのためひとつの国が反対すれば否決となります。

複数に理事会によりさまざまな問題が協議

NATOでは、週1回行われる常設理事会のほかに、1年に2回のペースで開催される閣僚クラスの理事会、そのほかの臨時の理事会が開催されています。ただし、軍事がらみの意思決定は理事会ではなく防衛計画委員会にて実施。核問題にについては、核計画グループにて話し合われます。

理事会・防衛計画委員会の下にあるのが常設委員会。必要に応じて、委員会が設けられます。NATOの軍事的な活動については、理事会の決定のもと軍事委員会が担当。軍事委員会は加盟国の参謀総長相当の将官から構成されます。

日本と北大西洋条約機構 NATOの関係は?

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日本は、ヨーロッパと地理的に離れていることもあって、連携はゆるやかです。しかしながら、米軍の駐在活動などさまざまな面でNATOの影響を受けています。国家首脳同士の交流も少なくなく、今後はより緊密な関係を結ぶ可能性もあるでしょう。

日本の軍事化と密接につながっているNATO

日本には、日米地位協定などにより、アメリカ軍が駐在しています。在日米軍は、有事のときに連携しやすくするため、小銃にNATO弾を使用。また、そのほかの兵器についても、NATOと同じ規格のものが採用されています。

兵器のほか、国家の要人の交流も。2007年に、安倍晋三元首相がヨーロッパを訪れた際にNATOの本部を訪問しています。さらに演説をした際、安倍元首相は日本も緊密な協力関係を築くことを表明。日本をNATOに加盟させる動きも一部に見られます。

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日本のNATO協力は人道支援や復興活動に限定

とはいえ、日本の軍事力は限られているため、NATOへの協力は人道支援や復興活動に限定。そこでNATOは、紛争地域の武装解除が進んだあとの、社会復帰プログラムなどに、日本を参加させることを検討するように。そのため今の日本はNATOの「グローバル・パートナー国」という位置づけです。

そこで日本政府は、アフガニスタンの治安回復に従事するNATOに経済支援を行いました。ただし、全面的に協力するのではなく「草の根無償・人間の安全保障資金協力 (GAGP) スキーム」の範囲内。途上国の開発に貢献するという趣旨の支援にとどめています。

ウクライナの北大西洋条約機構 NATO加盟希望の余波

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ロシアがウクライナの軍事侵攻に踏み切った背景として、ウクライナがNATOとの距離を縮めたことがあります。ロシアのプーチン大統領はNATOの軍事活動を批判。どうしてそのようなことが起こったのでしょうか。

ロシアにとってNATOは東方拡大の脅威

NATOが設立された背景として、共産圏の拡大の脅威がありました。いっぽうロシアにとってNATOは東方拡大の脅威。もともと独裁国家が多かった東ヨーロッパの国々が次々と独立。NATOに加盟していきます。それによりロシアの影響力が及ぶ範囲が限られてきました。

ヨーロッパの課題は東西格差。1999年にポーランド、チェコ、ハンガリー、2004年にバルト3国がNATOに加盟しました。NATOに加盟して民主化をすすめれば、経済的に発展できると考える国が増えていきます。

ウクライナがNATOに加盟できない理由

ウクライナのゼレンスキー政権はNATO加盟を強く希望しています。ロシアの侵攻とは別に、NATO加盟は難しいとされてきました。その理由がウクライナの民主化が不十分であること。財閥と政治家の癒着が根強く、クリーンな政治体制ができあがっていないことです。

もうひとつがロシアとの関係。ウクライナをNATOに加盟させると、ロシアがどのような行動を起こすのか未知数です。ロシアにとってウクライナは兄弟国。ロシアの歴史にとって重要なエリアでもあるため、平和的に手放すとは考えにくいのが現状です。

北大西洋条約機構 NATOのこれからは?

北大西洋条約機構 NATOは、そのときの国際情勢の流れに応じて、その使命を変えてきました。今、ロシアとウクライナの衝突を前に、ふたたびその意義が問われています。これまでは、ロシアを除く国家から安全保障を形作ってきました。これからは、ロシアを含めてどのような平和な世界を作っていくのか、NATOは考えていく時期に差し掛かっているのでしょう。

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北大西洋条約機構(NATO)とは?設立の背景やその目的を元大学教員が5分でわかりやすく解説

2022年のロシアのウクライナ進攻で注目が集まっているのが北大西洋条約機構 NATO。ヨーロッパと北米の30カ国から構成される軍事同盟です。北大西洋条約機構 NATOは、第二次世界大戦後にイギリスとアメリカが中心となって発足しました。

北大西洋条約機構 NATOは、どのような背景から設立に至ったのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。ウクライナ進攻をきっかけに、北大西洋条約機構 NATOに対する注目度が高まっている。知っているようで知らないNATOについて、気になる点をまとめてみた。

北大西洋条約機構 NATOの設立

NATO Summit in Poiana Brasov 2004.jpg
パブリック・ドメイン, リンク

北大西洋条約機構 NATOの英語名はNorth Atlantic Treaty Organization。ヨーロッパと北米の30カ国から構成される軍事同盟のことで、外部からの攻撃に対抗するための「集団防衛システム」としても機能しています。

NATOの設立は1949年

NATOが設立されたのは第二次世界大戦後。ソビエト連邦により、ヨーロッパが共産化の波にのまれるのを防ごうとする意図があります。そのため設立されたときは、東ヨーロッパの共産圏に対抗する、西ヨーロッパおよび北アメリカにより構成されていました。

しかしながら、東ヨーロッパや旧ソ連国の資本主義化が進み、今ではさらに構成国は多様になっています。一方、ソ連など東側8か国は、NATOに対抗するためにワルシャワ条約機構を発足。ヨーロッパな長らく東西で分裂していました。なお、ワルシャワ条約機構は現在、廃止されています。

NATOは現在、30か国から構成されています。具体的には、アルバニア、ベルギー、ブルガリア、カナダ、クロアチア、チェコ、デンマーク、エストニア、フランス、ドイツ、ギリシア、ハンガリー、アイスランド、イタリア、ラトビア、リトアニア、ルクセンブルク、モンテネグロ、オランダ、北マケドニア、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロバキア、スペイン、トルコ、イギリス、アメリカ合衆国。フランスは復帰を宣言しているものの、離脱中です。

ドイツの加入により揺れたNATO

NATOが発足したころ、第二次世界大戦でナチスが与えた影響が問題視されていたドイツは加盟せず。ドイツは、米ソの対立の影響もあり、東西に分断していましたが、西ドイツについては早々にNATO加盟の準備を進められます。

しかし、フランスがドイツの再軍備化に反対するなど、スムーズに加盟できませんでした。西ドイツがNATOに加盟したのは1955年11月12日。ロシアの影響かにあった東ドイツは、ドイツ統合までワルシャワ条約機構に加盟していました。

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