
高度経済成長期における「金の卵」とは?言葉の意味や重宝された理由などを歴史好きライターがわかりやすく解説
人口の増加
現在でこそ日本の出生率は1.3前後という低水準ですが、1970年代初頭までは2.0を超えていました。終戦直後には、3から4だった年もあります。戦時中から「産めよ増やせよ」というスローガンで多産が奨励され、その影響もあって出生率が高かったのです。兄弟が5人も6人もいることは珍しくありませんでした。
当時の子供が多い家庭では、長男が家業を継いで次男や三男はその手伝いをするということが多くありました。農村部では労働力過多となる一方で、戦後復興が進む都市部は町工場や商店などで人手不足に。農村部と都市部の利害は一致して、農村部にいた「金の卵」は都市部に招かれるようになったのです。

よくニュースなどで「出生率が低下」などと聞くことがあるだろう。しかし、出生率といってもいろいろな指標があり、よく用いられる「出生率」は「合計特殊出生率」のことを指すぞ。簡単に言えば、15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもので、1人の女性が一生のうちに生むとされる平均の子供の数に相当する。2021年の日本は約1.4だったため、一人っ子が多いということになるな。
「金の卵」の衰退とその原因

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1960年代までは引く手あまただった「金の卵」ですが、1970年代に入ると急激にその風潮がしぼんでいきました。なぜそのようなことが起きたのでしょうか。
経済の低迷
1964(昭和39)年の後半から1965(昭和40)年にかけて、日本で証券不況が起きました。高度経済成長期では常に景気が右上がりだったという印象を持つ人には、意外なことかもしれません。しかし、最初の東京オリンピックが終わった直後から、日本の景気が後退したという事実はあったのです。
経済成長の鈍化に拍車をかけたのは、1974(昭和49)年に発生したオイルショックでした。企業は人材育成に投資する余裕がなくなり、「金の卵」の雇用に消極的になりました。また、未成年者は危険作業ができないなどの制約があるため、「金の卵」の新卒採用が減ることになります。
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産業の合理化
高度経済成長で企業が大きな収益を上げたことにより、設備投資が進みます。特に製造業ではオートメーション化が加速。すると、単純労働が減少し、それに携わる労働者の需要が減ります。その仕事の多くを若い世代が担っていたため、「金の卵」が活躍する場が減っていったのです。
さらに、設備機械が大量に導入されるようになったため、それを動かす技術が必要となっていきました。その技術を持つのは、主に工業高校卒業以上の知識を持つ者となります。よって、企業は中学を卒業したばかりの労働者を敬遠するになり、代わって高卒以上の労働者を求めるようになりました。
進学率の上昇
1960年代後半から日本の経済が安定したことにより、各家庭の所得が安定するようになります。その頃より、高等教育の義務化が盛んに議論されるようになりました。低所得世帯に奨学金を給付する取り組みも増え、高校進学率が上昇。1950年代前半までは半数以下でしたが、1970年代後半には9割を超えました。
2010年には国公立の高校が、2020年からは私立高校も授業料が実質無料となっています。高校進学率は毎年98パーセント前後となり、大学同様に高校も全入時代であるといっても過言ではありません。集団就職は1970年代に入り急激に衰退。現在は、主に外国人労働者が「金の卵」に代わる役目を担っています。