
川本幸民という人物を知っているか? 江戸時代に活躍した蘭学者なのですが、西洋の書物を翻訳した上で自ら実験をして確かめ、先端科学を日本に導入した。日本で初めてビールやマッチの製造に成功したことで有名で、なんと「化学」という言葉も彼が作ったものです。
日本の科学教育のレベルの高さは海外でも有名だということを体験した、元米国科学教師のチロと一緒に解説していきます。

ライター/チロ
放射能調査員や電気工事士など様々な「科学」に関係する職を経験したのち、理科教員の道へ。教員生活10年を契機に米国へ留学、卒業後は現地の高校でも科学教師として勤務した。帰国後は「フシギ」を愛するフリーランスティーチャー/サイエンスライターとして活躍中。
(1) 翻訳家:西洋の科学書を翻訳出版し、最先端の知識を日本に伝えた。
(2) 科学者:書籍に書かれた情報を鵜呑みにせず、自ら実験行い確かめた。
(3) 発明家:マッチや写真、ビール、電信機などを日本で初めて作成し、実際に使用してみせた。
(4) 教育者:東京大学の前身となった蕃書調所の教授になったほか、地元に塾を開き科学の普及と発展に尽力した。
すごいですね! なぜこのような多岐にわたる活躍ができたのか、詳しく解説していきます。
川本幸民の出身地とは?
Hiro zip post – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
川本幸民の出身地は摂津国三田藩、現在の兵庫県三田市です。現在、三田市で幸民は地元の生んだ名士として尊敬を集めており、私立三田小学校の校門前には幸民の顕彰碑が建てられています。
\次のページで「日本化学の祖、川本幸民の人生」を解説!/