この記事では「王侯将相寧んぞ種あらんや」について解説する。

端的に言えば王侯将相寧んぞ種あらんやの意味は「社会的に成功するのは能力があり努力するからである」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で7年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「王侯将相寧んぞ種あらんや」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な7年目のライター、eastflower。「王侯将相寧んぞ種あらんや」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「王侯将相寧んぞ種あらんや」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「王侯将相寧んぞ種あらんや」(おうこうしょうしょう いずくんぞ しゅあらんや)の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「王侯将相寧んぞ種あらんや」の意味は?

まず、「王侯将相寧んぞ種あらんや」の辞書の意味を見ていきましょう。

《「史記」陳渉世家から》王侯や将軍・宰相となるのは、家柄や血統によらず、自分自身の才能や努力による。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「王侯将相寧ぞ種あらんや」

「王侯将相寧ぞ種あらんや」(おうこうしょうしょう いずくんぞ しゅあらんや)の「王侯将相」(おうこうしょうしょう)とは、王や諸侯、将軍や宰相など社会的に地位の高い人々のことです。「寧ぞ」(いずくんぞ)は、漢文訓読のための用語で、文のうしろに推量表現を伴って反語を表わします。「寧ぞ」(いずくんぞ)がでてきた場合は「〇〇であろうか?いやそんなことはない」という意味で使われるのです。「種」(しゅ)は、この場合は、家柄や血統の意味になりますから、「王侯将相寧ぞ種あらんや」は、辞書で説明されているとおり、「王や将軍あるいは宰相になれるのは、家柄や血統が良いからであろうか?」という意味とともに「いやそうではない。能力が高く、実力があるから統治する側の高い地位を得られるのだ」という意味になるのですね。

「王侯将相寧ぞ種あらんや」の語源は?

次に「王侯将相寧ぞ種あらんや」の語源を確認しておきましょう。
中国の歴史書「史記」(しき)によれば、前209年に「王侯将相寧ぞ種あらんや」は、「陳渉」(ちんしょう)という人物に発せられた言葉だったと記されています。当時の中国は「始皇帝」(しこうてい)によって全土が統一され「秦」(しん)が設立されました。中国を統一した「秦」は、強大な国つくりのために大規模な建築工事を実施し、国境の警備にも力を入れていました。それらの労働者として駆り出された人々のひとりが「陳渉」でした。

赴任のため現地に訪れようとしていた「陳渉」でしたが、大雨により定められた期日までに現場へ行けなくなってしまったのです。期日までに到着できなかった者は死刑が課せられる法律になっており、「どうせ死ぬのであれば、大事(だいじ)を行って死のう」と開き直りました。「陳渉」は悪政で苦しんでいる仲間たちに決起をうながす際にかけた言葉が、「王侯将相寧ぞ種あらんや」だったと伝えられています。

\次のページで「「王侯将相寧ぞ種あらんや」の使い方・例文」を解説!/

「王侯将相寧ぞ種あらんや」の使い方・例文

「王侯将相寧ぞ種あらんや」の使い方を例文を使って見ていきましょう。

1. 「俺がこれまで頑張ってこられたのは、王侯将相寧ぞ種あらんやということわざに励まされたからさ。シングルマザーの貧しい家で育った俺は、こうでも思わなかったら前に進んで行けなかったんだ。」

2. 「親として息子に議員や会社の社長になって欲しいと願ったことはない。ただ、王侯将相寧ぞ種あらんやのことわざにあるとおり、社会的な地位の高い人の言うことをいつも正しいと思うのではなく、自分が感じること、考えることも同様に大切だと思って生きて欲しい。」

「王侯将相寧ぞ種あらんや」は人を励ますことわざとしても使えますね。

「王侯将相寧ぞ種あらんや」の類義語は?違いは?

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それでは、「王侯将相寧ぞ種あらんや」の類義語を見ていきましょう。

「成り上がる」

王や大臣、今の時代で言えば大企業の社長など社会的に地位の高い人間になるのは、家柄や血統によるものではなく、個人の才能や努力によるものだ。というのが「王侯将相寧ぞ種あらんや」の意味でしたが、これと同じような意味で使われる類義語に「成り上がる」(なりあがる)があります。「成り上がる」は、「貧しかった地位の低いものが裕福になり高い地位を得ること」です。日本もかつては封建制度の世の中で武士の子は武士、百姓の子は百姓になるという暗黙のルールがあり、「職業選択が難しい国」でした。しかし、そんな時代でも、天才は天才。百姓の出であった豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、能力主義の織田信長(おだのぶなが)に仕えるようになると、持ち前の努力と人に好かれる愛嬌で、トップにのし上がり関白にまでなりました。「成り上がる」の名詞は「成り上がり」(なりあがり)になりますが、正に秀吉は代表的な「成り上がり」だったわけです。

\次のページで「「王侯将相寧ぞ種あらんや」の対義語は?」を解説!/

「王侯将相寧ぞ種あらんや」の対義語は?

次に「王侯将相寧ぞ種あらんや」の対義語を見ていきましょう。

「長いものに巻かれろ」

「王侯将相寧ぞ種あらんや」と聞くと、自らの力を信じて中国の統治者であった当時の秦国に立ち向かっていく「陳渉」の勇ましい姿がイメージされますが、対義語となる言葉は、誤りがあったとしても、権力者、統治者には、「反抗しない従順な態度を取ることが賢明である」という意味を持つ言葉になるでしょう。そんな意味をもつことわざに「長いものに巻かれろ」(ながいものにまかれろ)があります。この場合の「長いもの」とは、「社会的な強者や権力を持った人々」のことで、「まかれろ」、漢字に直すと「巻かれろ」となりますが、「自分の感情や考え方は抑えて、なすがままに従え」という意味になるのです。簡単にいえば、「権力のある人に対しては、そのまま従っておいた方が無難で徳だ」という意味になりますね。

「王侯将相寧ぞ種あらんや」の英訳は?

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次に「王侯将相寧ぞ種あらんや」の英訳を見ていきましょう。

「Self-Relaiance」

「王侯将相寧ぞ種あらんや」は、「王や大臣などの社会的に高い地位を得られるのは家柄や血統が立派だったからであろうか?そうではない、実力や能力があるからだ。」という意味でしたね。その根底にあるのは、「自分にも能力があれば同じように高い地位がえられるはずだ。」という自分を信じる「自己信頼」の精神です。「自己信頼」は、英語で「self-reliance」(sélf-rɪlάɪəns)といいます。「self」(sélf)は、「自己」や「自分自身」という意味であり、「reliance」(rɪlάɪəns)は、「信頼」や「頼みにすること」という意味です。「self-reliance」は、自分自身を信じ、頼りにすることなのですね。

「王侯将相寧ぞ種あらんや」を使いこなそう

この記事では、「王侯将相寧ぞ種あらんや」の意味や使い方を見てきました。このことわざは高い地位を得るには、「家柄や血統によるものではなく、自身の才能や努力によるものだ」という意味でした。現代社会では誰でもが受け入れやすい考え方かもしれませんが、封建的な時代の日本では受け入れにくい考え方であったのかもしれませんね。

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【慣用句】「王侯将相寧んぞ種あらんや」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「王侯将相寧んぞ種あらんや」について解説する。

端的に言えば王侯将相寧んぞ種あらんやの意味は「社会的に成功するのは能力があり努力するからである」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で7年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「王侯将相寧んぞ種あらんや」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な7年目のライター、eastflower。「王侯将相寧んぞ種あらんや」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「王侯将相寧んぞ種あらんや」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「王侯将相寧んぞ種あらんや」(おうこうしょうしょう いずくんぞ しゅあらんや)の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「王侯将相寧んぞ種あらんや」の意味は?

まず、「王侯将相寧んぞ種あらんや」の辞書の意味を見ていきましょう。

《「史記」陳渉世家から》王侯や将軍・宰相となるのは、家柄や血統によらず、自分自身の才能や努力による。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「王侯将相寧ぞ種あらんや」

「王侯将相寧ぞ種あらんや」(おうこうしょうしょう いずくんぞ しゅあらんや)の「王侯将相」(おうこうしょうしょう)とは、王や諸侯、将軍や宰相など社会的に地位の高い人々のことです。「寧ぞ」(いずくんぞ)は、漢文訓読のための用語で、文のうしろに推量表現を伴って反語を表わします。「寧ぞ」(いずくんぞ)がでてきた場合は「〇〇であろうか?いやそんなことはない」という意味で使われるのです。「種」(しゅ)は、この場合は、家柄や血統の意味になりますから、「王侯将相寧ぞ種あらんや」は、辞書で説明されているとおり、「王や将軍あるいは宰相になれるのは、家柄や血統が良いからであろうか?」という意味とともに「いやそうではない。能力が高く、実力があるから統治する側の高い地位を得られるのだ」という意味になるのですね。

「王侯将相寧ぞ種あらんや」の語源は?

次に「王侯将相寧ぞ種あらんや」の語源を確認しておきましょう。
中国の歴史書「史記」(しき)によれば、前209年に「王侯将相寧ぞ種あらんや」は、「陳渉」(ちんしょう)という人物に発せられた言葉だったと記されています。当時の中国は「始皇帝」(しこうてい)によって全土が統一され「秦」(しん)が設立されました。中国を統一した「秦」は、強大な国つくりのために大規模な建築工事を実施し、国境の警備にも力を入れていました。それらの労働者として駆り出された人々のひとりが「陳渉」でした。

赴任のため現地に訪れようとしていた「陳渉」でしたが、大雨により定められた期日までに現場へ行けなくなってしまったのです。期日までに到着できなかった者は死刑が課せられる法律になっており、「どうせ死ぬのであれば、大事(だいじ)を行って死のう」と開き直りました。「陳渉」は悪政で苦しんでいる仲間たちに決起をうながす際にかけた言葉が、「王侯将相寧ぞ種あらんや」だったと伝えられています。

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