今回はアルフレッド・ノーベルがテーマです。

ノーベルと聞けばみんなノーベル賞を思い浮かべるでしょう。研究者が憧れるノーベル賞はアルフレッド・ノーベルの遺言として1901年から始まった。日本でも受賞者が多い物理学、化学、生理学・医学賞、そして文学、平和および経済学賞もある。しかしノーベルがノーベル賞を創設した裏には、自分が作り出したもので多くの人が無くなってしまったという悲しい過去もある。

それではアルフレッド・ノーベルの生涯とノーベル賞受賞者について解説する。担当は伝記大好き化学系科学館職員のたかはしふみかです。

ライター/たかはし ふみか

高校は化学部、大学は工学部化学系のリケジョ。読書も実験も好きで休みの日はよく図書館と職場の科学館に入り浸っている。

アルフレッド・ノーベルの経歴

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AlphaZeta - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

まずはアルフレッド・ノーベルの経歴をご紹介します。

ノーベルの少年時代

image by PIXTA / 71033529

アルフレッド・ノーベルは1833年10月21日にスウェーデンのストックホルムで生まれました。父親は建築家でありながら発明家でもあったそうです。またその祖先に科学者のオラウス・ルドベックと植物学者のオロフ・ルドベックの親子がいます。ノーベルは8人兄弟で、貧しい生活でしたが父親から科学を学んでいたそうです。そしてこの頃から爆発物に興味を持っていました。

1842年、ノーベルは先に引っ越していた父親が待つサンクトペテルブルクへ行きます。そこで父親は機械や爆発物の製造を行っていました。この事業が成功したため、ノーベルには家庭教師がつけられ勉強に励むようになったのです。その後パリ、アメリカにわたってのは化学を学んだノーベルは父の事業を手伝います。

ノーベルとダイナマイト

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Gösta Florman (1831–1900) / The Royal Library - Sweden.se credits image to www.imagebank.sweden.se, Gösta Florman / The Royal Library, パブリック・ドメイン, リンクによる

1853年にクリム半島にてオスマン帝国・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍とロシアとの間でクリミア戦争がはじまります。この戦争でノーベルは兵器の生産によって大儲けしました。しかし1856年に戦争が終結したことで父親の事業は破産、これを機にノーベルは両親とともに祖国に帰国します。祖国スウェーデンに戻ったノーベルは爆発物の研究を始め、目を付けたのがニトログリセリンです。

爆薬にも狭心症の治療薬ともなるニトログリセリン。ニトログリセリンには血管拡張作用があり医薬品として活用できる一方、わずかな振動で爆発するという大変危険な物質です。1846年にイタリアの化学者が合成に成功した物質で、開発時はその強烈な爆発力で爆薬として使うのは難しいと思われていました。しかし、ノーベルがダイナマイトとして爆薬として実用化したのです。

ニトログリセリン

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- 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

グリセリン(上図の左)のヒドロキシ基(ーOH)を硝酸と反応させたもの。

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ノーベルの研究

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ノーベルはこのニトログリセリンを意図的に爆発させるために起爆装置を開発し、スウェーデンで特許を取得。また起爆薬(衝撃を受けて爆発する爆薬)と導爆薬(点火に必要なもの)を詰め意図的な発火を行う雷管も開発しています。

しかしノーベルは開発中に爆発事故を起こしてしまいました。この事故で弟や助手が亡くなり、この影響で研究ができなくなったのです。そこでノーベルはハンブルクに移転し、安全性の高いニトログリセリンの研究を行います。

ノーベルの遺言と死

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晩年、ノーベルは「遺産をもとに基金を設立し、人類のために大きな貢献をした人物に賞という形で分配されるものとする」という遺言を残しました。これはノーベルの開発したダイナマイトが兵器として使われ、多くに人々が犠牲となってしまったことが原因です。死者を出すものを開発し、巨額の富を得たノーベルは死の商人と呼ばれるようになりました。そこでノーベルは自分の財産を運用してその利子でノーベル賞を授与することで、研究者を応援することにしたのです。そして1896年12月10日、ノーベルは亡くなります。

ノーベルが生み出したもの、まとめ

ダイナマイトと巨万の富

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1866年、ダイナマイトが開発されました。ダイナマイトとはニトログリセリンを使った爆薬の総称です。そして1875年にはダイナマイトをさらに安全かつ強力なものとしたゼリグナイトを開発しました。その後ノーベルは1884年にスウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれ、フランス政府からはレジオン・ド・ヌール勲章を授与されました。

たくさんの死者を出すこととなったダイナマイトですが、これが栄誉あるノーベル賞の誕生につながります。

栄誉あるノーベル賞

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1895年、持病が悪化したノーベル。ノーベルは遺言状を書きます。それが先ほど紹介した基金を設立して人類に貢献をした人物に賞として分配するというものです。 そして遺言通りノーベル賞受賞が始まったのは1901年から。この時のノーベル賞は物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の5部門でした。ここに1968年から経済学賞が加わりました。経済学賞はスウェーデン国立銀行設立300周年記念に設立されたもので正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」と言います。ノーベルの遺産を管理し賞の受賞を行うノーベル財団は経済学賞を正式なノーベル賞とはしていません。

授賞式は毎年12月10日、ノーベルの命日にスウェーデン・ストックホルムで行われています。テレビで授賞式の中継を見たことがある人もいるでしょう。しかし平和賞のみノルウェーのオスロで行われています。これはノーベルがスウェーデンからの独立問題が起きていたノルウェーの平和を願ったためです。 ちなみにノルウェーは1905年に独立を果たしています。ノーベル財団の資産は200億ほどだっものが今は500億を超すようになりました。おかげで今もノーベルの意思通り世界中の研究者や文学者、平和を願う活動家の憧れとなっています。

誰もが知るノーベル賞受賞者と言えばこちら。

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ノーベル小話

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不明 - http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/1905/suttner.html, パブリック・ドメイン, リンクによる

ノーベル賞には平和賞があり、その創設にはある裏話があるのです。

生涯独身だったノーベル。ノーベルは結婚を考えて女性秘書募集として花嫁候補募集の広告を出します。これに応募してきたのがベルタ・キンスキー(1843年6月9日~1914年6月21日)です。彼女には婚約者がいたため、残念ながらノーベルの恋は実りませんでした。このキンスキーは「武器をすてよ」の作者であり、ノーベルは平和主義の彼女のことを思ってノーベル平和賞を設立したと言われています。そして1905年、キンスキーは女性初のノーベル平和賞を受賞しました。

日本とノーベル賞

日本とノーベル賞

image by Study-Z編集部

1949年、日本で最初のノーベル賞を湯川秀樹博士が受賞しました。それ以降、29名の日本人がノーベル賞を受賞しています(うち4名が受賞時点で外国籍)。

日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川博士の記事はこちら。

1973年ノーベル物理学賞受賞、江崎博士の記事はこちら。

2000年に化学賞を受賞した白川博士の記事はこちら。

2001年に化学賞を受賞した野依博士の記事はこちら。

2002年ノーベル化学賞を受賞、サラリーマンノーベル賞受賞者田中耕一氏の記事はこちら。

2012年、25年ぶりのノーベル医学・生理学賞受賞山中博士についてはこちらの記事をどうぞ。

ダイナマイトとノーベル賞

アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを開発しました。ダイナマイトは兵器として使われ、その結果多くの人が亡くなったのです。それがきっかけでノーベルは人類に貢献した人々の為にノーベル賞を作りました。

日本は非欧米国の中で最もノーベル賞を輩出しています。これからどんな人がノーベル賞を受賞するか楽しみですね。

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化学理科

アルフレッド・ノーベルって誰?ダイナマイトと科学者の憧れノーベル賞の関係を科学館職員がわかりやすく解説

今回はアルフレッド・ノーベルがテーマです。

ノーベルと聞けばみんなノーベル賞を思い浮かべるでしょう。研究者が憧れるノーベル賞はアルフレッド・ノーベルの遺言として1901年から始まった。日本でも受賞者が多い物理学、化学、生理学・医学賞、そして文学、平和および経済学賞もある。しかしノーベルがノーベル賞を創設した裏には、自分が作り出したもので多くの人が無くなってしまったという悲しい過去もある。

それではアルフレッド・ノーベルの生涯とノーベル賞受賞者について解説する。担当は伝記大好き化学系科学館職員のたかはしふみかです。

ライター/たかはし ふみか

高校は化学部、大学は工学部化学系のリケジョ。読書も実験も好きで休みの日はよく図書館と職場の科学館に入り浸っている。

アルフレッド・ノーベルの経歴

NobelP2.png
AlphaZeta投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

まずはアルフレッド・ノーベルの経歴をご紹介します。

ノーベルの少年時代

image by PIXTA / 71033529

アルフレッド・ノーベルは1833年10月21日にスウェーデンのストックホルムで生まれました。父親は建築家でありながら発明家でもあったそうです。またその祖先に科学者のオラウス・ルドベックと植物学者のオロフ・ルドベックの親子がいます。ノーベルは8人兄弟で、貧しい生活でしたが父親から科学を学んでいたそうです。そしてこの頃から爆発物に興味を持っていました。

1842年、ノーベルは先に引っ越していた父親が待つサンクトペテルブルクへ行きます。そこで父親は機械や爆発物の製造を行っていました。この事業が成功したため、ノーベルには家庭教師がつけられ勉強に励むようになったのです。その後パリ、アメリカにわたってのは化学を学んだノーベルは父の事業を手伝います。

ノーベルとダイナマイト

AlfredNobel adjusted.jpg
Gösta Florman (1831–1900) / The Royal Library – Sweden.se credits image to www.imagebank.sweden.se, Gösta Florman / The Royal Library, パブリック・ドメイン, リンクによる

1853年にクリム半島にてオスマン帝国・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍とロシアとの間でクリミア戦争がはじまります。この戦争でノーベルは兵器の生産によって大儲けしました。しかし1856年に戦争が終結したことで父親の事業は破産、これを機にノーベルは両親とともに祖国に帰国します。祖国スウェーデンに戻ったノーベルは爆発物の研究を始め、目を付けたのがニトログリセリンです。

爆薬にも狭心症の治療薬ともなるニトログリセリン。ニトログリセリンには血管拡張作用があり医薬品として活用できる一方、わずかな振動で爆発するという大変危険な物質です。1846年にイタリアの化学者が合成に成功した物質で、開発時はその強烈な爆発力で爆薬として使うのは難しいと思われていました。しかし、ノーベルがダイナマイトとして爆薬として実用化したのです。

ニトログリセリン

Nitroglycerin Synthesis V.1.svg
投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

グリセリン(上図の左)のヒドロキシ基(ーOH)を硝酸と反応させたもの。

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