

作詞、作曲、大道具、劇場設計に至るまですべて一人で創作する、いわゆる「プロデューサー」の先駆け。そんなワーグナーの生涯と作品について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。
- ワーグナーとはどのような人物?
- ワーグナーの少年時代
- めちゃくちゃな青年時代を送ったワーグナー
- 30代はワーグナーの全盛期
- 活力あふれる晩年のワーグナー
- 波乱万丈のワーグナーの晩年
- 1883年に心臓発作で死去
- ワーグナーを生み出したオペラの歴史
- ヨーロッパのオペラの歴史
- フランス革命後にヨーロッパ各地にひろがる
- ワーグナーの代表作「タンホイザー」
- タンホイザーの一幕は迷いの物語
- タンホイザーの二幕は罪の物語
- タンホイザーの三幕は贖罪の物語
- 快楽の女神ヴェーヌスに取りつかれたタンホイザー
- エリザベートの亡骸と共に息絶えるタンホイザー
- 賛否が分かれる世紀の天才プロデューサーのワーグナー
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。後世のさまざまな芸術家に影響を与えたワーグナー。彼の個性的なキャラクターに惹かれ、調べてみることにした。
ワーグナーの少年時代
ワーグナーは、1813年にザクセン王国のライプツィヒに生れました。10年前に皇帝に即位したナポレオンが、ロシア遠征で敗北した翌年のことです。父はリヒャルトの生後すぐに病死。翌年に母は再婚、一家はドレスデンへ移住します。
ワーグナーの家族は大の音楽好き。家で演奏会をたびたび開催するほどでした。ワーグナーは14歳でピアノを習い、15歳でベートーヴェンに心酔。音楽家になることを決意しました。
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めちゃくちゃな青年時代を送ったワーグナー
ワーグナーは18歳でライプツィヒ大学に入学。翌年には交響曲「ハ長調」を完成させます。この作品は高く評価されましたが、 数年後に大学を中退。独自に師に付き作曲を学び、20歳で市立歌劇場の合唱指揮者に就任しました。
しかし、同僚と揉め事ばかり起こしていたようです。21歳で女優と大恋愛、結婚しました。しかし、金銭トラブルが絶えず、26歳で夜逃げしてパリへ向かいます。
しかしながらパリでは認められず貧乏生活。支援者から多額の借金をしては、踏み倒して逃げるの繰り返し。貧乏であるにもかかわらず、どこかで金を工面して自分専用の列車を作ったり、高所得者5年分の年分の年収を1カ月で 使い果たしたり、自由奔放な生活を送ります。そんな生活を送りながらも数多くの作品を残しました。
30代はワーグナーの全盛期
30歳目前でオペラ「リエンツイ」を大成功させたワーグナー。ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の指揮者に就任します。さらに、「ローエングリン」「タンホイザー」「さまよえるオランダ人」などの大作を完成させました。
このころ、フランスで起こったのが「二月革命」。革命空気感が高まるなか、33歳でベートーヴェンの「交響曲第九」の公演を成功させます。今では知らぬ者はいない第九ですが、それまで世間では忘れられていました。36歳でドレスデン革命に参加。指名手配を受けたためスイスへ亡命しました。

亡命中にも代表作を残したワーグナー。女性関係も派手で、不倫はあたりまえだった。この地で反ユダヤ主義の論文を発表。それは後世にヒトラーに利用され、ワーグナーの名声に大きな傷を残した。