
今回は「元禄文化」について、時代背景や著名人を中心に歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。
- 1.元禄文化はどんな時代の文化?「犬公方」徳川綱吉の御代
- 五代目将軍・徳川綱吉はどんな将軍だった?
- 平和なはずが、江戸城内で刃傷沙汰!?「赤穗事件」
- 火災に地震、富士山噴火!度重なった自然災害
- 不運なだけじゃない!好景気と庶民に広まる学問
- 2.芸術家たちの才能花開く「元禄文化」
- 市川團十郎に芳沢あやめ、坂田藤十郎!名だたる歌舞伎界のスターが誕生
- 赤穂事件が舞台へ?人気作『仮名手本忠臣蔵』
- 江戸時代のライトノベル?仮名草子の流行
- 町人・井原西鶴が描いた町人が主人公の『好色一代男』
- 浄瑠璃世界を一変させた天才「近松門左衛門」
- 弟子を伴って東北へ、俳聖「松尾芭蕉」と『おくのほそ道』
- 道端がはじまり?落語の誕生
- 元禄文化は町人中心の文化であり、平和の証
この記事の目次

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。今回は江戸時代に多くの文化人を生み出した「元禄文化」についてまとめた。
1.元禄文化はどんな時代の文化?「犬公方」徳川綱吉の御代

徳川家康が関ヶ原の戦いを勝ち抜き、江戸に幕府を置いて1603年に始まった江戸時代。戦乱の世から離れ、時とともに人々の生活は徐々に豊かになっていきました。そうして、85年後に始まった元禄年間(1688年から1704年)、京都や大阪など上方で町人たちを中心とした「元禄文化」が花開きます。時の将軍は五代目・徳川綱吉。いったいこの時代に何が起こったのでしょうか?
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五代目将軍・徳川綱吉はどんな将軍だった?
1680年(延宝8年)、先代の将軍であり、兄であった徳川家綱の跡を継いで五代目の将軍となった徳川綱吉。天下の悪法などと評判の悪い「生類憐みの令」を出したことで知られていますね。しかし、徳川綱吉の治世の前半は「天和の治」と呼ばれるほどの善政だったのです。
というのも、徳川綱吉は父であり三代目将軍だった徳川家光の遺言によって儒学を学び、戦国時代の荒々しい空気を変えようと努めたのでした。そして、戦争ではなく、徳を重んじ、法令によって治められる「文治政治」の世へと推進します。まったくダメな悪い将軍というわけではなかったのです。
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どんな内容?どれだけ影響があった?「生類憐みの令」
徳川綱吉が発布し、1687年から1709年まで続いたとされる「生類憐みの令」。読んで字のごとく、生き物を慈しみましょう、というもので、保護対象となったのは、犬、猫、鳥、魚類、貝類、昆虫類、そして捨て子や病人、高齢者でした。動物愛護の法令というイメージがありますが、実は人間も保護対象になっていたのです。
「生類憐みの令」の趣旨は「無闇な殺生を禁止することで、人々の仁心を育てよう」というものでしょう。しかし、行き過ぎた保護は幕府の財政を圧迫したり、人々の肉食や狩猟、漁業を禁止したりして生活を脅かしたため嫌われてしまったのです。そのため、次の将軍となった徳川家宣は早々に生類憐みの令を廃止したのでした。
平和なはずが、江戸城内で刃傷沙汰!?「赤穗事件」
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大規模な戦がなくなったとはいえ、戦国時代が終わってからまだ100年とたっていない時期。刀を腰に提げた武士たち普通に町中を歩いていますし、幕府の家臣たちもみんな武家の生まれ。現代に比べると、ふとしたことで簡単に人が死んでしまうような時代でした。
そんななか江戸城内で起こったのが、かの有名な『忠臣蔵』のもととなる「赤穗事件」です。刀を抜くことが禁止されている江戸城内で赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央を切りつけたことに徳川綱吉が大激怒。浅野内匠頭は即日切腹を申し付けられ、亡くなってしまいます。
その一方、被害者の吉良上野介はお咎めなしの裁定。しかし、この時代で私闘を行ったものは喧嘩両成敗が基本です。吉良上野介もなんらかの罰を受けるべきだと、仇討ちのため大石倉之助良雄ら赤穗藩の亡き浅野内匠頭の元家臣47人が吉良上野介の邸宅へ討ち入りに入り、吉良上野介を殺害してしまったのでした。
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