3分で簡単「佐藤栄作」内閣総理大臣として何をした?生い立ちやノーベル平和賞受賞などを歴史好きライターがわかりやすく解説
異例づくめの辞任会見
佐藤栄作が内閣総理大臣であった期間は7年と8か月でした。これよりも長く連続して内閣総理大臣の座にあり続けたのは、2022年現在安倍晋三しかいません。好景気が続いたことや、ライバルとなりえる政治家がいなかったことなどがその原因といえるでしょう。しかし、長期政権を批判する意見が出るようになり、佐藤は総理を辞する決意をします。
佐藤が総理を辞任する際に行った記者会見は、異例ずくめのものとなりました。佐藤はテレビカメラに向かい、国民に語りかけるような会見を希望したのです。会場にいたすべての記者は追い出され、佐藤1人が会見場に残される形に。佐藤は質疑応答をすることなく、1人で話し続けました。
晩年の佐藤栄作
総理退任後、佐藤栄作はノーベル賞の授賞式に出席しました。しかし、それからわずか半年後の1975(昭和50)年、佐藤は病気のため亡くなります。トイレに行こうと立ち上がった時に発症した脳溢血が原因でした。葬儀は大隈重信以来の国民葬という形式で執り行われました。
佐藤は短気な性格でも知られていましたが、「待ちの佐藤」と呼ばれるほど人の話を聞くよう努めたそうです。その様子などは佐藤が倒れる前日まで日記として残され、没後に『佐藤栄作日記』として出版されました。現在では、国連大学での優れた研究に対し、佐藤栄作賞が贈られています。
佐藤栄作は非核三原則を提唱してノーベル平和賞を受賞した
7年以上も内閣総理大臣を務めた佐藤栄作。在任中に提唱した非核三原則などが評価され、日本人として初めてノーベル平和賞を受賞しました。しかし、非核三原則が徹底されているかどうか、現状では疑うべき点もあると言わざるをえません。今まさに日本は、核とのあり方を問われているといえるでしょう。