3分で簡単「佐藤栄作」内閣総理大臣として何をした?生い立ちやノーベル平和賞受賞などを歴史好きライターがわかりやすく解説
彼は日本人初のノーベル平和賞受賞者であり、2021年現在唯一の日本人受賞者です。しかし、なぜ佐藤がノーベル平和賞を受賞したのか知らない人もいるでしょう。
佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した理由や、内閣総理大臣在職中にしたことなどについて、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
政治家の多い家系に生まれる
佐藤栄作は、1901(明治34)年に山口県で生まれました。実家は酒造業でしたが、佐藤の近親者には政治家が多く、日本が国際連盟を脱退した際に日本の全権を務めた松岡洋右も佐藤の親族にあたります。そして、何よりも佐藤の次兄が元内閣総理大臣の岸信介です。岸は、中学生の時に岸家の養子となりました。
岸信介の娘の夫が、元外務大臣の安倍晋太郎です。その息子には2人の大臣経験者、安倍晋三と岸信夫がいます。特に安倍は、のちに内閣総理大臣となりました。安倍晋太郎の父である安倍寛も元衆議院議員だったなど、佐藤の家系図を見れば多くの政治家にたどり着きます。
鉄道省に入省
兄の岸信介が優等生だったのに比べると、佐藤栄作の子供の頃は野山で遊ぶ活発な少年だったようです。しかし、勉学に励むようになると成績は上昇し、東京帝国大学に入学。1924(大正13)年に東大法学部法律学科を卒業した佐藤は、鉄道省へ入省しました。
農商務省へ入省した兄の岸がすぐにエリート街道に乗ったのとは対照的に、佐藤は地方勤務が続くことになります。ですが、戦後に岸が公職追放となったのに対して、地方にいた佐藤は追放を免れました。第二次世界大戦終戦後の1947(昭和22)年、鉄道省から改編された運輸省の事務方トップである運輸次官に、佐藤が就任します。
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