日本史

越後の軍神上杉謙信!戦国時代の熱き戦いを5分で元塾講師が解説!

よぉ、桜木建二だ。今回は戦国時代の武将、上杉謙信について見ていこう。上杉謙信は戦国最強と言われる強さを誇っていたが、一方で義に熱い男としても有名だ。強さと優しさ両方を持つ武将の生きざまをぜひ知ってほしい。

日本史に詳しいライター織部かよこと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/織部かよこ

学生時代から日本史が好きな法学部卒の元塾講師。越後の軍神、上杉謙信は歴史ゲームでも強いキャラで気に入っていた。ただ強いだけではなく心に秘めた何かがある。どうしてそれほど強くて魅力があるのか改めて知りたくなり調べてみることにした。

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長尾虎千代、越後に生まれる

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(unknown) – http://www.casimages.com/img.php?i=100129125457634608.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

上杉謙信は、1530年に越後国(現在の新潟県)で越後の守護に仕えた長尾為景(ながおためかげ)の末子として生まれました。幼い頃、虎千代(とらちよ)と名づけられたのは庚虎生まれだったから。1536年に為景が隠居した後、林泉寺に入門し学問や武道を学んで過ごすことに。この頃の生活が謙信の信仰深さの根底にあるのですね。

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栃尾城の戦い

1543年に虎千代は元服し、名を景虎(かげとら)に改めます。元服とは、男子が成人になったことを示す通過儀礼の儀式。

長尾家は兄の晴景が隠居した為景の代わりに家督を継いでいたが、病弱のため頼りなく思われていました。長尾家は内紛が続き、争いも盛んでしたが、晴景はうまく納めることができません。次第に景虎を推す声が強くなったこともあり、栃尾城に入城することになりました。

この頃景虎は若干15歳。若い城主ゆえ制圧できだろうと思ったのか、栃尾城は近隣の豪族に攻め入られることに。景虎は少数の城兵を二隊に分け、一隊を敵本陣の背後に急襲。混乱する敵軍を今度は城内から攻め入り敵は壊滅。周辺の武将の力も借りて華々しく初陣を終えるのでした。

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越後統一

初陣以降も戦歴を重ね続け勢いは止まりません。1548年には晴景の養子に入り家督を継ぎ、春日山城に入城。1550年に室町幕府13代将軍足利義輝(あしかがよしてる)の命により、越後国主の地位を確立し守護代になります。

一方長く続いていた内乱は板木城の制圧や坂戸城の戦いを経て収まり、1551年には、越後統一を果たすのでした。

内乱で敵対関係にあった長尾正景のもとに景虎の姉、仙桃院が政景に嫁ぐのは和睦の証。政景と仙桃院の子、景勝は、謙信の死後上杉家を継ぐのは深遠な話です。

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この時点で、景虎はまだ22歳。快進撃が止まらないようだ。これでまだ戦いの歴史が始まったばかりだというのだから、すごい若武者だな。

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川中島の戦い

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越後統一後も、全国各地で戦はとどまることがない時代でした。景虎の戦いも終わることはありません。

1552年は越後国へ逃亡してきた関東管領、上杉憲政(うえすぎのりまさ)を保護し、相模国の北条氏康と敵対関係に。武田信玄に領国を追われた信濃の守護、小笠原長時を保護して、は武田信玄とも対立を深めることになります。そして1553年、川中島の戦いが勃発。川中島の戦いは1553年から12年も続く長い戦いです。

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第一次川中島の戦い

この頃になると幕府の力が弱くなり、各地で大名が領土支配を進めていました。武田信玄も西の信濃へと侵攻を始めます。

1553年、第一次川中島の戦いの始まりの時です。村上氏や高梨氏の救援要請を受けた景虎は、信濃国に出陣。信玄と対峙し、武田軍を討ち破ります。この時、両者が対峙したのが千曲川と犀川に挟まれた戦地、川中島。以後この地で幾度となく、宿敵同士の戦いが。

 

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