3分で簡単「箱根駅伝」なぜ人気?創設された理由や尽力した人物などを歴史好きライターがわかりやすく解説!
金栗四三は3度のオリンピックに出場した
金栗四三は、1891(明治24)年熊本県で生まれました。名前の読み方には諸説ありましたが、2018(平成30)年に金栗がドラマ化された際、彼ゆかりの自治体が「かなくりしそう」に統一する意向を示しています。高校までを熊本県で過ごした金栗は、特待生として東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学し、そこでマラソンを本格的に始めました。
1911(明治44)年、ストックホルム五輪の国内予選会に金栗が参加。その大会で、マラソンの世界記録を27分も縮めるという快挙を達成しました。翌年、日本は初めてオリンピックに参加し、金栗もその一員となります。それ以降、金栗は3度もオリンピックのマラソンで走りました。
金栗四三はスポーツの普及に尽力した
金栗四三は、競技者として優秀だっただけでなく、アイデアマンでもありました。まだ運動靴が日本で普及していなかった頃、オリンピックでゴム底の靴を見た金栗は、職人に頼んで足袋にゴム底をつけさせました。金栗足袋と名付けられた特製の履物を、金栗ら日本人の選手がマラソンで履くようになります。
オリンピックに3度出場した金栗は、スポーツ振興の重要性を痛感。箱根駅伝や福岡国際マラソンなどを創設しました。また、現代ほどではなかった女子のスポーツ普及にも力を注ぐようになります。初めての女子テニス大会などを開き、1923(大正12)年には関東女子体育連盟を結成しました。
箱根駅伝は標高差800メートルを上って下る
箱根駅伝で最大といえる特徴は、国道1号の標高最高地点を通過することではないでしょうか。それにより、5区と6区は標高差800メートル以上を上り下りするという、他の駅伝ではほぼ見られない過酷な区間となっています。5区には「山上り」、6区は「山下り」という、それぞれの通称があるほどです。
標高の高い地点は気温が低くなるため、5区と6区の選手は袖のあるユニフォームやアームウォーマーを着用しています。上りの続く5区はスタミナなどの適性が必要とされ、活躍した選手が「山の神」と呼ばれることも。逆に6区は下りが大半を占めるため、スピードに対応できるランナーが起用されます。
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