端的に言えば昨日の錦今日の襤褸の意味は「昨日はきらびやかな服装をしていても今日はボロを着ることになるほど栄枯盛衰が激しい」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
語学好きで歴史好き、名古屋出身で7年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「昨日の錦今日の襤褸」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/eastflower
今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な7年目のライター、eastflower。「昨日の錦今日の襤褸」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。
「昨日の錦今日の襤褸」の意味は?
今回のテーマ「昨日の錦今日の襤褸」はネットで調べるとあまり多くはでてきません。
ここでは、同じ意味を持つ「昨日の襤褸今日の錦」の方の辞書の意味をご紹介しましょう。
昨日までは貧しくみすぼらしかった者が、今日は立身出世して富貴の身となり立派な装いをしていること。この世の栄枯盛衰の激しさのたとえ。
出典:日本国語大辞典(精選版)「昨日の襤褸今日の錦」
国語辞典の引用は、「昨日の襤褸、今日の錦」としていますが、今回のテーマである「昨日の錦, 今日の襤褸」(きのうのにしき、きょうのうのつづれ)は、「昨日までは裕福で立派な身なりをしていたのに没落して今日はみすぼらしく貧しくなっている。」という意味になります。両者とも「この世の栄枯盛衰の激しさのたとえ」である点では同じ意味ですね。
「昨日の錦, 今日の襤褸」の「錦」(にしき)とは、「多くの色糸や金銀の糸をふんだんに用いた模様の豪華な絹織物の総称」のことです。一方で、襤褸」(つづれ)とは、「破れをつぎ合わせた衣服」や「ぼろの着物」のことで、「襤褸」の「襤」「褸」の二つの漢字とも「ぼろ」や「ぼろきれ」を意味し、同じ意味の漢字が重ねられた構成になっています。
「昨日の錦今日の襤褸」の語源は?
次に「昨日の錦今日の襤褸」の語源を確認しておきましょう。…
「昨日の錦, 今日の襤褸」の内、「錦」(にしき)と呼ばれている豪華な絹の着物の起源は、紀元前3世紀、中国の秦(しん)時代に既に織られていたと言われていますね。「錦の着物」が日本に伝わっていたことが確認できる書簡は、3世紀の「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)においてであり、同書簡の中に、卑弥呼(ひみこ)が中国王から「倭」の国として金印を授与されたことに伴い、礼として「錦」を贈ったと記載されているのです。
「襤褸」は、「粗末なぼろ」の意味ですが、いったいいつから人類は衣類そのものを身につけるようになったのでしょうか?ある科学者によれば、数万年くらい前からだと言っている人もいます。人類が衣服をまとうようになったきっかけもさまざまな理由が語られていますが、7万年から7万5千年前にインドネシアのスマトラ島の火山の噴火にともない気候の寒冷化が起こったからではないかという説もあるのです。
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